本格的な設備投資の回復を目指して

宮川 努
ファカルティフェロー

設備投資の構造変化

世界中を不況に陥れたリーマン・ショックから1年半余りが過ぎた。しかしながら依然として人々の不況感は強く、失業率も5%前後を推移し雇用情勢の改善は見られない。こうした経済環境の下、政府は昨年末に新しい経済成長戦略を策定した。そこでは、外需に過度に依存した2000年代前半の景気回復の反省を踏まえ、内外需のバランスがとれた景気回復への方針が示されている。内需の主な構成要素は、民間最終消費支出、民間設備投資、公共投資だが、このうち公共投資は巨額の財政赤字と累増する政府債務のために機動的な運用が困難な状況にある。このため、民間最終消費支出と民間設備投資の増加に期待がかかる。

民間最終消費支出については、「子ども手当」の新設や高校授業料の実質無償化などによって消費水準の底上げが期待されているが、そもそも民間消費の動向を大きく変えるためには、長期にわたる所得水準の向上が国民に広く認識される必要があり、政策効果が発揮されるまでには時間を要する。

一方、民間設備投資は長らく日本の景気循環の主役であった。表1からわかるように、景気回復期には設備投資の増加が日本の成長を推進する役割を果たしていた。しかし、2000年代前半の景気回復期には主役の座を外需に譲り、ここ30年間の景気回復期で最低の伸びしか示していない。

表1:日本の景気循環
GDP成長率民間家計消費変化率民間設備投資変化率公的資本形成純輸出
1980:1-1983:12.46%2.84%0.21%-0.53%15.66%
1983:1-1985:23.61%3.07%8.48%-4.96%17.10%
1985:2-1986:43.44%3.12%8.47%-3.65%-17.18%
1986:4-1991:15.36%4.42%11.99%3.05%-8.05%
1991:1-1993:40.32%2.40%-10.38%11.75%4.49%
1993:4-1997:12.93%2.81%6.24%-1.74%-5.14%
1997:1-1999:2-0.55%-1.02%-2.35%4.02%13.54%
1999:2-2000:42.81%1.12%12.64%-12.60%13.73%
2000:4-2002:1-2.45%0.71%-10.83%0.03%-5.25%
2002:1-2007:41.94%1.21%4.01%-7.82%32.51%
2007:4-2009:3-3.71%-0.63%-12.98%-0.57%-24.52%
(出所)内閣府経済社会総合研究所『国民経済計算』
(注1)数値はすべて年率換算
(注2)黒字は景気後退期、青字斜体は景気回復期

そこで、日本政策投資銀行の田中氏と筆者は、RIETI のディスカッション・ペーパー(DP No.09-J-032)において、最近の企業レベルの大型投資の動向に焦点をあて、設備投資の構造変化の要因を探った。ここで大型投資とは、過去の設備投資の累積である資本ストックに対する設備投資の比率が20%を超える設備投資を指す。我々は日本政策投資銀行の「企業財務データバンク」を使って、金融・保険業を除く上場企業について大型投資を求め、この合計額を、全サンプルの設備投資の合計額で割った比率をとった。これをみると大型投資の比率は、80年代以降の平均で全投資の25%に達する。一方、大型投資を実施した企業数の割合をみると、90年度にはサンプル全体の37%が大型投資を実施していたが、06年度には10%と著しく減少している。

図1では、各企業別に算出した資本ストックに対する設備投資の比率を集計し、その推移を資本ストックに対する大型投資の比率と、大型投資以外の設備投資の比率とに分けて示した。これをみると、90年代までは、設備投資全体の比率の変動は大型投資の比率の動きと歩調を合わせている。これは、90年代までは大型投資の動きが設備投資循環を形作っていたことを意味する。しかし、2000年代に入ると大型投資は低迷し、それ以外の設備投資が全体の設備投資の動きを形成している。大型投資の動きは、1)個別企業の大型投資の規模自体が拡大する、2)大型投資を実施する企業数が増えるという2つの要因に分解できるが、2000年代に入ってからの大型投資の低迷は、個々の大型投資の規模が縮小したためではなく、大型投資を実施した企業の数が減少したことによる。

図1 投資比率の推移
図1 投資比率の推移

大型投資が減少した要因

それでは、なぜ最近になって大型投資は減少してきたのか。1つは、大型投資を行う企業の割合が非製造業で低迷を続けていることにある。90年代に入り、製造業、非製造業とも、大型投資を実施した企業の割合は減少傾向にあったが、製造業では、前回の景気回復期にこの割合は増加に転じた。しかし、非製造業では減少傾向が続いている。これは、グローバル市場で競争している製造業では、優位性を持つ製品を中心に生産能力の増強投資を実施したのに対し、内需に依存する非製造業では、設備を拡大するインセンティブが生じなかったからであろう。したがって、このことはグローバル化による海外直接投資の拡大が、大型投資減少の主因ではないことを示している。

もう1つは、設備投資の質が変化している点である。大型投資を行った企業とそうでない企業について、その後の企業パフォーマンスを比較すると、90年代以降大型投資を行った企業は、そうでない企業に比べ、生産性や収益面での改善効果が見られている。かつては他社が大型投資を行うと、自社もその企業に追随して大型投資を行う、いわゆる「横並び」行動が過剰設備を生み出し、そのことが投資収益率の低さをもたらしてきた。しかし、90年代以降大型投資を行った企業には80年代に色濃く見られた横並び行動が少しずつ薄れ、生産性や収益面での改善も考慮した投資判断へと転換してきたと考えられる。企業の投資姿勢が量から質を重視する方向へと転換してきたこと自体は望ましいことだが、このことは、投資競争が減退し、内需の喚起が難しくなるという側面も持っている。それでは、「横並び」の投資行動に逆戻りするのではなく、投資の質の高さを保ちながら大型投資を拡大していくためにはどうすればよいのだろうか。

新製品の開発意欲を取り戻せ

大型投資の背景には、新製品の開拓と新しい市場の創出があると考えられる。日本で主にこの役割を担ってきたのは、ベンチャー企業の参入よりも、既存の企業による製造品目の転換である。既にある分野で確固たる地位を築いた企業が、自分たちの持つ技術を生かして新製品を開発したり、時には産業の垣根を越えた新たな分野へ進出することで、自社を成長させるとともに生産性を向上させてきた。たとえば、世界トップの自動車メーカーに成長したトヨタ自動車は織物機械を前身とし、ニコンはカメラの技術を生かして半導体製造装置の分野で世界トップシェアを握っている。このように各企業の製品構成の変化が活発化すれば、大型投資も増加し経済全体の生産性向上にもつながる。現在、川上RAと筆者が「工業統計表」を使って進めている研究では、製品構成を変化させた企業で売上高や生産性の向上がみられるが、こうした製品転換のダイナミズムは、2000年代に入って失われつつある。この背景には、90年代後半の金融危機以降、日本企業がリストラを通じて収益性の高い品目に特化した「選択と集中」の影響もある。ただ、あまりに防衛的な戦略だけでは設備投資は既存分野の更新循環にとどまってしまう。

内需の柱である設備投資を増加させるためには、かつてのような不断の新製品開発意欲を取り戻すことから始めなくてはならない。ただ、新製品の開発には新たな人材の育成と多額の資金を必要とする。こうした「ヒト」と「カネ」の支えがあってこそ、「モノ」である大型投資が実現するわけだが、現在の日本では、新たな人材開発への支出も伸び悩み、金融機関も設備投資の前段階のプロセスに対する資金提供については経験も少なく慎重な姿勢を崩していない。日本には従来から得意としてきた機械産業に加えて、世界的に注目を集める環境分野、相対的に生産性の低いサービス産業などで発展の可能性を秘めている。この潜在力が大型投資を通して新しい製品を市場に送り出し、それが消費者に認知されることで、さらに新しい需要が生まれるという好循環を実現するために、大型投資の前段階を支援する政策的な対応が必要である。今回の成長戦略で強調されている人材の育成や技術力の向上が、具体策を伴って民間の大型投資へと結実することを期待したい。

2010年5月11日

本稿はRIETIHighlight29号に寄稿されたものです。

2010年5月11日掲載