「官学」連携の勧め

安田 武彦
上席研究員

1.着実に進む産学連携

「産学官」という異分野間の連携については、1960年代からその重要性が主唱されてきた。80年代まではこうした「産学官」連携についてはどこかしら、胡散臭いものという印象が拭えなかったが、その後、90年代に入り「産学」の連携は市民権を得始めた。

現在では、「TLO法(大学等における技術に関する研究成果の民間事業者への移転を促進する法律)」による承認ないしは認定を受けた技術移転機関(TLO)は41機関(2004年7月1日現在)にのぼり、また、大学の研究成果を民間に移転する方途としての「大学発ベンチャー」も2002年度末時点で531社(累計)となる等、経済産業省が2002年に設定した3年間で1000社設立の目標に近づきつつある。

もちろん、産学連携にかかるノウハウの不足、TLO等の情報不足等といった産学連携の障害はなお、存在する。しかしながら、この4月に実施された国立大学の独立法人化等の動きを前提とすると、こうした「産学」間の連携の動きは今後もとどまることはないであろう。

2.「官学」連携における彼我の差

このように「産学」の連携はわが国においても着実に進みつつある。その一方で、わが国において、進んでいるとは言い難いのが「官学」の連携、とりわけ経済学分野における政策立案面での「官学」の連携である。

本来なら経済学は、経済社会の諸問題を解決することを目的にしたものであり、その本来の顧客は法制度設計を行い、経済政策を進める中央政府および地方政府であるはずである。とすると、大学等で行われている経済研究と政府の政策は互いに影響を及ぼし合ってしかるべきである。ところがこの点について日本の場合、双方の連携が進んでいるとは言いがたい状況にある。

たとえば、筆者が専門とする中小企業の経済的分析についていうと、米国では中小企業庁が政策課題に密接に関連した実証研究を委託研究として大学に進めさせている。その中には、米国経済全体で生み出されるイノベーションに占める中小企業のシェアや破産経験のある経営者のその後の生活や再起の状況の調査等、政策立案の観点からみても興味深い成果が並んでいる。そしてそれらは基本的に米国中小企業庁のホームページから容易に取得可能である。

個別政策にかかる政策評価も研究テーマとなっており、それもポータブルな医療保険と雇用の流動性、開業の関係、税制変更が開業率に及ぼす影響、改正医薬法によるme-tooドラッグ等に対する検査強化の規模別薬品メーカーへの影響等多岐にわたっている。

英国においても中小企業研究は1970年代まで決して盛んであるとはいえなかったが、サッチャー政権下の1984年、英国における社会科学研究の重要な資金提供者である経済社会研究機構(Economic and Social Research Council)が中小企業政策にかかる研究プログラムを立ち上げた。同プログラムは、「英国を企業家社会へと変える」という当時の政策課題に対応した13のリサーチ・プロジェクトからなり、経済社会研究機構の他、バークレイズ銀行、欧州委員会(EC)、雇用省(後の貿易産業省)、地域開発委員会が参画し、政策問題に関する多くの見解が提示されている。

また、英国の開業促進政策の代表例といわれ、最盛期、10万企業もの新規企業を生み出したという「企業開設手当制度(Enterprise Allowance Scheme)」についてもその発想の大元はウォーリック大学中小企業研究所のStorey教授の提言によるものである。

こちらの国も政策評価は実証経済学の重要なテーマとなっており、「企業開設手当制度」はもとより、信用保険制度、指導・助言制度、サイエンス・パーク等さまざまな施策について厳密な政策評価が行われている。
これに対してわが国においては、アカデミズムと政策との連携は必ずしも盛んとはいえない。またしても自らの領域の例を出すことは己の怠慢を曝け出すようで、いささか、恥ずかしいことではあるが、敢えてこの分野に焦点を絞ると、今日、中小企業を巡る政策課題として最大のものは、(1)開業の促進と円滑な撤退、再生、(2)企業経営に必要な円滑な資金供給であろう。しかしながら、わが国において開業について何故、活発ではなくなったかという問いに解答を出す学術的研究はあまり盛んではない。また、金融面においても欧米に見られるような企業属性毎に見た企業の資金調達の円滑性の研究(たとえば、企業規模、企業と金融機関の関係、企業財務等と企業の資金調達の関係)は最近までほとんど存在しなかった。

かくして政策のそのバックボーンとなる実証研究の間には大きな隙間がある。

3.「官学」連携が進まない理由

それではわが国において欧米と違い、このような溝が存在する理由は何であろうか?
アカデミズムの側から見ると、上に述べた政府からの独立性という意識の他に、経済学者の量の違いがあるであろう。たとえばアメリカのエコノミストの集まりである"American Economic Association"は約2万の会員を抱えている。それに比べ日本の近代経済学者の学界として代表的な日本経済学会は約3000人、経済理論学会も1000人である。しかも、政策と直接、接合点がある実証経済学に携わる者はさらにそのなかの一部である。

こうした圧倒的な量的格差は研究分野のカバレッジに直接関係する。米国では一言で、企業規模と企業パフォーマンスの関係といっても、企業の規模と研究開発の関係を専門に長年、研究しているものから、企業の設立後の経過年数と企業成長の関係を研究しているものなど多様である。これに対して、日本ではそこまで専門分野を絞り込むことは困難である。しかしながら、政策に有用な研究というのはまさに、こうした細分化された分野でのものなのである。かくして、そうした細分化された問題意識に対応できない研究は政策当局にとっては有用なものとは写らないのである。

ただ、こうした日米の研究者のストックの差は、日本の研究者の実証が嫌いだといった選好の差だけによるものでは必ずしも無い。実証研究というアウトプットを産出するためのインプットとしての経済統計に係る情報提供の密度、アクセスの容易性の密度が日米では大きく異なるのである。米国では、統計の個票利用もアカデミック・ユースであれば日本に比べはるかに容易である。日本では個票利用は手続きに時間がかかり、かつ、認められないときもある。
そうであるとすると、経済学におけるヘクシャー=オリーンの定理-つまりその国にとって豊富に存在する資源を使う分野が輸出分野となり、そうではない分野が輸入分野となるという原則が経済分析の分野にも作用することとなり、資源が頭脳一つの理論経済学が相対的に大きなシェアを占めることとなり、わが国の経済学者の中で政策研究の担い手である実証研究を行うものは少なくなるのである。もし、統計情報へのアクセスが、現在より容易であるならば多くの若手研究者が理論ではなく実証を志し、政策との密接な連携を志向する素地が生まれることであろう。

個人情報保護法に見られるように統計をクローズドする動きは近年、強まっている。しかしながら、これらは、企業名のマスキング、悉皆調査からのサンプリング・データの公表等の方法により研究目的の統計データの利用と容易に両立しうるものである。こうした努力が行政庁自身、管理しきれない膨大なデータの「官学」連携による有効な利用につながるのであろう。

4.有効な「官学」連携を進めることは…

以上、我が国の「官学」連携の実態についてみてきた。その中から、統計行政の方向性の重要性が浮かび上がってきたわけであるが、官学連携がさらに円滑に進むためには、以下の点に考慮する必要があろう。

すなわち、「官学」連携の目的を明確なものとすることである。研究者という存在は自由に自身の関心の赴くままに研究を行うが、「官学」連携の場合はそうはいかない。連携当初から(結果ではなく)目的を明確化していることが重要であろう。その意味では、共同研究であればそれなりのオリエンテーションが必要であろう。

いずれにせよ、大学という組織は現在のところ、最も先進的な知識が集約された組織体である。官庁等ではシンクタンクの利用が一時期、盛んであったが、より高度な分析能力を有するのは、大学という部門である。この部門の活性化は、独立行政法人化の流れの中で不可避なものとなっている。そして同時にそれが「官学」連携を通じて日本の経済政策形成の一部となることが、今後の日本にとって重要なことであろう。

2004年10月12日

2004年10月12日掲載

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