日本企業の3つのビジネスチャンスと対アジア経済協力の役割

黒田 篤郎
コンサルティングフェロー

はじめに

リーマン・ショック後の世界経済の停滞の中で、アジアをはじめとする新興国・途上国市場に大きな注目が集まっている。とりわけ、(1)中国、東南アジア、インド等の中間所得層、いわゆるボリュームゾーン市場の急速な拡大、(2)これらに加えて南アジアやアフリカなど途上国に広がる低所得層、いわゆるBOP(Base of the Economic Pyramid)向けビジネスの可能性、(3)そうした経済発展の担い手の成長基盤となる、途上国のハード・ソフト両面のインフラ需要の急増が、世界の企業にとって大きなビジネスチャンスである。しかしこれらは、従来日本企業にとって一般に、いわば「苦手科目」とされてきた分野でもある。

以下、これらの苦手科目に取り組む日本企業の現状と課題を述べ、その支援のため公的部門に期待される役割につき筆者が携わっている経済協力分野を中心に論じたい(注1)

日本企業はボリュームゾーンで戦えるか

電機電子・自動車を中心に、日本企業は80年代半ばまでに欧米市場でブランドを確立し、プラザ合意後の80年代後半以降、そのブランド力をもってアジア進出を本格化させた。そして90年代半ばまでには東南アジアや中国の高級品市場で大きなシェアを占めるようになった。しかし90年代後半以降、急拡大する中国市場でまず異変が起こり始めた。先進国企業との技術提携(あるいは模倣)によってある程度の技術力をつけ、また市場ニーズに柔軟に対応する製品企画力やコスト競争力をつけた中国ブランドの家電製品が、低中級品を中心に高級品を含め市場シェアを拡大し、日本ブランドを店頭から駆逐し始めたのだ(注2)

これに対し日本企業は、従来の高級品に加え、市場が拡大する低中級品でも地場企業と勝負すべく、ヒト・モノ・技術・経営の現地化を徐々に行いつつ、現地密着型の製品開発と販売を進めようと悪戦苦闘してきた。その過程では、コスト削減のためのスペックダウンを求める現地とそれを認めない本社技術陣との熾烈な議論も繰り広げられた。しかし、世界不況の中で高級品市場や欧米市場に集中するリスクを実感した日本企業は、いまや苦手意識を払拭し、ボリュームゾーンに本格的に取り組まざるを得ないと腹を括った感がある(注3)

ただし、日本企業がボリュームゾーン戦略を進める上での伏兵は、韓国・中国企業との競合である。最も代表的なサムスンは、事業部ごとではなくグローバル規模の素早い投資決断と広告費の集中投入、基礎研究に金をかけない低コストのものづくり、地域専門家の育成と現地密着型マーケティング等を大きな強みとしている(注4)。90年代、まずは日本ブランドの浸透していなかったインド、ベトナム、東欧等への市場参入に成功、2000年代には欧米や東南アジアにも本格進出した。たとえば日系企業の金城湯池だったタイのテレビ市場でも、今やサムスンがシェア3~4割でトップ、次いでLGが2~3割、パナソニックとソニーはわずか8%ずつのシェアだという(注5)。そして、ことは家電にとどまらない。バイク、自動車、通信機器、プラントなど多様な分野で、家電と同様の韓国・中国企業による追い上げが見られている。たとえばここ数年の中国自動車市場での地場メーカーの隆盛には、10数年前の中国家電市場を髣髴とさせるものがある。このような中で果たして日本企業はボリュームゾーンを獲得できるか。それは何より、日本企業がかつて得意としてきたビジネスモデルを変革できるかどうかにかかっている。

日本企業のボリュームゾーン市場開拓に対し公的部門がまず行うべき支援は、途上国市場のビジネス環境改善であろう。具体的には、経済連携協定や投資協定による経済統合の努力(注6)、JETRO等による貿易投資相談、ビジネスマッチングに加え、開発・技術の現地化を進めると模倣のリスクが高まることから、知的財産権保護のための技術協力等も重要である。

日本企業はBOP市場にチャレンジできるか

途上国でボリュームゾーンよりも下の低所得層を対象とした、持続可能な、現地でのさまざまな社会課題の解決に資することが期待されるビジネスが、BOP市場戦略である(注7)。欧米では1990年代末から実践、理論化されてきたが、日本でも昨年来経済産業省やJICAなどで研究会が開催され、注目を集めている。

世界的に有名なBOPビジネスの成功例は、バングラデシュのグラミン・ダノンが始めたヨーグルトの小口販売である。小容量包装にすることで単価を大幅に下げ、同時に栄養価の高さを販売員が根気よく説明、販売を拡大している。日本では住友化学がマラリア予防薬を練りこんだ特殊な蚊帳を開発、タンザニアの工場で年間2000万枚を生産し、広くアフリカ各国に販売している。これらの事例に共通するのは、途上国の貧困層の人々の栄養・衛生状況や生活レベルの改善に資する、開発効果のあるビジネスであること、しかし従来の政府開発援助(ODA)や企業の社会的貢献(CSR)活動とは異なり、それ自体がビジネスとして成立していることである。

こうした世界的にも新たな試みが、中間所得層の獲得にすら四苦八苦する日本企業に果たして根付くのかという疑問は当然だが、実はダノンの現地販売員「グラミンレディ」の原型は日本のヤクルトレディだというし、小口包装販売も日本の味の素が古くから成功している手法である。日本企業ならではのイノベーティブな製品や販売方法があれば、特に消費財分野ではチャレンジは十分可能ではないか。ただし、ボリュームゾーン戦略以上に、徹底した開発・製造・販売・サービスの現地化を図らなくてはならないのが、最大の課題だろう。

BOP市場開拓に向けて公的部門が出来ることは、上述のようなビジネス環境整備に加え、BOPビジネスのもつ開発効果に着目した経済協力の観点からの支援であろう。JICAにおいても今年度から企業による提案公募型のBOPビジネス調査事業を準備中である。

日本企業はインフラ市場を獲得できるか

アジアを中心とした新興国・途上国では今、経済活動の基盤となるハード・ソフト両面のインフラ需要が爆発的に拡大している。具体的には、道路、鉄道、港湾、空港、発電所、送配電、省エネ、リサイクル、上下水道、情報通信システム等のハードインフラ、それらの適切な運用ノウハウや制度、人材といったソフトインフラが大いに不足している。

こうしたインフラは伝統的に公共財として提供されてきたし、現在でも世界のインフラの大半は公的部門が担っている。しかし先進国では90年代からインフラの運営をより効率的な民間企業に委ねようとする「パブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP)」の考え方が拡大しており、それが2000年代以降、公的開発資金に乏しい途上国にも急速に広まっている。

伝統的な公共事業かPPP方式かを問わず、こうしたインフラ需要に世界の企業が注目し、官民を挙げて受注のチャンスを狙い鎬を削っている。我が国も、先月閣議決定された「新成長戦略」や経済産業省の「産業構造ビジョン2010」で、インフラ関連・システム輸出産業の振興、パッケージインフラの輸出促進を重点政策に挙げている(注8)。そこでの問題意識は、「日本企業は単品売りには強いが、システムの統合、運営・維持管理までの総合的な商売には弱い」ということだ。昨年末のアラブ首長国連邦(UAE)での原子力発電プラントの入札で、韓国電力公社を中心に据えた韓国勢に、日立製作所、GE等メーカー中心の日米連合が完敗したことからも明らかだろう。しかし実は日本企業もJパワー等が海外電力分野で「システムで稼ぐ」方向に舵を切っており、港湾、鉄道、上水道等の分野での取組みも始まっている。無論ここでも欧米と並び韓国・中国企業との熾烈な競争を乗り越えていかねばならない。

こうした中で、上記の新成長戦略等でもインフラビジネスへの公的支援が強く打ち出されている。具体的に経済協力の分野では、円借款による上下分離方式の推進、VGF(Viability Gap Funding、市場性強化措置)への円借款等の活用、JICAの海外投融資の早期再開等である。いずれも経済界から強く要望されてきた緊急課題である。また、JICAの技術協力で途上国のインフラ整備のマスタープラン策定や関連人材の育成を数多く手がけているが、これらも日本のシステムになじみやすい制度環境を整え、日本優位の案件形成に繋がりうる。昨年度末からJICAが始めたPPP案件の発掘・形成のための調査委託制度に、数多くの応募がなされているのは心強い限りだ。

経済も社会も内向きがちといわれる日本が、近隣のアジアにあるこうした3つの巨大なビジネスチャンスに刺激を受け、その獲得へ向け官民あげて元気を出していければと切に願う。

2010年7月20日
脚注
  1. 詳細は、世界経済研究協会「世界経済評論」7・8月号所収の拙稿を参照されたい
  2. 拙著「メイド・イン・チャイナ」東洋経済新報社(2001年11月)
  3. 経済産業省「平成21年度版通商白書」(2009年6月)
  4. 吉川良三『日本企業はなぜサムスンに負け続けるのか』「文藝春秋」2010年2月号
  5. 日本貿易振興機構(JETRO)シンガポール事務所の調査による
  6. 拙稿『東アジア経済統合の進展と日系企業』財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」2009年1月号所収
  7. 経済産業省「BOPビジネスのフロンティア」経済産業調査会(2010年6月)
  8. 閣議決定「新成長戦略」及び産業構造審議会「経済構造ビジョン2010」(ともに2010年6月)

2010年7月20日掲載

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