米国鉄鋼セーフガード紛争が残した課題-リバランスの成功とセーフガード協定の限界-(下)

川瀬 剛志
研究員

前回の要約-2002年3月に発動された米国の鉄鋼製品に対するセーフガード措置が昨年12月に撤廃された。これはWTOによって当該措置の協定違反の判断が下されたことに加え、各国の対抗措置(リバランス)の圧力が功を奏したことによるものである。リバランスはこのように功を奏した一方、セーフガード協定8条の不出来のためにその発動手順が明確でなく、更に明らかに協定違反のセーフガード措置に対して短期的に対応することが難しいことを露呈した。今回のような極度のセーフガード濫用を防止するにはリバランスは強化される必要があると筆者は考えるが、他方、効き過ぎるリバランスは以下のように思わぬ結果を生むことがあることに注意を喚起したい。

効果的なリバランスの副産物

昨年12月5日付のNYタイムズ紙は、本件において、リバランスによって米国が蒙るコストがいかに高いものとしてホワイトハウス内で認識されていたかを報じている(New York Times, Dec. 5, 2003, at A28)。こうしてセーフガードを発動・維持することのコストが高くなった場合、WTO加盟国はどのように行動するのか。その答えは今回米国の取った(あるいは取るといわれている)一連の行動に見てとれる。

第1に、米国は今後もセーフガード対象品目の輸入についてライセンス制を維持し、輸入動向を監視する。このようなモニタリング制度は70~80年代に輸出自主規制(VER)の実行手段として利用されたものであり、当局の数値発表やそれに対する反応は、輸出者にとってよりドラスティックな保護措置導入の「警告」として理解される。今回も米鉄鋼各社はセーフガード撤廃にさきがけ、日韓に鉄鋼VERを求めるよう大統領宛の書簡[PDF:60KB]を発出しており、大統領声明はこれに応えるように、「行政府が輸入急増に迅速に対応できるように」モニタリングを実施することを明言している。こうした米国の空気をふまえ、日本の鉄鋼業界には今後の対米輸出再開に慎重な空気が漂っている(日経産業新聞12月8日付3面、東京読売新聞12月6日付朝刊11面)。

今回は公式・非公式にも、二国間の合意はおろか、協議にも至っていないが、セーフガード等の輸入救済法が発動しにくい場合、セーフガード協定11条で禁止されているにもかかわらず、VERのような「灰色措置」が取られる傾向にある。日本も2001年には中国からの一部農水産品(ねぎ、しいたけ、ウナギ等)の輸入につきセーフガード発動を見送った結果、これらの輸入動向監視を導入し、あるいは生産数量を中国と協議した。また、極端な例になると、米加のように条約ベースで堂々と(!)輸出自主規制協定(針葉樹製材)[PDF:1MB]を締結するケースもある。

第2に、一部の報道によれば、米政府によるダンピング防止税の新たな調査開始や現行課税の見直し・引き上げの可能性が示唆されている(Inside US Trade, Dec. 5, 2003, at 1)。ダンピング防止税や相殺関税にはリバランスの適用がなく、従って、仮にこれらの措置がWTO協定違反の判断を受けても、通常の紛争解決了解(DSU)の手続を完遂する以外に解決の方法がない。この場合、解決までにより長時間を要するのは前回引用したメキシコの指摘のとおりである。たとえば、米国の日本製熱延鋼板に対するダンピング防止税については、昨年12月10日、今年7月31日までの違反措置是正期間の再延長が日米間で合意された。この件の上級委員会報告は2001年8月に採択されているので、実に協定違反確定から3年(二国間協議の申立から実に5年近く!)経過して、いまだに違反措置が完全に是正される保証はないのである。

また、協定上では、ダンピング防止税および相殺関税は見直しがないかぎり5年で撤廃されることになっているが(いわゆるサンセット条項、ダンピング防止協定11条および補助金相殺関税協定21条)、現行の米国通商法に規定される見直し方法では、相当の確率で課税存続の決定がなされる。しかしながら、米国のドイツ製表面処理鋼板に対する相殺関税、および日本製耐蝕炭素鋼板に対するダンピング防止税それぞれに対するサンセット条項の適用に関する二つの上級委員会報告は、米国の見直し法を協定違反とせず、現行のサンセット条項の機能の限界を露呈する結果となった。したがって、仮にセーフガードに代わってダンピング防止税等が適用された場合、その撤廃は非常に困難になる。

現状では「使えない」セーフガード

以上のことに鑑みれば、セーフガードはその濫用を戒められる一方で、より重度な保護主義的措置に帰結しないように「適度に使える」制度でなければならない。セーフガードが保護主義圧力の「安全弁」といわれる所以である。また、各国は将来輸入急増によって国内産業に損害が発生したときに救済措置がなければ、貿易自由化をためらうだろう。セーフガードによってそのような不慮の事態に救済が得られることが約束されれば、各国は安心して貿易自由化にコミットできる。この点からも、いざという時にはセーフガードを使えることが、加盟国に対して明白でなければならない。

このようにセーフガードが機能するためには、どのような状況下においてどのように発動すれば、協定整合的でリバランスを免れられるセーフガード措置であるのかが、誰の目にも明白でなければならない。にもかかわらず、現状ではセーフガード協定およびパネル・上級委員会の協定解釈は、何が協定整合的で当面リバランスを免れられるセーフガードであるかにつき、明確な回答を与えていない。しかも、これまで8件(繊維セーフガードを含めると11件)のセーフガードに関する紛争の全てにおいて問題のセーフガード措置を違反とした上でのことである。

サイクスは先に引用した論文の続編となる近著[PDF:530KB]で、この状況を「方針の迷走(policy at sea)」と痛烈に批判しているが、輸入増加のあり方や、輸入と国内産業に発生した損害の因果関係の分析手法など、許されるセーフガードの具体的な像ははっきりしない。特に因果関係論につき、セーフガード協定4条2項bは輸入増加とそれ以外の要因とを明確に区別し、それぞれの国内産業の損害への寄与度を明らかにするよう求めているが、定量的に極めて困難なこの作業の指針を十分に明確にしていない。その一方で、損害は必ずしも輸入増加だけで引き起こされるものではないとしているが、その判断は理解に苦しむ。

この現状では、セーフガードは「使える」制度からほど遠い。加えて先のようにリバランスもある程度効を奏するとなれば、各国がセーフガードを避け、代替的な保護措置に逃避することも無理からぬことである。

「政治的」紛争に消極的な上級委員会

では、今回の米国鉄鋼セーフガード紛争においてセーフガード発動基準の明確化はどの程度進んだといえるのかというと、残念ながら今回の上級委員会報告[PDF:1MB](パネル・上級委員会報告の概要はアメリカ国際法協会のASIL Insightを参照)を読むかぎり、進展はない。米国の措置の政治性については、一昨年3月の相樂研究員によるコラムで明らかにされているが、ジュネーブ在住でベテランの通商法弁護士たる筆者の友人は、本件を「極めて高い政治的優先順位からして最近では最も重要な案件であろうが、法的観点からすれば、上級委員会の判断は注目に値しない」と評した。遺憾ながら、上級委員会は本件の政治性ゆえに最低限の法的判断にとどめ、多くを語ろうとしない態度に終始しているのが実情である。

たとえば、本件において大統領は、米国際貿易委員会(ITC)の6委員のうち、ブリキ産業について損害ありとした委員の1票と、ブリキと他の産品と併せたより大きな産業について損害ありと見なした委員の2票を合算し、ブリキについて米国法上措置発動に要する3票を獲得した。産品・産業の区分が違う複数の損害認定は異なる輸入や損害データに基づいて行われており、本来相互に整合的ではない。パネルはこのように実質的な論拠に基づかないセーフガード発動の協定違反を認めたが、上級委員会は3委員の個々の意見をパネルが検討しなかったことを理由にパネルの判断を破棄し、異なる産業区分に基づいて行われた損害認定がセーフガード措置を合理的に正当化できるかどうかについては、判断していない。うがった見方を承知でいえば、上級委員会は、結局のところ多人数の独立行政委員会という米国の統治機構のあり方に干渉すると見なされる議論を避けたかのではないか。

同じことは因果関係についてもいえる。本件において上級委員会は、他の論点において米国措置の協定違反が明らかであることから、因果関係の判断の必要はないと明言している。上級委員会は、被申立国である米国が因果関係についての判断を強く求めたことを認識しつつも、今後の協定遵守のためのガイドラインとして判断を求めるとの口頭聴聞における米国の発言をとらえて、いくつかの先例をガイドラインと称して紹介するにとどめた。このような上級委員会の姿勢は、加盟国の批判を特に浴びている不明確な因果関係要件を避けてしまったことで判例法の発展に寄与しなかったばかりか、提起された問題の全てに対する回答を求めるDSU17条12項に照らし、法的に適切か否かさえも疑わしい。

確かにDSUを俯瞰するとその第一義的な目的は個別案件の解決にあることは明らかで、上級委員会報告は当事国に対してのみ効力を持ち、後のパネル・上級委員会の判断を拘束しない。しかし他方で、DSU3条2項は紛争解決手続を「多角的貿易体制に安定性及び予見可能性を与える中心的な要素」と形容しており、ある種の判例の積み重ねを通じた協定の明確化は、紛争解決手続きの重要な目的の1つである。最近筆者はWTO設立当初からの上級委員会委員として2期8年在職し、去る12月に退任したバッカス(James Bacchus)氏の講演録に触れる機会があった。奇しくも本件は氏が議長職を務める最後の委員会となったが、WTOがある種の判例法によって発展していることは、その講演録の中でも十分に認識されていた筈なのだが。

「適度に使える」セーフガードと濫用抑止-困難ではあるがセーフガード協定はこのバランスを維持することに資するものでなければならない。現行制度は明らかにこのバランスを欠いており、セーフガードそのものは極めて使い勝手が悪く、リバランスは制度的に脆弱である。今回の米国のケースはこの問題を改めて浮き彫りにし、WTOにおけるセーフガード像の再考を加盟国に促したといえるのではないだろうか。

しかし、実際はセーフガード協定の改正はドーハ開発アジェンダに含まれていない。また、仮に含まれていたとしても、ダンピング防止税協定の改正交渉のように、延々とテクニカルな議論が継続し、遅々として進行しない状況に陥ることは想像に難くない。このような現状において当面は加盟国が本件のような政治的濫用を自重し、WTOシステムに負荷をかけないこと以外に対応策はないであろう。

2004年1月6日

2004年1月6日掲載