転機を迎えた「産業政策」のあり方

大橋 弘
ファカルティフェロー

今回の世界経済危機を通じて、日本を含む各国で産業・企業を支援するための巨額の財政出動が行われた。米国においては、不良資産救済プログラム(TARP)を活用した企業支援や低炭素化に向けた産業育成策、独・仏においても信用保証などを通じた支援の幅広い展開がみられた。こうした政策導入に呼応する形で、ここ10数年のあいだ薄らいでいた産業政策に対して関心が再び高まっているようだ。本稿では、産業政策についてのこれまでの議論を経済学的な観点から整理するとともに、経済危機後に求められる産業政策のあり方について議論をしたい。

「産業政策」とは何だったのか

産業政策が初めて大きな脚光を浴びたのは、1980年代に入ってからではなかろうか。戦後20年余りにおける日本の他国に類を見ない経済成長と、その後の貿易や投資を通じた日本経済の国際的な影響力の高まりを反映して、その原因を政府による政策的な介入に求める見方が急速に広まった。不思議なことに、産業政策についてはその言葉の定義が明確に規定されずに議論がなされており、そのことが産業政策に対する支持を広範に得た理由であるとの穿った見方も存在する。ここでは産業間あるいは産業内の資源配分を古い産業から新しい産業へと移動させることを産業政策とよぶこととする。

経済学の観点からは、市場の失敗を補正する政策の1つとして産業政策は議論されてきた。情報の非対称性や外部性の存在などの理由から、産業や市場にはさまざまな形で古典的な数理経済学が仮定する市場機能が効率的に働かない状況が考えられる。こうした民間の主体性だけでは対処できない市場の失敗が顕在化するとき、産業政策に代表されるような政府介入を行うことが正当化されうる。こうした理論的な考え方を背景として、ゲーム理論を用いた寡占市場における理論研究が国内外で活発に行われ、その種の理論に基づいて政策的な議論がひとときブームとなった。

しかし1990年代に入ると、産業政策に関する関心が薄れ、その研究も大きく停滞することとなった。関心が薄れた理由にはいくつか考えられるが、なかでも市場機能を重視する方向へとアメリカやイギリスを中心とする欧米各国が政策のかじ取りを転換したことが大きい。民間主体による競争が社会厚生を増大させるという新古典派的な考え方が、規制緩和や民営化の進展を大きく後押した。そしてこのいわゆる新自由主義とよばれる流れは、くしくも経済学の側における産業政策に関する実証研究からも援軍を得ることとなる。すなわち、過去の産業政策の効果を事後的に評価すると、産業政策の有効性が一般に信じられていたほど鮮明に表れてこないことが明らかとなったのだ。

こうした産業政策の効果に対する定量的な研究結果は、政府が市場の失敗に対して適切に対応できるのか、という疑問を生むことにもなった。市場が失敗するのと同様に政府も失敗を犯す可能性があり、後者が引き起こす社会的なコストも無視し得ないのではないか、ということだ。いま思えば、なぜ政府が政策として振興すべき特定の産業を適切に目利きして択ぶことができるのか、という批判に対して有力な反論がなかったことも産業政策の効果に対する悲観論を加速化させる原因にもなったのではなかろうか。現在の産業組織論における実証分析のレベルでは、市場の失敗の程度を高い確度で指標化することが困難ななかで、産業政策によって振興すべき特定の産業が市場の失敗以外の理由(たとえば政治介入の影響や官によるレント獲得の目的など)で選択されているのではないか、との疑念が払しょくされず、産業政策に対する悲観論が世界的にも説得力をもつことになった。

経済危機後の新しい産業政策のあり方

日本国内外において産業政策への関心が薄らいでいくのとほぼ平行して、日本が先行していると誰もが思っていた分野において、日本勢が追い抜かされるというニュースを耳にするようになった。技術的にわが国が優れているといわれていた半導体や携帯電話、テレビ市場は既に海外に大きく水を空けられてしまっている。LED(発光ダイオード)や蓄電池技術などの環境関連技術についても、米国をはじめとして国を挙げて積極的な投資が進められており、日本のリードが今後も維持されるのか、ますます混沌としてきている印象がある。

新興国をはじめとするグローバル企業が、官の力も借りつつ目覚しく躍進をするなかで、わが国の景気回復の足取りはおぼつかず、足がすくんでいるように見える。いま日本経済に求められていることは、縮みあがった日本経済の血行を促進するために、資源配分を古い産業から新しい産業へと迅速に移動させることだろう。新しい財・サービスの創出につながる供給側の新陳代謝を高めることを通じて、需要喚起を促すことが肝要である。

日本経済の新陳代謝を促す上で、取り組むべき重要な課題はおおまかに、(1)新産業・新企業の創出・育成と(2)既存企業の再生・活性化の2点であろう。今般の経済危機を通じて、これらの課題は市場機能によって完全に解決することができず、政策的に取り組む余地が大きいことが明らかとなった。まず(1)については、経済成長とイノベーションの原動力となることが実証研究としても明らかだが、独り立ちするまで長い年月を要し、息の長い取り組みが必要とされている(Josh Lerner(2009),Boulevard of Broken Dreams, Princeton UP参照)。民間のベンチャーキャピタル(VC)が資金提供者としてその役割を果たせるか、大きな疑問が呈されることとなった今、国際的にも精彩を欠く日本の起業状況を改善するためにも、国が補完的な取り組みを行うことが不可欠である。政策的に主導すべき3つの点として、起業家や新産業を育成するための環境作り、VCの需要創出、そしてVCの供給拡大があるだろう。ともすれば、政治的にはどれだけお金をつけるかという3番目の点に関心がいきがちであるが、起業や新産業の創出にもっとも重要な点は、起業しやすい環境づくりをいかに整備するかだといわれている。マッチングファンドの利用や海外人材の活用など、成功事例からさまざまな指摘がなされているが、筆者の知る限り体系だった分析が未だなされておらず、この分野での理論的・定量的な研究が今後期待される。

起業や新産業の育成は息の長い長期にわたるプロセスであることを考えると、すでに存在する企業の再生や活性化は、より即効性のある取り組みとして有効である。冒頭にも触れたように、今回の経済危機を通じて、連鎖倒産という外部負経済を政策的に防ぐことの効果が実感されることになった反面、特定の企業が公的支援を受けることとなるような、やや透明性を欠く政策決定プロセスに対して不公平感が高まっていることも事実である。少なくともこうした公的支援により国内市場における競争環境が歪むことの無いように、競争政策的な観点からの事前的・事後的な評価を行い、政府の失敗が最小限に食い止められるような仕組みを設けることが不可欠であろう。また、内需型企業も含めて新興国・途上国を視野に入れた事業展開と、それに向けた事業の効率化・適正化を図るためにも、企業間の合併や合従連衡を積極的に推進していくことが望まれる。こうした業界の集約化・統合化を妨げる法制度は時代に合わせて適宜見直されるべきだろう。

経済活動を活性化させるために、万能の処方箋があるわけではない。起業にしても企業再生にしても、それぞれの案件を取り巻く市場環境や産業構造を考慮した細やかな政策対応が望まれる。透明性・公平性を確保するために競争政策的な考え方を取り入れつつ、市場競争の規律を活かしていかに公的支援を行うか、そしてそうした政策をどのような手法で事後評価するのか、これまでの「産業政策」の研究が対象としなかった新たな視点が今日必要となっている。経済危機後の新しい産業政策を展開する上でも、こうした視点を理論的・実証的に肉付けしていく研究がいま求められているのではないだろうか。

2010年4月20日

本稿はRIETIHighlight29号に寄稿されたものです。

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2010年4月20日掲載

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