組織のフォーマルな側面とインフォーマルな側面

瀧澤 弘和
研究員

われわれは、組織における雇用主(マネージメント)と従業員の関係がフォーマルな契約とそれを支える法制度に基づいていると考えがちである。しかし現実の雇用主と従業員の関係をフォーマルな契約で書かれた関係としてのみ見ることは誤りであり、インフォーマルな信頼関係の維持こそ重要である。また、フォーマルな関係とインフォーマルな関係は互いに関連し、影響を与えあっている。現在、発展しつつある経済理論の一分野は、この関係に新たな光を当てつつある。

組織における信頼関係の重要性

フォーマルな契約のみに基づいて自己利益を追求するときの契約当事者の行動と、インフォーマルな信頼関係があるときに彼らがとる行動とには大きな違いがある。このことを例証するものとして、Levin (2003)は2001年の夏に発生したユナイテッド航空における労使紛争を挙げている。2000年から2001年にかけての労使交渉が行き詰まる中、パイロット組合は「合意通りに(to the letter of our agreement)」働くことを呼び掛けた。パイロットたちが(合法的に)超過勤務を拒否したり、安全チェックを今まで以上に厳密に行うなどした結果、フライトの遅延とキャンセルが相次ぎ、ユナイテッド航空は一夏で7憶ドルもの損失を被ることになった(Lowenstein, 2002)。読者の中には、日本にもかつて「順法闘争」と呼ばれる労働組合の戦術があったことを覚えている方も多いであろう。これが国鉄に多大な損失を与えたことも周知の事実だ。雇用関係からは少し離れてしまうが、毎日ほとんど顔を合わせずに会話を交わさないほど仲の悪い夫婦でも、フォーマルな関係を維持しているケースはいくらでもある。

通常、雇用主と従業員はたしかにフォーマルな雇用契約を結ぶ。しかし、固定した当事者間で将来にわたって関係が継続すると想定されるときには、むしろ両当事者は相手を信頼して業務を遂行するのが常である。上に挙げた例が示すように、「両者がフォーマルな契約に違反しないのみ」の行動をとった場合のパフォーマンスは、信頼に基づく業務遂行が行われている状態と比較すると著しく落ちる。言い換えれば、インフォーマルな信頼に依存した業務遂行が行われている状態は、フォーマルな契約のみに基づいた業務遂行と比較すると、双方にとって望ましい状態なのである。この状態から、一方が信頼関係を破り、信頼関係が崩壊したときに、初めてフォーマルな契約が登場するのが通常だ。フォーマルな契約に訴えて紛争を解決するのは、あくまで「最後の手段」なのである。

フォーマルな契約と関係的契約

経済学では、書面に書かれたフォーマルな契約のみならず、必ずしも契約に書かれていなくても、長期の信頼関係の中で互いの行動を予測することで保たれる一定の行動パターンも「契約」と見なされる。後者の契約は、「関係的契約(relational contract)」ないし「暗黙の契約(implicit contract)」と呼ばれている。フォーマルな契約と関係的契約の違いは何だろうか。

フォーマルな契約に書くことが出来るのは、たとえば裁判所のような第三者に対して「立証可能な(verifiable)」事態が発生したときに、当事者がとるべき行動である。仮に書面契約の中に、第三者にとって立証可能でない事態についての取り決めを書いておいたとしよう。こうした事態が発生したときに、当事者の一方が契約書通りの行動を取らなかったとしても、裁判所が約束違反の判断を下せない可能性が大きい。逆に、会社のセールスマンが月々いくら売り上げたかは、通常は立証可能な変数(値)と見なすことができるだろう。この場合には、予め売上高に依存した報酬を決めておいて、実現した売上高に応じて給与額を支払うという契約は、実効性を持つ(enforceable)ことになるだろう。フォーマルな契約の実効性の背後には、法を実効化する裁判所のような法システムが控えている。経済学では、こうした契約を扱う理論を「完備契約の理論」と呼んでいる。

他方、関係的契約は、当事者間の長期固定の関係を前提とするものである(注1)。この契約では、たとえ立証可能でなくとも、契約の両当事者がともに観察可能な変数を契約条項に含めることが出来る。関係的契約の遵守は、フォーマルな契約におけるような、究極的に法システムに支えられた実効性に依存するものではない。その実効性は、一方の当事者が約束を破った場合、約束を破られた当事者が、たとえば関係を断ち切ったり、フォーマルな契約に違反しない程度の行動をとるなどして、相手方を「罰する」行動に出ることができることによって担保されるのである。このように裁判所などの第三者に依存しない実効性のことを自己実効性(self-enforcing)と呼ぶ。こうした状況では、要するに相手がこの合意通りに行動したか、合意を破ったかが当事者間でわかればよいのだから、両者に観察可能な変数でありさえすれば、立証不可能な変数でも合意に入れておくことが出来るのである。

関係的契約において一方の当事者が約束違反を行った場合、当事者たちはただちに関係を完全に断ち切ってしまうのではなく、フォーマルな契約に基づく関係に回帰することになるのが通常である。すでに述べたように、フォーマルな契約に基づく関係は、関係的契約が守られている状態に比べると、両方の当事者にとってより悪い状態である。したがって、自分が約束を破った場合、約束を破られた相手がフォーマルな契約関係に回帰する戦略を取ることが予想されるとき、約束を破ることは得策ではない。仮にその場は得をしたとしても、将来のことを考えると損することになるからである。

どのような洞察が得られるのか

組織における活動をこのように見るアプローチは、経済理論の中でも割合最近になってから発展してきたものである。このアプローチによって、どのようなことがわかってきたのかについて、何点か触れてみたい。なお、今までは雇用主と従業員の関係を例にとって説明してきたが、フォーマルな関係とインフォーマルな関係は、その他にも多くの文脈で存在することがわかるだろう。たとえば、フォーマルな法システムによる取引とインフォーマルな(関係的な)取引、距離をおいたバンキング(arm's-length banking)と関係的バンキング(relational banking)等々である。

まず、このアプローチの一般的な長所として、組織をフォーマルな側面とインフォーマルな側面が互いに影響しあう場として捉えられる点にある。このことから、実は組織のフォーマルな側面は、その上に立つインフォーマルな側面が上手く機能するように設計されているという見方をするようになってきた。

第2に、インフォーマルな関係を上手く機能させるようにフォーマルな関係を設計するという観点から、たとえばフォーマルな契約を詳細なものにしないで、わざと曖昧さを残しておくことの合理性が説明できることがわかってきた(注2)。また、雇用関係におけるインセンティブ賃金は市場取引の関係におけるインセンティブ報酬と比べて、弱いものにとどまらざるを得ないこと(たとえば業績に依存しない固定賃金など)が説明できることなどがわかってきた(注3)

第3に、長期的な関係における当事者間の「協力」(上の例でいえば約束の遵守)は、フォーマルな関係によって得られる両当事者の利得が低いほど、守られやすいことがわかる。なぜなら、約束を破った場合に当事者たちはフォーマルな関係に入ることになるが、そこで得られる利得が低ければ低いほど、約束を破ることによる「罰」が重くのしかかってくることになるからである。このことは、雇用システムの変化を初めとする、現在日本が直面している経済システム転換に対しても、一定の観点を与えてくれるかもしれない(Dixit 2004)。たとえば、従来日本の雇用システムについては、中途採用の労働市場がほとんどないため、企業に雇用されている従業員の外部機会が低く、そのことが逆に終身雇用のインセンティブを強めていることが指摘されてきた。しかし、労働市場が徐々に整備されてくると、従業員の外部機会が高まるため、企業内でのインフォーマルな長期関係の維持が難しくなる可能性がある。一般的な意味でだが、労働市場の整備は信頼ベースの雇用関係を難しくしているといえるかもしれない。

第4に、組織におけるマネージメントの役割に関する見方である。このアプローチからは、マネージメントの基本的役割は従業員との関係的契約のメインテナンスにあると考えられる。たとえば、関係的な契約において、どのような変数(たとえば業績測度)を契約に取り入れるべきなのかを決め、一定のコストをかけてそれをモニターするのは、重要なマネージメントの役割であろう。また、関係的契約に与える影響を斟酌した上でフォーマルな契約を設計する必要もある。さらに場合によっては、関係的契約を破る意思決定も必要となろう。しかし、一般に言われているように、古い契約を自ら破っておいて、新しい信頼関係を築くことには、多大な困難が伴うことになろう(Baker, Gibbons, and Murphy 2002)。

もちろん、これらの洞察の大半は、社会学や経営学ではいわば「常識」とされてきたことである。一方、経済学はここ数十年の間、インセンティブ理論が急速に発展するなかで、いかに組織内のインセンティブ・システムを設計するか、インセンティブを強化するかという観点から組織の問題を見ることに集中しすぎた感がある。しかし、経済学も社会学や経営学などにキャッチアップしつつあるということができよう。過去において「ソフト(数理モデルで扱いにくい)」すぎるとされてきたことが、研究者たちのさまざまな斬新なアイデアによって、徐々にモデルで扱えるようになっていくからである。

2004年5月18日

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脚注
  • (注1)あるいは、毎期の取引が終了するたびに、予め決まった確率で次期も取引を継続するか、関係が終了するかが決定されるような状況にも適用されうる。さらに。一方の当事者Aがずっと当事者であり続け、他方の当事者は毎期ごとに変わってもよい。しかし、この場合には毎期入れ替わる当事者たちの間で、Aが毎期どのような行動をしたかに関する情報共有が完全になされていることが必要である。
  • (注2)たとえば、Bernheim and Whinston (1998)を参照。ただし、彼らのモデルは本稿で述べた繰り返しゲームによるものではない。
  • (注3)この現象の存在はウィリアムソンによって指摘されてきたものである。Baker, Gibbons and Murphy (2002)を参照。なお、完備契約理論の理論的結果と異なり、現実には固定賃金が多く観察されることに関しては、多くの理論的説明が提示されてきている。たとえばHolmstrom and Milgrom (1991)は、エージェントが努力を複数のタスクに配分する状況におけるプリンシパル・エージェント関係を分析して、この結果を得ている。また、最近ではBenabou and Tirole (2003)は、強いインセンティブを与えることが、かえって従業員の本当のモチベーションを下げる可能性があるという論理をモデル化して分析している。
文献
  • Baker, G., R. Gibbons, and K. J. Murphy (2002), "Relational Contracts and the Theory of the Firm," Quarterly Journal of Economics, Vol. 117, pp.39-84.
  • Benabou, R. and J. Tirole (2003), "Intrinsic and Extrinsic Motivation," Review of Economic Studies, Vol. 70, pp.489-520.
  • Bernheim, D. and M. Whinston (1998), "Incomplete Contracts and Strategic Ambiguity," American Economic Review, Vol. 88, pp.902-932.
  • Dixit, A. (2004), Lawlessness and Economics: Alternative Modes of Governance (Gorman Lecture), Princeton University Press.
  • Holmstrom, B. and P. Milgrom (1991), "Multitask Principal-Agent Analyses: Incentive Contracts, Asset Ownership, and Job Design," Journal of Law, Economics, and Organization, No. 7, pp.24-52.
  • Levin, J. (2003), "Relational Incentive Contracts," American Economic Review, Vol.93, pp.835-857.
  • Lowenstein, R. (2002), "Into Thin Air," New York Times Magazine, February 17, pp.40-45.

2004年5月18日掲載

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