中国経済改革の経験と日本への示唆

関志雄
上席研究員

70年代末以来、中国は計画経済から市場経済への移行を目指した漸進的改革の道を歩んできた。その間、中国経済のパフォーマンスは年平均9%という高成長を持続させるなど、90年代以降長期低迷に陥っている日本経済と好対照をなしている。中国のこの四半世紀の経験は、実験から普及へという順序を踏むことや、既得権益をできるだけ尊重すること、旧体制の改革よりも新体制の育成に重点を置くことなどが、改革戦略として有効であることを示唆している。これらの諸点は構造改革に取り組んでいる日本にとっても参考になるはずである。

旧体制の改革より新体制の育成

中国型の改革はできるだけ既得権益に損を与えないような形で、反対の少ない順に進められてきた。これと同時に、実験を繰り返しながら、じっくりと時間をかけて市場とその主体である非国有企業を育ててきた。実行しやすい順で改革を進めると実行しにくい部分ばかりが残り、いずれ行き詰まるのではないかという心配もあるが、この問題は新体制の成長に伴って、利益を得た人から損失を被った人に補償することによって克服できた。

中国型漸進的改革の最初の特徴として、実験から普及へという順序を踏んでいることが挙げられる。まず、特定の地域と企業において実験的に改革が実施され、それが成功すると、全国的な普及に移される。たとえば、対外開放は1980年に設立した深センをはじめとする4つの経済特区という「点」から始まり、沿海地域という「線」に、そしてほぼ全国を網羅する「面」へと広がってきた。企業改革においても、1978年に四川省の6つの国営企業に対して自主権を拡大させる実験から始まり、その後も、請負制や株式制の導入などの改革における節目に、一部の企業による実験的実施が繰り返された。これによって、失敗した場合のリスクを最低限に抑えることができる一方で、成功を収めれば旧体制に対するデモンストレーション効果も期待できる。

中国型漸進的改革のもう1つの特徴は、旧体制を維持しながら新しい体制の適用範囲を徐々に広げることである。こうした市場経済への移行過程においては、計画経済と市場経済が、経済システム全体と各サブ・システム(企業、価格形成、貿易、為替など)において二重構造(いわゆる「双軌制」)という形で長期間にわたって共存することになる。国有企業と非国有企業の共存や、同じ商品に関する二重価格構造(計画価格と市場価格)、93年末まで採られた二重為替レート(国有企業と外資企業など非国有企業に適用する別々のレート)政策はその典型である。

経済改革を円滑に進めるためには、できるだけ多くの人々に利益を与え、不利益を被る人を最小限に抑えなければならない。受益者から被害者への所得移転といった形で補償が行われれば、改革への抵抗が弱まるであろう。たとえば、価格・為替の双軌制の下では、国有企業は市場で高く取引される原材料や外貨(計画内の分に関して)などを従来通り割安の計画価格で入手できる。このように、双軌制には、既得権益を保証するシステムが内蔵されているといえよう。

しかし、単に既得権益を尊重し、旧体制の改革を遅らせるだけでは、経済状況がさらに悪化し、最終的には急進的改革に踏み切らざるを得なくなるリスクが高まる。漸進的改革を成功させるためには、新体制の成長が旧体制を改革するための条件を創出しなければならない。中国の場合、非国有企業の急成長がまさに国有企業の改革の条件を提供しつつある。工業生産に占める国有部門の割合は改革開放当初の80%から30%を割る水準にまで低下しており、その代わりに外資企業や民営企業など非国有部門が中国経済の担い手になりつつある。こうした中で、非国有企業が国有企業改革によって職を失う労働者に新たな雇用機会を与えるだけでなく、非国有企業による国有企業の買収も頻繁に行われるようになった。このように、新体制(非国有企業、市場経済)による旧体制に対する包囲網が形成され、孤立しつつある旧体制はいずれ戦わずして、自然淘汰されることになるであろう。

「総論賛成、各論反対」を乗り越えるために

改革の成果を挙げつつある中国に対して、日本経済は成熟期に入り、特に90年代に入ってからはバブルの崩壊とともに長い低迷が続いている。これは単に景気循環要因だけではなく、これまで日本経済を支えてきた諸制度が、もはや新しい環境に適さなくなっているにもかかわらず変革が先延ばしにされているという構造要因によるところが大きく、制度の全面改革が迫られている。こうした要請に答える形で、前川レポートから小泉首相が提唱する「聖域なき構造改革」に至るまでいろいろな提案がなされている。これらの改革案では、規制を緩和し競争原理の働く環境を創らなければならないという主張が、ほぼコンセンサスとなっているように思われる。しかし、計画と実行の段階において既得権益層の強い抵抗に遭い、改革はほとんど進展を見せていない。改革が行われれば素晴らしい世界が待っていると分かっていても、ゴールに到達するためにどのような道筋が描かれるのか、ということに関する分析が欠けたままである。

どこの国でも、改革は困難を極める過程である。改革が効率を高め、経済全体のパイを大きくするものであったとしても、必ず行われるとは限らない。なぜなら、これらの便益は均等に分配されるとは限らず、得する人がいる一方、損する人もいるからである。そのため、「総論賛成・各論反対」の言葉の通り、関係者が建前として改革を支持しても、いざ具体論になると、それによって損を被る一部の人々が反対に回るのである。郵政三事業や道路公団の民営化をはじめ、小泉政権が推し進めている構造改革が思う通りに進まない理由はここにある。

このように、「総論」は社会全体の利益に基づく議論であるのに対して、「各論」は各利益集団の立場からの、「部分益」に立脚した議論である。効率を重視する経済学者は常に改革を支持するが、一方では、既得権益の尊重を含めた、所得分配に対する配慮から、改革に消極的な政治家が大勢いる。改革に反対する人々は抵抗勢力として批判されるが、利益団体とそれを代表する政治家たちが、他の経済主体と同様、現存の法律といった制度(いわゆるゲームのルール)の下で自分の利益を極大化するように行動しようとしていることを考えると、彼らが「悪い」と決め付けることは必ずしも妥当ではない。

全ての人々に利益をもたらし、誰1人にも損を与えないような改革は、反対する人がいないため最も進めやすいのである。これは「パレート最適」改革といい、痛みを伴わない改革に当たる。従って、既得権益の尊重は改革を円滑に行うための1つの大原則であるといっても過言ではないであろう。既得権益の尊重は経済改革の敵であると思われがちである。しかし、既得権益の尊重と経済改革は改革で損する人々に補償することを通じて、両立できるはずである。これは明示的に国家予算を通して行われることもできるが、旧体制を残存させながら、新体制の育成に力を入れることによっても達成できる。

中国の経験は、改革を成功させるために、旧体制を破壊するよりも新体制の育成が戦略的に最も重要であることを示唆している。また、中国の非国有部門のように、新体制が最初の段階において脆弱かつ不完全であっても、その潜在的な発展の可能性を無視すべきではない。日本の改革に当てはめると、成熟産業よりも成長産業、大企業よりもベンチャー・ビジネスに目を向けなければならない。これに加え、外国企業による対内直接投資をも積極的に活用すべきであろう。直接投資の流入が技術や経営ノウハウの導入、雇用創出やスキルの開発、競争の促進による生産性の上昇や消費者利益の拡大を通じて、日本経済の活性化につながることが期待される。

一方、既得権益の反対を和らげる手段としては、該当者に対する補償が有効である。これは、財政などを通じて所得を移転する場合と、当事者間の交渉による所得移転のケースが考えられる。日本では、前者の例として、ウルグアイ・ラウンドの米の輸入自由化に伴う6兆100億円にも上る農業対策費、後者の例としては一部の企業が(終身雇用という暗黙的契約の変更に伴って)実施している早期退職制度がある。また、官民の癒着につながるため、高級官僚の天下りを止めるべきだという議論があるが、天下り禁止に合わせて、公的資金から補償金を支払う(天下り権を買い上げる)考え方の方がより現実的であろう。

日本の財政支出は、公共事業の配分比率が(事業別または省庁別で見て)ほぼ固定されていると言ってもよいほど硬直化している。これは既得権益の保護が予算制度に内蔵されていることを意味する。その結果、事業費は常に伝統分野に集中し、新しい時代の要請に応えることができない。これを改めるために、理想論としては、従来の枠(利益分配の初期条件)に一切こだわらずに(効率を最大化するように)急進的改革を断行すべきであるが、受容性の観点からは、むしろ縮小すべき分野の予算規模をできるだけ維持しながら、事業費の増分に限ってできるだけ新しい分野に振り分ける漸進的改革が現実的であろう。

これまで日本では、政府が既得権益を尊重するあまり、改革が進んでこなかった。現に、景気対策という名のもとで百数十兆円の公的資金が、次から次へと衰退産業につぎ込まれた。国全体の投資効率は益々悪化し、産業の高度化も一向に進展していない。中国の経験から我々が学ぶべきことは、既得権益の保護も結構だが、これと同時に新体制の育成を精力的に推進しなければならないということである。

2004年1月27日

2004年1月27日掲載