新しいぶどう酒は新しい革袋へ -情報通信技術貿易自由化へ向けた知の饗宴-

小林 献一
コンサルティングフェロー

蔓延する保護主義

「最近の仕事は保護主義監視一色だ」。今夏、世界貿易機関(WTO)事務局のあるジュネーブで食事をした際、旧知の米国通商代表部交渉官がつぶやいた。リーマン・ショック後、蔓延する保護主義へ警鐘が鳴らされ続けている。2度にわたるG20(2008年11月、2009年2月)、そしてラクイラ・サミットG8(2009年7月)と矢継ぎ早に、反保護主義の文言が首脳宣言に盛り込まれた。また、これらの動きを受けて、ラミーWTO事務局長も保護主義監視タスクフォースを設置し、今年1月からすでに3回の保護主義監視レポートを公表している(注1)

しかしながら、これらの努力にもかかわらず、本年9月には、オバマ米国大統領が中国製タイヤに対してセーフガード措置を発動すると発表する等、保護主義への対応は、引き続き、喫緊の課題となっている。忍び寄る保護主義に対して、各国通商担当者は手をこまねいているばかりではない。本コラムでは、情報通信技術(ICT)分野における貿易自由化の動きを例に、現在、各国通商担当者が模索している戦略の一端を紹介する。

ICT分野における保護主義と処方箋

まずICT分野における保護主義の現状を紹介したい。ICT製品は技術発展・機能融合の動きが激しい。この特性を濫用して、ICT製品の関税分類を関税率の高い関税番号に変更し、外国製ICT製品の輸入を防ごうとしている国が存在する。たとえばEU。コンピューター信号に加えてデジタル・ビデオ信号も受信することができることを理由に、コンピューター用液晶モニターをコンピューター周辺機器(無税)からビデオ・モニター(14%)に分類変更している(注2)。このようなICT製品の特性を濫用した保護主義は、EUに留まらず、中国等の途上国にも広がりはじめている。

ICT貿易における保護主義に対する処方箋には、2つのアプローチが考えられる。個別問題の解決を積み重ね、既存枠組みのなかでルールをつくるアプローチ(積み上げ型アプローチ)と、交渉を通じて枠組自体を新しく構築するものである(新レジーム構築型アプローチ)。以下、それぞれ説明しよう。

積み上げ型アプローチ

2008年5月、我が国は、米国、台湾とともにEUをWTOに提訴した。上述のコンピューター用液晶モニターを含むICT製品3品目に対するEUによる課税のWTO協定違反(関税譲許違反)が争点だ。日米台は、短期的には当該ICT品目の無税扱いを確保するとともに、長期的には同様なケースを積み重ね、ICT製品の関税分類に関する判断指針をデ・ファクトで確立することを目指している。

WTO協定は、協定解釈の決定に、加盟国の4分の3以上が閣僚会議において合意することを求めている。特定のICT製品の関税分類それぞれについて、いちいち閣僚会議において115カ国(WTO加盟153カ国の4分の3)の賛成を得ることは手続き的に非常な困難を伴う。これに対して、積み上げ型アプローチには、WTO紛争解決手続を利用することにより、デ・ファクトでルール・メイキングができるというメリットがある。しかしながら、本アプローチには、関税分類の争点は多岐に渉るため、1つの製品に関する判例が出ても、必ずしも他の製品に適用できるとは限らないという限界がある。

新レジーム構築型アプローチ

積み上げ型アプローチの限界を、一挙に解決しようとするのが、新レジーム構築型アプローチである。具体例として、我が国が中心となって進めているドーハ開発アジェンダ(DDA)交渉(注3)における電機・電子セクター(E&E)の関税撤廃提案と、EUが提案しているITA拡大交渉(ITA2)提案の2つを取りあげよう。

E&E提案は、AV機器、家電などを含むICT製品500品目すべてを無税にしようという野心的な提案である。E&E提案により関税分類問題の起こりうるICT製品すべてが無税となれば、当然のことながら、ICT製品はどの関税番号に分類されても無税となる。すなわち、関税分類問題は事実上消滅する。このように抜本的な問題解決が期待されるE&E提案であるが、現在、正式に賛成しているのは日米を含む6カ国のみであり、巨大なICT市場を抱えるEUと中国の参加をどのように取り付けるかが、今後の課題となっている。

他方、東欧諸国で生産する家電製品を保護したいEUは、現行ITAを拡大することにより、ICT分野における保護主義問題を解決しようと提案している。このITA2提案は、今後関税分類が問題となりうるICT製品を中心に関税を無税にしようとするもので、たとえば、現在WTO紛争解決手続で関税分類が争われているビデオモニター(EU譲許率14%)等が関税撤廃の対象となるものと予想される。現行ITA協定を拡大しようという提案であるため、本提案には日本、米国、EU、そして中国を含むITA現加盟81カ国を予め交渉テーブルにつけることができるというメリットがある。一方、家電が含まれない等、対象品目はE&Eと比較して限定的となる(その結果、関税分類濫用の可能性が残る)ことはデメリットとして挙げられよう。

貿易自由化へ向けたパラダイム転換を

新約聖書では、「人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます」(注4)と説かれるが、この一節は、転じて、新しい思想や内容を表現するには、それに応じた新しい形式や方法をとるべきだという趣旨で使われる。

トヨタ、ソニー、ユニクロといった企業で急速に進むサプライ・チェーンのグローバル化。21世紀に入り、これまで予想もできなかった規模と質で、経済活動のグローバル化が進んでいる。自由化への変化が急激であるのに比例して、呼応する反動(保護主義の動き)もダイナミックかつ複雑化している。グローバル経済が生み出したこの「新しいぶどう酒」を入れるには、ふさわしい「新しい革袋」、言い換えればパラダイム転換を伴うような枠組みが必要なのかもしれない。

T.クーンを改めて引くまでもなく、パラダイム転換に必要なのは、知(コンセプト)であり、その知への賛同者を広げていく戦略である。現在、新しい革袋をつくろうと、各国通商担当者の間で知の饗宴が繰り広げられている。本稿でとりあげたアプローチ・提案のどれがWTO加盟国に受け入れられ花開くのか。結果が判明するには、もう少し時間がかかりそうである。しかしながら、自由貿易の最大の受益者である我が国に、知による国際貢献が求められていることだけは明らかである。

2009年10月27日
脚注
  • (注1)WTO保護主義監視タスクフォースの活動については、以下のURLを参照のこと。
    http://www.wto.org/english/news_e/archive_e/trdev_arc_e.htm

    また我が国においても、2009年2月に経済産業省が保護主義監視チームを設置し、「経済危機下のいわゆる保護主義を巡る動向と経済産業省の対応」を発行するなど、保護主義監視を強化している。我が国における活動については、以下のURLを参照のこと。
    http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g90527c02j.pdf [PDF:598KB]
  • (注2)詳細については、拙稿RIETIコラム「危機に直面する情報技術協定」2007年4月を参照のこと。
  • (注3)WTOの前身であるGATT時代から数えると通算9回目のラウンド交渉(貿易障壁をとり除くことを目的として世界貿易機関(WTO)が主催する国際会議)。農産品、非農産品市場アクセス、サービス、アンチ・ダンピング等の分野毎に貿易障壁除去について交渉がなされている。詳細については、経済産業省編『不公正貿易報告書』2009年 [PDF:1.3MB]を参照のこと。
  • (注4)マタイの福音書9章17節。

2009年10月27日掲載

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