FTAの正確な認識を!-カンクン閣僚会議の決裂を受けて-

小寺 彰
ファカルティフェロー

カンクンWTO閣僚会議は決裂し、「ドーハ開発アジェンダ」の行方に暗雲が立ちこめている。それに対応して、自由貿易協定(FTA)によるバイ(2国間)、またはリージョナル(地域的)な取り組みを重視すべきだという声が世界的に強まっている。WTOとFTA、両者の関係はどのように捉えられるのだろうか。

WTOとFTA

マルチであれ、バイ・リージョナルであれ、通商措置であることは同じだから、WTOというマルチがだめならバイ・リージョナルで代替できるといえるのか。「ドーハ開発アジェンダ」でも農産品や非農産品の関税交渉が行われている。そのなかでは関税引き下げが交渉されるが、関税の全面的な撤廃が交渉されることは少ない。他方、FTAでは少なくとも約90%の貿易産品について10年内に関税撤廃することが条件となる。これだけを見ても、WTOとFTAでは交渉の内容が違ってくる。1994年に結成されたNAFTA(またその前身の米加FTA)においてカナダが米国に対して要求したのは補助金やダンピングの規制強化であったが、ほとんど果実をえることはできなかったと言われる。他方1995年に発足したWTOでは、ダンピング防止協定や農産品の補助金規制も強化され、米国の措置を一定程度枠づけることに成功した。WTO紛争処理手続は国家間の紛争処理手続きとして日常的に利用され、驚くほど強力である。米加、米墨間でもWTO紛争処理手続きは使われてきたが、NAFTAの国家間の紛争処理手続きはこの10年間でわずか1回しか使われたことがない(私人対国家の紛争処理手続きは比較的良く使われている)。

これらの例が語ることはWTOとFTAでは実際の機能が違うということだ。現在日墨間でFTA交渉が進行しているが、メキシコは米国やEUをはじめ30以上の国(または地域)とFTAを結び、その相手国(または地域)の製品はメキシコに原則として無関税で輸入されている。またこれらの諸国(または地域)の企業はメキシコの政府調達に優利な地位が与えられている。日本企業は製品輸出に対して関税を課され、また政府調達でも差別されており、その損害は年間約4000億円にのぼるという試算もある。この状況はメキシコとFTAを結ぶ以外に解決の途はない。他方、メキシコ等のダンピング法の規律強化を図ろうとすればやはりWTOしかありえない。

FTAの特徴とその原因

FTAからは何が期待できるか。経済的には関税撤廃と、WTO政府調達協定に入っていない国には、日本企業の政府調達への参加の確保である。さらに投資規制業種の縮小も可能性がある。FTAによるルール・メイキング、たとえばダンピング規律の強化への期待が語られるが、これはほぼ無理だと考えた方が良い。ほとんどのルールは外国人に対して一様に適用されるようになっているからである。こんなに成果が少ないのかという疑問の声が出るかもしれないが、日本・シンガポール経済連携協定によって実際に変わったのは、(1)関税撤廃品目の増大、(2)相互承認、(3)日本の特許権のシンガポールでの承認手続きの創設の3つでしかない。それ以外の規定は、両国の基本姿勢を示すもの、現行措置の後退を禁止するような、いわば保険的なものなどで、現状を変えるものではない。それに対して、WTO加盟によってどれだけの変化がわが国にもたらされたか。また中国はどうだったか。制度改変については、WTOはFTAとは比較にならないくらい大きい役割を果たす。

このようなことはなぜ起こるのだろうか。中国のWTO加盟を思い出せばその原因は一目瞭然である。中国加盟に際して、日本、米国、EUをはじめWTO加盟国がこぞって中国と交渉し、その結果得られた最大の成果をWTO加盟国はすべて享受できる。具体的に言おう。日本が中国と交渉して得られなかった条件も、超大国米国や交渉上手なEUが獲得に成功すれば、日本もそれにご相伴できるのがWTOである。FTAでは、たとえば日中交渉妥結後に米中間で日本より良い条件を米国が得ても、日本・日本企業は一切関係がない。むしろ日本・日本企業は、米国・米国企業に対してハンディを負うことになる。FTAでは、国の構想力・交渉力がまさに問われる。

マルチの交渉は多数国間の利害をまとめ上げなければならないから難しいが、バイやリージョナルなら共通する利害が多いからまとめやすいとよくいわれる。しかし、マルチなら超大国の米国や交渉上手なEUの力が利用できるから、より良い条件が引き出せることも忘れてはいけない。WTO加盟に際して中国が受諾した条件はとても日中のバイの交渉では引き出せなかったものだ。逆に多数の国が束になれば、米国から譲歩を引き出すことも可能になる。このようなWTOとFTAのメカニズムの違いを理解することが重要だ。

重層的通商政策におけるFTAの位置

日本ではあまり言われないが、FTAを結ぶと相手国との政治的な雰囲気が格段に良くなることが多い。日本初のFTAである、日・シンガポール経済連携協定締結直後、シンガポールでは日本と「準同盟関係」に入ったという声があった。FTAがシンガポールでの日本イメージを高め、日本企業が活動しやすい環境作りに貢献したのである。この効果はFTAならではのものだ。私が日韓のFTAを推進すべきだと考える根拠はここにある。

わが国が進めようとしている重層的通商政策の実施にあたっては、FTAとWTOの本来的な違い、また経験上出てくる違いを十分わきまえることが必要だ。わが国ではFTAを結べばどれだけの経済効果が上がるのかという議論が多い。しかし、FTAの効果を考える場合に、それを結ぶことによる構成国間の一体化、たとえば日本を含む東アジアの経済統合を過度に強調すべきではない。NAFTAができて、米国とメキシコが一体化したとは到底思えない。他方、FTAのもたらす制度変化を超えた、構成国間の政治外交的な関係改善こそ見落としてはならない点だ。

アセアン諸国とFTAを結んでも、わが国自身の経済の構造改革を別にすれば(構造改革は自らやればいいだけの話であって、日本より経済規模の小さい国とのFTAを「外圧」と見立ててそれに頼らなければならないことは本当に情けない!)、制度面で変わるのは関税撤廃と政府調達への参加、せいぜい投資自由化業種の拡大程度だと覚悟しながら、他面でFTAによる政治外交的な関係の発展を期待するというのが現実的な態度だろう。当然この帰結として、日本政府は、WTOしか果たしえない役割を正視し、多少の困難があってもWTO交渉促進のためにたゆまず努力することが求められるのである。

2003年11月18日

2003年11月18日掲載

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