ワーク・ライフ・バランスと妻の結婚満足度:少子化対策の欠かせない視点

山口 一男
客員研究員

結婚・育児の機会コストだけでは解明できない少子化問題

日本はお金が尊ばれる社会になってきている。幸せもお金で計られる時代なのだという言辞を、巷でも、マスコミの議論からも聞く。本当にそうなのだろうか。金銭中心の発想は少子化対策にも影響していると思える。筆者を含めて多くの研究者が、育児と仕事の両立度、男性を含めた働き方の見直し、育児の喜びの促進、などが少子化対策の基本であると主張してきても、実際に子供を持つことの障害として経済的負担をあげる親が多いこともあいまって、効果の怪しい育児手当の増額というような金銭本意の政策が少子化対策の中心にすえられたりする。問題は金銭では簡単に計れない要因が人々の行動を支配している点である。もちろん金銭面が重要でないわけではない。経済学者も、そして社会学者である筆者も、結婚・育児の機会コストには着目してきた。結婚や育児により、離職や転職を余儀なくされ将来にわたって失う収入のことである。実際育児と就業継続の両立をより容易にし機会コストを軽減させる育児休業制度は、他の条件が変わらなければ出生率を高めるという実証的確認を筆者も得ている。一般に育児と仕事の両立度を高める政策の大切さを主張するのもその理由である。

しかし、機会コストという概念だけでは理解が不十分なのではないか? そういう疑念が常に心に渦巻いていた。その疑念の中にワーク・ライフ・バランスの考えがあった。ワーク・ライフ・バランスは、仕事と家庭の、あるいは仕事とプライベートな生活の、両方に価値をおく人々が大多数となる社会を前提とするとき、どちらも犠牲にしないですむいわばWIN-WINの道をいい、人々が柔軟に働ける社会を作るという雇用や労働市場のあり方の改革を求める側面と、人々が柔軟な働き方を通じて家庭生活や個人生活の充実を図るという側面をともに強調している。筆者はまず前者と少子化の関係をOECD諸国の分析で明らかにしようとした(RIETIディスカッションペーパー『女性の労働力参加と出生率の真の関係:OECD諸国の分析』)。そこで実証できたことは、女性の就業の増加がさらなる少子化を招かないためには人々が柔軟に働ける雇用や勤務のあり方が必要欠くべからざるものであるという結論であった。

では、人々の家庭生活におけるワーク・ライフ・バランスと少子化との関係はどうなっているのか。経済学者なら、そんなことは個人の領域のことだ、放っておけ、と考えるかもしれない。筆者も他人の生活の選択にあれこれいうのは気がとがめる。しかし人々が結婚や子供を育てることから満足を得られないことが、晩婚化や少子化と深く関連しているならばその原因を生活面から知ることは必要である。しかし家庭生活の過ごし方が、政策や社会改良にどう結びつくのか? それには発想の転換が必要であった。物事をお金だけで計ろうとするから、お金で計れない要素が落ちてしまう。だから尺度を変えてお金の価値も含めて、すべて幸福度や満足度を尺度として計れば、生活面の要因と社会との関連も見えてくるのではないかと考えた。それで少子化との関連上、まず有配偶女性の結婚満足度の決定要因を明らかにし、それに対する貢献の大きさで物事の相対的価値を計ってみようと考えた。以下は、そのような問題関心から発した、近々RIETIのディスカッション・ペーパーとして発表する研究結果の要旨である。

少子化対策に有効なワーク・ライフ・バランス

まず結婚満足度は妻の出生意欲に大きく影響することが確認された。既に2子をもうけている場合には影響がないのだが、結婚満足度が高いと1子目と2子目の出生意欲は増すのである。たとえば1子目を「是非欲しい」と答えた人の割合と「欲しくない」と答えた人の割合の比は結婚満足度について「非常に満足」と答えた人は24.5、「普通」と答えた人が4.4で、前者は後者の5.6倍にもなっている。またすでに子が1人いる妻で第2子を「是非欲しい」と答えた人と「欲しくない」と答えた人の割合の比は「非常に満足」と答えた人が6.6「普通」と答えた人が2.7で前者は後者の2.4倍となっている。また出生意欲は実際の出生率と強く結びついており、筆者は有配偶女性で子どもを「是非、欲しい」、「条件によっては欲しい」、「欲しくない」と答えた人々がその後の5年間で子どもを出産する割合は、それぞれ約68%、42%、8%と推定している。妻の結婚満足度を高めることは少子化対策にとって有効なのである。

さて、問題は妻の結婚満足度に影響する要因は何で、その程度はどれほどかである。筆者は1つの分析上の戦略をたてた。それはこれらの決定要因を見定めるのに、個人間比較から得られる情報は用いず、同一個人内の変化のうち何が結果に影響したかの情報に基づく分析をするという方針である。それはこうすればこうなるという、因果関係により近い情報が得られると考えたからである。下記の表は人を追跡するパネル調査データに基づき、そういった個人内変化の情報だけを用いて結婚満足度の決定要因を分析した結果のまとめである。ここで解釈に注意を要することは決定要因の重要度の順位は統計的な説明力の順位で、変化が乏しいと説明力が少なくなることである。たとえば夫の失業は、起これば非常に大きな影響を持つが、多くの妻はそれを経験しないので説明力の順位は下がっている。

ワーク・ライフ・バランスの要因その他の要因
1位共有主要生活活動数
2位結婚継続年数(負の効果)
3位第1子の出生(負の効果)
4位夫婦の平日会話時間
5位夫婦の休日共有生活時間
6位夫の失業(負の効果)
7位夫の育児分担割合
8位世帯の預貯金・有価証券額
9位夫の収入

ここで「主要生活活動」とは休日の「くつろぎ」、「家事・育児」、「趣味・娯楽・スポーツ」、平日の「食事」と「くつろぎ」の計5活動であり、それらを妻が夫と共に過ごす大切な時間と思うか否かで評価されている。表が示すように、ワーク・ライフ・バランスの要因は結婚満足度に大きな影響を及ぼす。この発見は、ワーク・ライフ・バランスには雇用や勤務の柔軟性など家庭の外での制度の変革が必要であるが、それと共に夫婦が家庭の中で過ごす過ごし方にも変革が必要であることを意味する。夫婦が共に過ごす時間にお互いの心の支えとなるような質を与えることが重要である。質といっても難しいことではなく、平日は夫婦がともにする食事とくつろぎの時を大切にし、休日にはくつろぎの時に加えて、家事・育児や趣味・娯楽・スポーツなどを共有することであり、またそれらの生活活動の中で対話の時を多く持つことである。

妻が最初の子を産むと結婚満足度が大きく下がり2子目3子目の時は、同様の変化が起こらないことは特筆に値する。この1子目出生の影響の程度は大きく、例えば夫が失業したときに起こる結婚満足度低下の3分の2ほどの大きさなのである。妻が子どものいない家庭生活から子どものいる家庭生活への移行に適応できず、それが大きなストレスを生み出していることは疑いがない。核家族社会で夫が仕事中心の生活のとき、妻がたった1人で未経験の子育てに向かうことの精神的負担は大きい。「女性は育児に適しており、誰でもそれをこなせるはずだ」といった先入観を排除し、問題をより深く解明し、社会がどう対処したらよいかを考える必要がある。しかしまずは男性の育児休業を促進し、特に1子目の出生時に夫が十分育児分担し、他の主要生活活動も夫婦で共有できることが大切である。それとともにコミュニティの育児支援が初めて育児経験をする女性を主たる受益者として計画されることが考えられよう。ネガティブな最初の育児経験は第2子の出生率を下げることは疑いがない。

ワーク・ライフ・バランスとともに求められるワークシェアリングの見直し

一般にワーク・ライフ・バランスの達成には夫婦の家庭での時間の過ごし方の改革だけでなく、そのような夫婦の時間の過ごし方を可能にする働き方、特に男性の働き方、が変わらねばならない。永井暁子氏(2006)の研究によれば午後7時までに夫が帰宅する割合はストックホルムで8割、ハンブルグで6割、パリで5割に対し東京では2割であり、またベネッセ教育開発センター(2006)の報告によると幼児(就学前の3~6歳児)のいる家庭で午後11時以降に帰宅する父親の割合は東京で25.2%、ソウルで9.9%、北京で2.0%、上海で2.1%、台北で5.0%となっている。男性の就業時間が長すぎることがワーク・ライフ・バランスを損なうことは自明である。

しかし、夫の就業時間・残業時間が減り所得が減れば妻の夫への経済力信頼度が減り、妻の結婚満足度が減るのではないかという疑問が残る。これを調べるために、かりに就業時間を減らして月収10万円減ったと仮定し、ワーク・ライフ・バランスの条件を改良して同じ結婚満足度を維持するにはどの程度の改良が必要かを計算してみた。つまり夫の収入も様々なワーク・ライフ・バランスの特性も結婚満足度への影響を尺度として量り比較してみたのである。結果は月収10万円減ることによる結婚満足度の低下は、(1)平日に「食事」または「くつろぎ」の時間を妻が夫と過ごす大切な時間と感じる日が以前より6日に1日増えること、(2)平日の夫婦の会話時間が1日平均16分増加すること、(3)妻が夫と過ごす大切な時間と感じる生活時間の総計が休日1日平均54分増加すること、(4)夫の育児分担割合が(たとえば15%から18%に)3%増加すること、でそれぞれ相殺されることがわかった。これは(1)~(4)のすべてでなく、どれ1つを達成しても同じ結婚満足度を維持できるという意味である。もちろんこれは平均であって、月収10万の違いが大きな意味を持つ夫婦もいるだろう。しかし、平均的には結婚満足度はお金では非常に買いにくいものなのである。同様なことは育児への負担感を育児手当で「買おうと」する試みについてもいえる。結論として夫の就業時間減少による所得減少は、それで解雇されることがないと保証される限り、ワーク・ライフ・バランスの達成で十二分に相殺され、妻の結婚満足度にとってプラスとなる。

ではなぜわが国では男性の就業時間が他国より長く、結果として夫の帰宅時間が遅くなるのか? その根本原因は1人当たりの業務量が多いからであると考えられる。比喩的にいえば10人分の業務量の仕事を8人でしようとするからである。ここで必要なのは本来の意味でのワークシェアリングである。わが国ではワークシェアリングという概念は、景気が低迷し労働需要が減少した時代に、解雇者を出さず雇用者1人当たりの就業時間と給与を減らすリストラ対策の言葉として導入されてきた。したがって景気が回復するにつれ、誰もワークシェアリングなどといわなくなった。しかし本来のワークシェアリングとは、企業が不況時に解雇者を少なくすることに努めるだけでなく、好況時には就業時間を一定の正常な時間以上には増やさず、雇用調整を雇用者数を拡大して行い、一方で働く人々に自分自身や家族のために幸せに生活するのに必要なゆとりのある時間を与え、他方で雇用をより多くの人(特に現在相対的に人材活用されていない女性と若者)と分かち合うことなのである。今政府も企業も、高い経済的生産性を維持することを国民や雇用者の幸せと結びつける今後の道筋が問われている。筆者はワーク・ライフ・バランスとともにワークシェアリングの考えの見直しが重要と考える。エンデの『モモ』ではないが人々が「盗まれた時間」を取り戻すことが大切なのである。

2006年9月5日

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文献
  • 永井暁子.2006.「家族政策と家族生活の欧米比較」家計経済研究所設立20周年記念講演会『仕事と家庭の両立をめざして』講演原稿。
  • ベネッセ教育研究開発センター.2006.「幼児の生活アンケート:東アジア5都市調査速報」。

2006年9月5日掲載

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