スポーツ産業振興政策とは何か?

広瀬 一郎
上席研究員

従来スポーツの政策といえば「体育行政」のことを指しており、“スポーツ”の産業振興政策というものは、基本的には存在していなかった。このことは簡単にいえば、産業振興政策を立案・推進する経済産業省にスポーツ産業の振興政策がこれまでになかったことからわかる。「スポーツ産業振興政策」が曲がりなりにも取り上げられたのは、経済産業省の初代サービス産業課課長補佐である平田竹男氏が、「スポーツビジョン21」をまとめた1990年である(同氏は一昨年、その縁あって日本サッカー協会の専務理事に転進されている)。しかし、そこでは主として「スポーツ用品製造業」と「民間フィットネス産業」がフィーチャーされており、スポーツサービスの最大の提供者である「公営のスポーツ施設」や、スポーツ産業としては最も注目される「スポーツ興行」の産業振興という点に関する議論は抑制されていた。これはスポーツの主管庁である文部科学省への配慮が働いたからであろう。いずれにせよ、そこからようやく始まった新しい政策領域であるが、そもそもスポーツの産業振興政策とは何を指し、また何をすべきなのか、という点を再確認しておく必要があろう。

スポーツの有り方で問われる「官民の関り方」

そもそも産業振興策は1980年代と2000年代では様相が異なっている。キーワードは、「ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)」である。戦後日本は開発国型の護送船団方式の政府主導型産業政策でやってきた。しかしここまで民力がついてくると、民間の力をうまく使わなくてはいけないところまで来ている。官僚主導型の産業振興はもはや有効性を失いつつある。近年の公共経済学でも指摘されているように、所謂「混合経済」の有り様として「公私」「官民」の関係がかつてとは大きく異なってきているのである。スポーツには公共性が広く認められている。従って、スポーツの有り様に関しても「官民の関わり方」が問い直される時が来ていると思われる。

もっとも何でもかんでも民間主導が正しいとか、市場に全てを委ねよ、などということではもちろんない。この点、小泉内閣の「構造改革」の論議についても同様な要素が存在する。構造改革はよいのだが、「構造改革によって民間の活力を導入する」ということと、「規制緩和」ということはア・プリオリにイコールではない。民間の力を引き出すためには、市場が公正に且つ円滑に機能しなくてはならない。市場自体が円滑に機能するためには市場というゲームにおけるレフェリーが必要であり、それは究極的には、国の役割であろう。しかし監督やコーチまでも国がやる必要はない。既に国がレフェリーだけをやればよい領域が多い状況なのである。

経済の分野によっては完全に民間の活力だけ、あるいは市場に任せればよいというわけではない。それが「公共経済」と言われる分野である。道路、ガス、電気など、一部公的な側面を持つものが含まれる。ある種の独占性を維持する代わりにどこかで公的な側面を担ってもらう。事業性が低くてもユニバーサルサービスの提供は必要だろうし、価格も簡単には上げることはできない。それらは国民経済全体に大きな影響を与えるため、完全に市場に委ねればよいというものではないのである。

将来的に、未来永劫そうであるかどうかは別として、現在のスポーツというものは何がしかの公的な側面を持ち合わせている。特に日本のスポーツは体育行政の中で行われてきたものであり、教育的な側面が非常に強い。それをすべて民間に委ねてもよいのだろうか。スポーツには市場に委ねたほうがいいものとそうでないものがある。市場に委ねないほうがよいものについては、レフェリーだけではなく監督やコーチも国がしなければならない。市場に委ねたほうが良いものはレフェリーだけをやっていればよい。では市場に委ねないほうが良いものとは何か。これは「パブリック・サービス」という視点にたって考えるべきである。つまり教育的な側面や健康の増進などは憲法で保障された日本国民全てにとっての基本的な権利であるから、それは全員が最低限、享受できなければならない(ユニバーサル)サービスと捉えておくべきである。

そこでもうひとつ別の問題が起こる。「パブリック・サービスはパブリック・セクターだけが行なうものなのか?」という点である。こうした疑問点からNPMは生まれてきたのである。当面の間は、パブリック・サービスとしてのスポーツの最大の提供者は、国などのパブリック・セクターであろう。それは学校体育をみれば明らかである。そのパブリック・セクターの行っているパブリック・サービスとしての「スポーツ」サービスを一部、パブリック・セクターから切り離しても良いのではないか。あるい切り離したほうが良いのではないか。それにより効率が上がりパフォーマンスが上がる分野があるのではないか。そういった動きが今始まろうとしている。これは一スポーツ内部の問題ではないだろう。

アウトソーシング可能な公的スポーツ施設のマネジメント

ここからは筆者の仮説であり提案である。基本的に、公的なスポーツ施設のマネジメントはアウトソーシングしてもよいのではないだろうか。外部受託者が、純民間なのか、あるいはNPO等の中間的な法人なのかは、ケース・バイ・ケースで判断すべきであろう。先行事例はイギリスにある。イギリスは1970年代末のサッチャー政権からプライバティゼーション(民営化)が大変進んでいる。「パブリック・サービスであってもパブリック・セクターがやらなくても良いものはパブリックがやらない」という大きな原則(ディシプリン)のもとで進めてきており、その中にはスポーツも含まれているのである。

たとえば、エジンバラ市の事例が挙げられる。エジンバラ市は、サービス提供者である市営施設の運営スタッフを受託者であるNPOに全員転籍させた。最も注目すべき点は、転籍時に「もしそのNPOがダメになったら、市役所職員に戻れる」という「戻し特約」があったという点にある。一見不合理な感じを受けるかもしれないが、NPOが破綻しても市民に対するスポーツ・サービスの提供は継続させなければならない。そしてその提供は市に責任があるのであるから、サービスを継続させるのに元の職員を採用するのは理に叶っているのである。幸いにしてエディンバラでは、サービスの質が向上し、使用者が増え、稼働率が上がり、事業性は増し、結果職員の給与は増えている。ステークホルダー全てがハッピーな好ましい情況を維持しており、「戻し特約」は履行されないでいる。

こういったケースを日本に置き換えて考えてみよう。受託者として考えられるのは、ナチュラルに考えるならばフィットネス系のコナミかもしれないが、もしかすると、サービスという点ではホテルニューオータニが受けるかもしれない。あるいは介護サービスという点からコムスンかも知れない。あるいはエンターテインメントという点からディズニーかも知れない。地中海クラブなども本業とのシナジーがありそうなので、触手を伸ばす可能性がある。また医療を含めたサービスをしたいということならば医療法人かもしれない。予防医療の促進にはネガティブだといわれている医師会が邪魔立てさえしなければ、医療法人の進出というシナリオは大いに可能性を感じさせる。担い手がどこなのか、担い手によってどんなサービスが期待できるのか、幾つかの具体的なシナリオを検討してみたいと考えている。

各自治体におけるプライバティゼーションのシミュレーション

アウトソーシング展開は「全国一斉」である必要は無いであろう。但し、全国には施設がいくつあり、従業員が何人おり、その時の雇用がどうなるのか、あるいは国・自治体の支出構造がどうなるのか、更にはGDPにどう結びつくのかということの試算をしておく必要はあるだろう。それが「スポーツ産業振興政策」の基本である(0116コラムで触れた「GDSP」を想起されたい)。

現実的には、地方自治体が個別に判断をしてやっていく方が正解なのではないだろうか。初年度は関東では20都市、近畿では10都市、計30都市で開始され、10年後には全国の施設の8割がそうなっていた、というシナリオが最もありそうである。

周知のように埼玉県志木市では一種のプライバティゼージョンを進め、市の職員を減らそうとしている。パブリックなサービスをボランティア等の市民参加型に変えようという試みが成功している。そこで、たとえば志木市にこの考え方を導入し、スポーツ施設のプライバティゼージョンをすすめたときに、志木市の規模でどれだけの効果が見込めるかというシミュレーションができれば、全国で似たような規模の自治体が具体的な検討をする上で参考になるのではないだろうか。あるいは、横浜市の規模ではどうだろうか、10万人以下の都市でも効果はあるだろうか。多様な検討が必要である。但しシミュレーションは飽くまで机上の論でしかない。志木市にそのシミュレーションを提示しても、「それは出来ない」ということは大いにあり得る。ならばその出来ない理由を聴取し、政策で解決すべきものを構造化すれば、政策の骨子は整いそうである。この過程で、文部科学省の青少年・スポーツ局と経済産業省のサービス産業課とが、一緒になって政策検討委員会が開けないだろうか。スポーツは大変多面的なソフトウェアなので、縦割りの対応ではなかなか実効性は期待できない。

求められる公営私設運営における「スキル・スタンダード」の明確化

アウトソースする際には、アウトソースされる側に最低限の運営スキルが必要であることは論を待たない。今後アウトソーシングが大きな流れになるとするなら、受託資格の基準を明確化するものとして「スキル・スタンダード」を検討しておくことが望ましい。内容については、まず現状の運営がどのようなスキルを元になされているのかをヒアリングなどをして把握する必要があろう。その上で、「サービスの質の向上」つまり「顧客満足(CS)」の観点から必要なことを付け加えるべきである。たとえば運動能力が秀でていることと、それを教える能力とは異なるものである。また顧客をリピーターにするためには、顧客データの管理能力も必要である。従来の公営施設運営に欠けがちな「マーケティング能力」が求められることになるだろう。更には事業性に欠くことのできない「マネジメント能力」も不可欠となるだろう。そしてその能力はサービスの享受者だけではなく、提供者にもメリットのあるものでなければなるまい。つまりスタンダード化されたスキルの程度によって賃金の差をつけるべきである。

以上はスポーツ産業振興政策のほんの一部である。総合的に考えれば税のインセンティブなども検討に値しよう。

2004年3月16日

2004年3月16日掲載