発展する条約 ~投資協定を題材に~

松本 加代
研究員

最近、投資協定が定める投資家対国家の仲裁制度の利用が増加している。仲裁判断は、国家(地方政府含む)の行為の是非を判断し、時に高額(数億ドル)の賠償判断を伴うため、社会的関心を呼ぶ。法的には、次々に出される仲裁判断によって、条文が解釈され、意味が明確化されること、およびその解釈も発展することの意味が大きい。政府が協定の起草・交渉をする際にも特別の注意が必要である。

投資協定とは?

近年、投資協定が世界中でさかんに締結されている。89年末には385だったものが、90年代にいっきに増え、2005年末には約2500にもなった。投資協定とは、企業や個人などの投資家が外国に投資する際の、投資受入国における投資保護や自由化に関するルールを定めたものである。日本がASEAN各国と締結を進めている経済連携協定の投資章も、投資協定とほぼ同様の投資ルールを定めており、そのような条約の一部の投資章もここでは、投資協定として言及する。

投資協定は、投資家対国家の紛争解決手段として、仲裁手続を設けることが多い。仲裁手続とは、投資に関する一定の事項について投資家と国家の紛争がある場合に、両者の合意などにより任命された仲裁人(多くは3人)が、義務違反などの法的判断を行うものである。この投資協定仲裁の利用も近年頻発している。常設の仲裁裁判所としては、投資紛争解決国際センター(ICSID)が代表的だ。ICSID判断などはホームページ上で公開され、内容を知ることができる。

投資協定は、先進国や発展途上国を問わず、世界中のさまざまな国同士が結んでいる。とはいえ、内容や、またしばし文言が共通することが多い。このため、本来は、その事件に関して当事者のみを拘束するはずの仲裁判断も、公開されたものについては、先例として、別の紛争で当事者の主張や仲裁人の判断の材料として使われる。

「収用」とは? 「公正かつ衡平な待遇義務」とは?

多くの投資協定に共通する、投資家に対する投資受入国の義務として、「収用」に関するものと「公正かつ衡平な待遇義務」(公正待遇義務)がある。「収用」とは、典型的には国家が外国人の財産を接収すること(国有化など)であり、1)公共目的のためであり、2)差別的でなく、3)正当な法の手続きに従い、4)補償の支払いを伴うことが必要とされる。投資協定では、「収用と同等の措置」についても「収用」と同じ要件に服している。公正待遇義務とは、文字通り外国人に対して公正かつ衡平に待遇するべきという義務だ。

これらの義務違反の主張を判断する仲裁判断は、たとえば、以下のような議論をまきおこし、協定の条文やそれにもとづく仲裁人による解釈への問題意識を先鋭化させている。

近年、典型的な「収用」は少なくなってきているため、仲裁でよく争われるのは、国家の規制などの行為が「収用と同等の措置」に当たるかどうかということである。これが肯定されれば、国家は外国企業に補償金を支払わなければならない。ある企業に対する営業許可が住民の反対を受け、軽微な環境規制違反を根拠に覆されるといった、規制に名を借りた恣意的な行為が問題となることもある。一方、国家の規制立法が、たとえば、一般的に適用される公共目的(環境など)である場合は、外国人に対する補償金の支払いを命じる仲裁判断が、国家の規制権限の足かせとなるのではないかとの懸念を呼ぶ。

この懸念をうけて、米国の近年の投資協定やカナダのモデル投資協定は、何が「収用」に該当するかについての判断ポイントを具体的に定めている。これによると、仮に新規の環境立法によって事業の続行が不可能となったような場合でも、それのみを理由として「収用」と認められることは難しいと思われる。一方で、投資協定にそのような明示の文言がない場合でも、近年の仲裁判断の理論構成を見る限り、「収用と同等の措置」の認定はより慎重になっているようだ。これは、政府側と仲裁人(法律家)の政策的懸念がたまたま一致した事例かもしれない。

公正待遇義務について、仲裁でよく争われる論点の1つに、義務の水準が、1)従来から国家が外国人に対して有するとされる国際慣習法上の基準(一見解として、非道、悪意のある、意図的な義務の不履行に至る行為を国際法上の義務違反とするものがある。)なのか、2)投資協定が定めるより高い基準なのかという問題がある。NAFTAでは、政府側が一部の仲裁判断を明確に否定する解釈ノートを発出するなど大論争となった。現在は、その政府側見解である国際慣習法上の基準ということで決着したようだ。

NAFTAのように事後的に政府側によって明確化されたものであっても、同義務の基準は固定されることはなく、発展するものと理解されている。つまり、投資家には、先例よりもより高い水準を主張する余地がある。さらに、一般に、義務の具体的内容は、仲裁人が、個別事件の事実関係をもとに具体化する。この義務の実際的機能(どのような政府の行為から投資家を保護するのか、どの程度、投資家の期待を保護するのか)については、仲裁人(法律家)の果たす役割が非常に大きいといえる。

仲裁人による解釈の幅を念頭においた協定の起草を

以上に述べたように、投資協定の条文は、仲裁における条文解釈によって明確化・具体化される。近年の投資協定仲裁の利用の増加により、その解釈の蓄積は進んでいる。また、第三国同士が結んだ投資協定に関する仲裁判断でも、日本が締結する投資協定の文言の解釈に影響を与えうる。その意味で、協定の起草に際しては、上述の「収用」や「公正待遇義務」に関する議論を一例とする仲裁判断の動向を注視する必要がある。

また、判断の蓄積が条文解釈の明確化に資することがある一方で、そもそも、仲裁廷は、過去の仲裁判断の条文解釈に従う義務はない。その上、条文解釈は発展し、時代に応じて変わることが許容されている。政府が他国と協定の交渉をするに際しては、あえて条文の意味を明確化しないこともあろう。明確化しないことは、意図しない解釈のリスクを負う。それを念頭におきつつ、政府は、どこまでを法律家によるケースバイケースの判断にゆだねるかを検討する必要がある。

2007年1月16日

2007年1月16日掲載

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