新々貿易理論とは何か?

田中 鮎夢
研究員

はじめに

21世紀に入って、国際貿易論の領域は新しい段階を迎えている。企業レベルのデータの活発な利用と相まって、「新々貿易理論」(注1)と呼びうる新しい世代の貿易理論が一気に主流となってきたからだ。本稿は、経済産業研究所(RIETI)における研究にも触れつつ、この新々貿易理論を簡単に紹介したい。

「新々貿易理論」の背景

日本をはじめ世界各国で、輸出額は国内総生産の大きな割合を占めている。ところが、輸出を行っている企業は、きわめて少数であることが近年分かってきた。Bernard et al. (2007) によれば、2000 年に米国で操業している550万の企業のうち、輸出企業はわずか4%にすぎない。そして、これらの輸出企業のうちわずか上位10%の企業が米国の輸出総額の96%を占めている。さらに、輸出企業は、非輸出企業よりも生産性が高い。

ところが、新旧貿易理論は、「輸出企業は生産性の高いごく少数の企業である」という事実を説明できなかった。伝統的貿易理論や新貿易理論は、ある産業で企業Aが輸出しているときに同じ産業の企業Bが輸出をしないという事態を想定していない。というのも、リカード、ヘクシャー=オーリンの伝統的貿易理論と新貿易理論のいずれも、(少なくとも各産業内においては) 生産性が等しい代表的企業(企業は同質であるということ)を仮定してきたからだ。

「新々貿易理論」の登場

それに対して、Melitz (2003) は、生産性が異なる企業が存在する現実を踏まえ、生産性の高い少数の企業のみが輸出を行うモデルを構築した。Melitz (2003) の理論の基本的な発想は、生産性の高い企業のみが、輸出に要する大きな固定費用をまかなうほどの利潤を得ることができるというものである。さらに、Helpman et al. (2004) は、輸出企業、海外現地生産(FDI)企業の順に生産性が高くなるモデルにMelitz (2003) モデルを拡張した。Helpman et al. (2004) の理論もまた、海外現地生産に要する莫大な固定費用(現地の工場建設など)をまかなうことができるのは、生産的な企業のみであるという発想に基づいている。これらの「Melitzタイプモデル」は、特に企業レベルデータに基づく実証研究の理論的な基礎になった。

表1は、以上で述べたことをまとめたものである。

表1 貿易理論の比較
代表的な貿易理論主な説明対象企業に関する仮定
(産業内)
「輸出企業が生産性の高い少数の企業である」事実
19世紀~
伝統的貿易理論
産業間貿易企業の生産性は同じ説明できない
1980年代~
新貿易理論
産業内貿易
2000年代~
新々貿易理論
企業の輸出・海外現地生産企業の生産性はさまざま説明できる

「新々貿易理論」の政策上の含意

Melitz (2003) の理論は、新しい貿易利益の存在を示した。貿易障壁の低下によって、世界規模での競争が活発になると、いままで貿易障壁に守られていた低生産性企業は市場からの退出を余儀なくされ、かわって高生産性企業の生産量は拡大する。それによって、国全体の平均生産性が上昇する。平均生産性の上昇は、人々の実質所得の上昇を意味する。世界規模での企業の自然淘汰によって、人々はより豊かになる。Melitz (2003) の理論からは、国内産業に厚い保護を与えると自然淘汰が機能せず、生産性上昇が阻害され、自国にとっても不利益となる可能性があることが分かる。

日本においては、特に農業の生産性上昇が政府の厚い保護によって阻害されている可能性が懸念される。つまり、Melitz (2003) の理論が指摘する世界規模での競争と自然淘汰を通じた生産性上昇の果実を農業は享受できていない可能性がある。食料自給率の上昇には、日本の農業の生産性上昇が本来必要である。補助金や貿易制限が、生産性上昇を阻害することによって、食料自給率の低迷をもたらしうることには留意が必要であろう。

RIETIにおける「国際貿易と企業」研究会

新々貿易理論の実証研究を行うには、多くの場合、企業レベルのデータが必要である。RIETIは、経済産業省の持つ企業レベルデータの利用について実績があり、新々貿易理論に即した研究の場も提供してきた。特に、「国際貿易と企業」研究会は、新々貿易理論を検証し、発展させることを試みる多くの論文を公表してきた。その概要については、既に、若杉隆平京都大学教授・経済産業研究所研究主幹による紹介がなされている(Research Digest「国際化する日本企業の実像」)。なお、本研究会による日本企業の個票データを活用した新々貿易理論の研究は、全欧経済政策研究所(CEPR)の国際研究集会、RIETIとCEPRとの国際ワークショップ、アメリカ経済学会等においても報告されている。

今後の展望

現在、RIETI「国際貿易と企業」研究会では、企業の国際化と日本国内の雇用との関係などより政策に直結したテーマの研究も遂行されている。これらの研究の成果は、政策現場にも有用な情報を提供できるものと期待される。

2010年6月8日
脚注
  1. なお、必ずしも新々貿易理論という名称は一般的ではなく、企業の異質性モデル(firm heterogeneity model)と呼ばれることが多い。本稿では、分かりやすく新々貿易理論という名称を用いる。
文献
  • Bernard, Andrew B., J. Bradford Jensen, Stephen J. Redding and Peter K. Schott (2007). "Firms in International Trade." Journal of Economic Perspectives, Vol. 21, No.3, pp. 105-130.
  • Helpman, Elhanan, Marc J. Melitz and Stephen Ross Yeaple (2004). "Export Versus FDI with Heterogeneous Firms." American Economic Review, Vol.94, No.1, pp.300-316.
  • Melitz, Marc J. (2003). "The Impact of Trade on Intra-Industry Reallocations and Aggregate Industry Productivity." Econometrica, Vol.71, No.6, pp. 1695-1725.

2010年6月8日掲載

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