イノベーション研究の地平を求めて

尾崎 雅彦
研究コーディネーター

本年7月、経済産業研究所に研究コーディネーターとして着任し、研究所内外の皆様とともに研究プロモートに励むこととなった。私が主に担当する研究分野はイノベーションと金融である。前職で政府系金融機関の銀行員として設備資金や研究開発資金を企業等に融資する業務に従事していた経験があり両分野には土地勘があるものと楽観していたが、今現在、学問としてのイノベーションの世界は磁石の効かないジャングルのようだと感じている。

本コラムでは、イノベーション研究の全体像を把握する試みを私見ながら述べてみたい。

ますます必要となるイノベーション研究とその多様性

労働力人口が減少する我が国において、イノベーションによる生産性向上が重要であることは言うまでもない。経済産業研究所は、今年度からの中期計画において3つの基盤政策研究領域
(1)少子高齢化社会における経済活力の維持についての総合的な研究、
(2)国際競争力を維持するためのイノベーションシステムについての研究、
(3)経済のグローバル化、アジアにおける経済関係緊密化と我が国の国際戦略に関する研究、
の1つに位置づけており、すでに多数の意義あるプロジェクトが開始されている。

もちろんイノベーションは諸外国においても広く重大な関心事であり、YAHOO!で検索すれば話題の地球温暖化(global warming)の3倍近い148百万件のヒットがある。毎年多くの学術論文が経済学ばかりでなく、経営学、社会学、情報工学或いはエンジニアリングなどといった多様な領域から発表されており、日々新たな知見が積み重ねられているのである。

しかし、困ったことにアプローチが異なるのは当然だとしても、各領域で使用されている用語の定義すら必ずしも統一されていないのである。そのため、個々の論文の理解はともかく、膨大な数の研究成果を概観しようとしても容易ではないのが現状である。

イノベーション・プロセス

1つの視点として、イノベーションが発生し経済成長に至るまでのプロセスで個々の研究を配置してみるということが考えられる。シュムペーターに始まる過去の研究成果等によれば、イノベーションはミクロレベルで発生し創造的破壊をもたらし、それが産業レベルに広がりマクロレベルの経済成長へと繋がる。ミクロレベルをブレークダウンすれば、そこでは基礎研究・応用研究(Science)←→技術開発(Technology)←→商業化(Industry)が相互にリンクする関係が見られるだろう。

このプロセスの各節においてイノベーションの阻害要因を取り除いていくことができれば、全体としてイノベーションを活性化することができるだろう。

セクトラル・システムズ・オブ・イノベーション

もう1つの視点として、個々の研究をセクター別に見るということが考えられる。前述のイノベーション・プロセスに沿って問題を一般化して解明しようとしても、産業特性の違いがそれを困難にするだろうことは容易に予想される。Malerbaは産業特性を(1)知識と技術(科学、技術、暗黙知、経験、職人芸等)、(2)アクターとネットワーク(消費者、起業家、科学者、需要者、供給者、大企業、中小企業、大学、金融機関、政府、組合、連合、各種団体等)(3)制度(規範、基準、習慣、規則、規格、法律、規制等)の3つのbuilding blockに分け、それらと需要をセクター(従来の産業分類ではなく各building blockで有機的なつながりがあり、かつ境界が固定化されていない集合)別に観測することで、より有効なイノベーション発生メカニズムの分析や競争力比較を行えるという考え方を提示した。これがセクトラル・システムズ・オブ・イノベーションというコンセプトの私なりの理解である。

個々の研究成果を各セクター毎に分類し、それぞれのイノベーションのbuilding blockにおける共通点または相違点を横断的に分析することができれば、セクター別に効果的なイノベーション活性策の検討が可能となるだろう。

果たしてイノベーション・マップは描けるのであろうか?

これら2つの視点を経度と緯度に見立てて地図を描く。その地図を片手に、出会った新たな知見が過去の知的集積の中のどこに位置し、どう関連しているかを知ることでより深く広い理解ができ、またより的確なベクトルで政策提言が行える。そうなればどんなにいいだろうかと夢想している。

しかし、そのためには国内外の論文を理解し再整理するという気が遠くなるような作業を行わなければならないだろうし、研究所内外の研究者の皆様とできる限り問題意識の共有を図り、パズルのピースとなり得る新たな研究に着手することが必要だろう。

「イノベーション・マップを描く」このような考え自体が途方もないことで浅知恵なのかもしれないと恐れつつも、まだ見えぬ頂きに向かうことに強いモチベーションを感じている。

2006年10月17日
文献
  • Franco Malerba, 2005. "Sectoral systems of innovation: a framework for linking innovation to the knowledge base, structure and dynamics of sectors," Economics of Innovation and New Technology, Taylor and Francis Journals, vol. 14(1-2), pages 63-82, January

2006年10月17日掲載

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