日本の通商政策のあり方:何が問題か

小寺 彰
ファカルティフェロー

我が国は通商政策(最近では「対外経済政策」と呼ばれることが多い)のあり方について明確な問題意識をもつべき時期に来ているのではないだろうか。日本企業の国際的な事業展開が活発化している中で通商政策のツールに変化が生まれたからだ。言うまでもなく、大手の製造業のほとんどは日本は今や主な製造拠点ではなく、開発拠点またはせいぜいマザー工場所在地しかない企業も多い。また社員比率も日本人より外国人の方が多い大企業が増えている。

従来、日本政府はWTO、そして多国間主義を軸に通商政策を考えてきた。しかし、2002年に始まったWTOドーハ開発アジェンダは予定を大幅に超えた今は完全に「漂流」している。他方、21世紀に入ってすぐに我が国は二国間の経済連携協定(EPA/FTA)の締結に努め、アセアン諸国を中心に12カ国とEPAを結んだ。EPAと同様の自由貿易協定(FTA)作りに励むのは日本ばかりではなく、米国やEU、さらに韓国など世界各国もそうだ。韓国は米国、EUとの交渉をまとめ、来年には中国との交渉入りが予定されているが、それに対して日本は現在インドやペルーとの交渉に手間取りオーストラリアとはまったく交渉が進まず韓国とは交渉が決裂したままだ。産業界から要望の強い中国はもとより、米国、EU等とのEPA作成の見通しも立っていない。現在日本がEPAについて岐路に立っていることは間違いない。我々の現下の課題は一体何だろうか。

マルチは当然か?

国際経済体制とはWTOのように本来多数国間(マルチ)のものだという思いをもつ人が官民を問わず多い。この考え方は正しいのか。

多数国間レジームの自由化の効果は大変なものがある。なにしろ一挙に世界各国の貿易が自由化される。また現在のWTO体制では、関税の引き下げだけではなく、「非関税障壁」とよばれる、関税以外の対外障壁(食品安全規制や政府調達方法)の削減や、サービス分野の自由化、知的財産権の保護強化にまで強い規律が及んでいる。

他方、EPAでは関税撤廃が中心で(ただし、10年以内に原則的に関税撤廃が求められる)他の分野の自由化まではなかなかできないばかりか、その効果は当事国間にしか及ばない。さらに二国間のFTAネットワークを営々と築いても、相手国が他国と結んだFTAの方が有利になればすぐに改訂交渉を始めなければならない。WTOと比べて作るのも維持するのも手間がかかり、しかも効果は限定的だ。WTOと比べたときの効率性の悪さは歴然としている。マルチが実現すればそれにまさるものはないが、問題はWTOのようなマルチの仕組みが今までのように今後も動くかだ。

第ニ次大戦後、GATT、WTOによって国際貿易の自由化が進んできた。そのメカニズムは、米国とEU(かつてはEC)諸国、そして1980年代のGATTウルグアイラウンドでは日本も加わって合意を作り、その後に援助等を誘因(餌)にして途上国を出来上がった合意に組み込むというものだった。マルチの合意を作るためには、メインプレーヤー間で合意ができかつその他の諸国(フォロワー)に合意に入る動機があることが重要だ。GATTはともかく、仔細に見ると第ニ次大戦後もマルチの合意が達成できた分野はそれほど多くない。それは世界のメインプレーヤーである米ソが敵対関係にあり両者間で合意が簡単にはできなかったからだ。GATTにはソ連が入っていなかったからマルチの合意が可能だったといえる。

現在のWTOのメインプレーヤーは米、EU等の西側先進国だけではない。21世紀になって、中国、インド、ブラジル等の新興諸国がにわかに表舞台に躍り出た。これら新興諸国は「餌」に釣られるフォロワーではない。ここ数年国際舞台でG20がクローズアップされているのは象徴的である。これら新興諸国も含めて合意を作る必要があるが、彼らの間もバラバラだ(G20で意思決定ができないためにG8が再度注目されるという意見もある)。今や国際経済分野では、新興諸国が世界のメインプレーヤーであることは間違いないが(残念ながら日本の位置は揺らいでいる)、新興諸国も含めたメインプレーヤーの間の意思決定メカニズムはまだ生まれていない。WTOドーハ開発アジェンダも2003年頃に早々と米・EU間の合意ができ、一気呵成に「中間合意」が達成できるかと思われたが、現在に至っても「中間合意」すらできない。「ポスト京都」の温暖化ガス排出規制枠組み作りの停滞も同じ構造だ。当然、諸国は二国間か地域単位で懸案を凌ごうとする。FTAの活況はまさにこの例である。我々は通商分野においてマルチの有効性を認識しつつも、二国間ないし地域FTAに活路を見いだす他ないのが現状だ。

日本の課題

(1)通商政策の目的は?
WTOでは貿易の自由化が達成されれば、日本を含めてWTO加盟国すべてが自由化される。たとえば、日本から中国に輸出される産品も米国から中国に輸出される産品も自由化され、中国での扱いは日本製品も米国製品も同じだ。これが我々が慣れ親しんできたWTOのメカニズムである。しかし、FTAではこうはいかない。中国と日本がFTAを結べば10年以内に原則として関税は撤廃されて日本製品は関税抜きで中国に輸出できるが、中国とFTAを結んでいない他国は引き続き中国に輸出するためには関税を払わなければならない。日本がFTAを結ばなければ逆のことが起こる。注意しなければいけないのは、どこで生産されている物品をどこに輸出するか、生産地と仕向地によって関税免除の根拠となるFTAが違うことである。つまり、日本がいくらFTAを諸国と結んでも、世界中に生産拠点を置く日本企業の製品に関税免除の恩典を与えることはできず、逆にこのような製品は、生産拠点のある外国が消費国とFTAを結べば関税免除の恩典を受けられる。FTAの時代には、マルチの時代には無自覚であってもよかった、何(誰)のために通商政策を行うかという問いが否が応でも突きつけられるのだ。

日本企業が日本で生産活動を行って輸出をし、さらにWTO/GATTによって多角的に自由化が行われるときは、この問いは不要だった。しかし、日本企業の国際展開が普通になり、二国間を中心に自由化が行われると、日本政府は日本を起点とした貿易投資活動だけではなく、日本企業が外国で行う貿易投資活動(「横-横」関係)も視野に収め、これに対して政策的支援を行うことが至上命題になる。「横-横」関係への支援が必要になるのは、日本企業を支援することが、国内への配当等を通じて国内経済にプラスの効果をもつからだ。

日本企業の支援の重要部分が「横-横」関係だとすると、通商政策の前提とされてきた、日本を起点とする貿易投資活動支援はどういうものと位置づけられるのだろうか。今度はこの意味を吟味することにしよう。

日本でも日本企業や外国企業が活動し我が国経済の根幹を支えている、つまり多数の日本人は日本国内、とくに日本に立地する企業で働き生活をしている。言うまでもなく日本の通商政策の目的は日本人の生活向上である。それでは日本で活動する企業を単純に保護すればいいか。答えは否である。FTAの世界では、外国との貿易投資関係を自由化しないと、相互的に日本からの貿易投資も自由化されない。一国内で生産活動が閉じていれば良いが、日本で生産して海外へ輸出する、しかも輸出するのは完成品ばかりでなく部品が多く、それらが転々流通するのだ。となると、国内を閉じると外からも閉じられ、国際的に展開している生産流通ネットワークから日本は取り残され、企業は日本から出ていくしか途がなくなる。こんなことが日本で働く日本人に良いわけはない。EPAを結べないと、日本の立地としての魅力は落ち、ひいては日本経済にマイナスに働くことに気付かなければならない。

日本の通商政策の究極の目的は日本経済の成長そして雇用の確保にある。このことは官民ともに常に自覚しなければならない。

(2)意思決定メカニズムの再建
「横-横」支援の課題は、どのような形態があり得て、しかも望ましいかというツール探しの問題だ。しかし、日本の通商規制の自由化のためには、国内の意思決定の在り方という根深い問題を解決しなければならない。

日本には従来WTO/GATT等のマルチの条約によって国内政策を変える仕組みがあった。1995年のWTO加盟に当たって最大の問題は農産品、とくに米の輸入問題であったが、WTOに入るためには、補助金支給を条件に米輸入もやむなしという結論になった。2008年にWTOドーハ開発アジェンダ「中間合意」がまとまりそうになったときも、補助金を条件に農産品自由化やむなしという決着が想定されていた。WTO/GATT合意が近づくと、世界の国々がWTOの場で自由化を進めるなら日本も従わなければならないという雰囲気が醸し出され、保護貿易派も国際合意を呑んで補助金で決着するというパターンである。しかし、EPAの場合は、相手国は通常は1つ、多くても精々10程度(環太平洋戦略的経済連携協定:TPPで8)であり、世界の大勢とは言えない。また世界の大勢に従う代償として補助金が出されるという論理なのであろう、今までEPA締結に際して補助金が出されたことはないようだ。これでは農産品問題のない国としかEPAは結べない(オーストラリアとの交渉がまったく動いていないのはそのため)。EPAでは10年程度の猶予期間が設けられるとしても関税撤廃や大幅な削減が求められることが多く、場合によっては農業者等に相当大きな打撃になることが予想される。FTAの場合も、補助金等によるショック対策を組み込んだ、新たな意思決定メカニズムを構築しないと、日本だけがFTAを結べない状態になってしまう(実際そうなりつつある)。

FTAを諸国が網の目のように結ぶなかで日本だけが取り残されると、結果的にはマルチの自由化機構に入らないのと同じになる。かつてメキシコは米国やEU等多くの国とFTAを結び、結んでいない日本・日本企業だけが差別的な取り扱いに甘んじた(その後EPAを結んで解消した)。実はFTAが数多く結ばれれば、一国についてはWTOに入っていないのもFTAを結んでいないのも同じだ。こういう状態が多くの国で生まれればどうなるか。WTOとFTAの異同を的確に認識した対処が必要である。

おわりに

マルチの協定には「統一ルール」という国内社会の投影があって、それが本来の姿だという思いが我々には強い。しかし、弱肉強食の世界では、諸国は少しでもよい事業環境を整えて他国に先んじようとしのぎを削る。結局、弱肉強食の世界でWTOというマルチができたのは合意可能な二極(米・西欧)の支配だったからだろう。現在でも消耗戦にみんなが疲れてマルチができるという可能性がないとはいえないが、日本を含む西欧諸国だけで主導できる都合のよい時代はもはや終わった。新興国もメイン・プレーヤーとして活動する多極世界においてマルチの合意を成り立たせる途が何かということは、それ自体重要な課題であるが、それを考える前に我々は、現在の国際環境に対処できる通商政策の考え方を明確にし、それを実現するための国内の仕組み作りを急がなければならない。

2010年8月17日

2010年8月17日掲載

この著者の記事