「UFJ統合劇」をいかに見るか

鶴 光太郎
上席研究員

この1カ月半を巡るUFJホールディングス統合を巡る動きは、正に、「メーク・ドラマ」を演出したという意味で、アテネ・オリンピックと同様、猛暑のこの夏を更に「熱く」してくれたように感じる。まず、UFJと東京三菱フィナンシャル・グループの突然の経営統合発表と同日のUFJ信託銀行の買収を反故にされた住友信託銀行による東京三菱・UFJ統合協議差し止めを求めた東京地裁への仮処分申請(7月16日)が「統合劇」の始まりであった。仮処分を認める地裁の命令(7月27日)、その直後、間隙をつく形でUFJ「取り」に新たに名乗りを上げた三井住友フィナンシャル・グループの登場(7月30日)で、「UFJ合併劇」の結末はまったく見えなくなった。その後、地裁の仮処分命令を取り消した東京高裁(8月11日)、それを不服とした住友信託の抗告を棄却した最高裁(8月30日)の判断を受けて、東京三菱・UFJは全面統合へ大きく動き出したものの、UFJに対し金融庁が刑事告発を行う可能性があること、三井住友の統合提案に対するUFJの回答期限が9月24日に控えていることなどもあり、最終的なUFJを巡る覇権争いの終着点はまだ見え難い状況といえる。

経営当事者は常に株主の利益への配慮が求められることを明らかにした今回の統合劇

今回の「UFJ統合劇」については、従来のメガバンク同士の統合とは異なる「展開」をみせている。通常の大企業の合併では、その業界への影響力が大きいだけでなく、自社の中でも利害関係が複雑に絡んでくる。このため、交渉は少数の当事者(経営トップ)(規制産業の場合は監督当局も含む)の間で秘密裏に進められ、準備が整ったところで合併が公表されることが多い。そうした「密室」での取り決めは、当然のことながら交渉の当事者である経営陣の利害が最優先されるであろうし、取り決めの仕方もお互いの信頼関係に基づいた暗黙の了解的な性格が強くならざるを得ない。しかし、今回の「UFJ統合劇」の場合は、司法の判断、三井住友の名乗りによって、統合の交渉・作業プロセスが白日の下にさらされることになり、当然そのプロセスも従来とは異なったものとなってきている。

中でも、三井住友がUFJ買収へ名乗りを上げたことがUFJと東京三菱の統合プロセスに既に実質的な影響を与えているという点が重要である。三井住友がUFJに対し、5000億円以上の資本提供の可能性と「対等の精神」による統合を内容とする統合提案書を8月上旬に送付したことで、UFJ側はこれまで門前払いにしていた三井住友の提案を検討せざるを得なくなった。なぜなら、その提案を無視することは株主利益に反し、株主代表訴訟の可能性がでてきたためである。また、東京三菱側もUFJの株主の利益を考慮するならば、三井住友を上回る条件を速やかに提示する必要があり、最大7000億円の出資を約束する基本合意を当初の予定から前倒しして締結・発表した(8月12日)。三井住友側は、さらに、それに対抗する形で、出資額を7000億円まで上積みするとともに、UFJの株主には2割以上のプレミアムを提供する形となる、「統合比率1対1」の提案を行った(8月24日)。

このように、三井住友という競争者の登場は、経営当事者の勝手な論理だけで経営統合を進めることはできず、当たり前のことながら、統合に関わる経営当事者は常に株主の利益への配慮が求められるということを明らかにした点で意義があったといえる。三井住友としては、最終的に買収できなくても、統合劇に参加することでライバル側(東京三菱)の統合コストを高くさせ、自行の競争条件を少しでも有利にしたいとの意図もあるであろう。ただし、三井住友がUFJに対しあまりに有利な条件を出せば、今度は、三井住友の株主が黙ってはいないという意味で三井住友にとっても株主への配慮は重要なのである。

金融当局は統合そのものより、統合後に起こる問題の予防や政策的な準備に務めるべき

一方、今回のUFJを巡るドタバタ劇に対し、金融当局は、自ら「演出者」となって介入するのではなく、表面上は「観客」として事態を見守るという立場に徹しているようにみえる。「護送船団方式」の時代には、銀行の合併をアレンジ、誘導することは当局の「お家芸」であっただけに、合併・統合問題に首をつっこむことは、「裁量行政時代の箸の上げ下ろしまでにわたる口出し」との批判を浴びることを懸念しているのかもしれない。単に、銀行行政の目的が金融システム安定性であれば、メガバンクがどこであろうともUFJと合併してくれれば問題はないであろう。しかし、メガバンクの合併は当然、その顧客である借り手や預金者に影響を与えうるし、その影響は、どのメガバンクが一緒になるのか、また、その統合の仕方で変化してくる。したがって、統合そのものに介入するというよりは、統合後にどのような問題が起こりうるか、それをあらかじめ予想しながら、統合プロセスをしっかりモニターし、問題の予防や政策的な準備に努めるべきである。

東京三菱とUFJの経営統合に関する懸念材料は以下の2点である。まず、東京三菱によるUFJの「救済合併」という当初の趣旨から、三井住友の影響により、「対等合併」の色彩が強まれば、みずほの場合でも明らかなように、文化の衝突や面子への配慮から、人事やシステムの再構築は迷走する危険性がある。その場合、最終的な顧客へのコストは少なからぬものがあろう。したがって、統合プロセスを円滑化するためには、東京三菱サイドがそのイニシアティブを持つことが不可欠である。(銀行合併・統合については、Economics Review No.6参照

一方、経営統合後、UFJ本来のメリットがどこまで維持されるかという問題もある。UFJにとっては、三井住友よりも東京三菱と統合した方が営業地域、業務面、財務面でみて相乗効果が高いといわれているのは、例えば、東京三菱は首都圏と大企業取引に強いが、UFJは近畿・中部地域に広い拠点を持ち、個人向け・中小企業向けの業務に強みを持っているという補完性があるためである。しかし、統合後、こうした補完性がうまく生かされるかどうかは必ずしも自明ではない。アメリカの銀行を対象にした実証分析では、合併後の銀行の中小企業への融資は買収側の銀行の特徴を反映しやすいことが明らかになっている(注1)。また、欧州の銀行を対象にした最近の銀行合併の実証分析をみても、買収された側の銀行から融資を受けていた中小企業は合併した後の銀行から融資を受ける可能性が低くなる(注2)、合併が発表されると株式市場からは買収される側の銀行の借り手はネガティブに、買収する銀行側の借り手はポジティブに評価される(注3)、などの結果がでている。したがって、統合プロセスにおいて、東京三菱が主導権を握れば、経営統合自体はスムーズに進むかもしれないが、UFJの特色である中小企業や個人向けの融資・サービスが統合後も必ず維持されると考えるのは難しいかもしれない。

以上、これまでの「UFJ統合劇」で見えてきたものは、まず、銀行に限らず、合併・統合を考えている経営陣は、従来のように「密室」の中で合併・統合交渉を進める場合でも、それが単に自ら(経営陣)の生き残りではなく、(他の潜在的な合併相手と比較しても)株主の利益になることを説得的に説明できることが求められているということである。それでも、今回の東京三菱のように、統合を行おうとしている経営者は、自らが統合に乗り出されなければ競争相手に統合相手を取られて不利になる、また、自分よりもかなり大きな競争相手には逆に自社が統合され、飲み込まれてしまうというリスクを避けるために、統合の問題点には目をつぶりながらも、せきたてられているように統合に動く場合もある。政策当局は経営統合によって生じうる行政上の問題点を事前に想定しながら、それを予防するような対応を早めに手当てしていくことが重要である。

2004年9月7日
脚注
  • 注1:Peek, J. and E. Rosengren (1998), "Bank consolidation and small business lending: its not just bank size that matters", Journal of Banking and Finance 22, pp 799-820
  • 注2:Sapienza, P. (2002), "The effect of banking mergers on loan contracts", Journal of Finance 57, pp 329-367
  • 注3:Karceski, J., S. Ongena, and D. Smith (2004), "The impact of bank consolidation on commercial borrower welfare", mimeo

2004年9月7日掲載

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