環境問題と技術革新 ─ポーター仮説の今日的意義─

谷川 浩也
上席研究員

先週から始まった東京モーターショーでは、日本メーカーが優位に立つといわれる燃料電池車やハイブリッド車など最先端の環境対応技術を活かした新型車が多数出展され、注目を集めている。世界の有力自動車メーカーがこのように環境対応への傾斜を促進し、企業間競争にしのぎを削っている背景には、「世界的な規制強化」があると伝えられる。(日経10/23)

21世紀に入り、ますますその重要性を高める「環境と経済の両立」を図っていくうえで、最大のカギはこのような「技術革新」にあると考えられるが、環境規制の強化と技術革新とはどのような関係にあるのだろうか。環境規制強化は技術革新を促進し、企業の競争力を高めることになるのであろうか。もしそうであれば、日本メーカーの優位を確実にする上でも他国に先んじた更なる規制強化が重要ということになるが、実は、この問題はそれほど単純ではない。

ポーター仮説と理論的・実証的論争

環境規制と産業の競争力との関係を語るときに常に引用されるのが、マイケル・ポーター教授が1991年に唱えた「ポーター仮説」である。これは、「適切に設計された環境規制は、費用低減・品質向上につながる技術革新を刺激し、その結果国内企業は国際市場において競争上の優位を獲得し、他方で産業の生産性も向上する可能性がある」との主張であり、それまでの「環境規制は企業にとっての費用増加要因となり、生産性や競争力にネガティブな影響を及ぼす」という通説的見解に真正面から異議を唱えるものとして、一躍脚光を浴びた。

ポーター自身はこの仮説の根拠として、米諸産業中でも大きな環境保全コストを強いられている化学産業の国際市場での競争力や70年代により厳しい環境規制を導入した日独の生産性上昇率の高さを挙げている。ポーター自身は言及していないが、自動車産業についても、1978年の日本版マスキー法によるより厳しい排ガス規制の導入がその後の米市場での日本車の躍進に繋がったという「事実」を説明するものとして、しばしば引用される。この見方に立てば、冒頭のような環境対応車開発競争においても、他の先進国に先駆けた更なる規制強化が有効な政策的対応だということになる。

しかしながら、多くの経済学者によるポーター仮説の理論的・実証的検証の結果は、どちらかというと否定的なものが多く、その仮説の妥当性についてコンセンサスが得られているとはいえない。その大きな理由として、技術革新と生産性向上が実現する過程では、企業間競争、企業と規制当局間の戦略的行動、需要条件および政府の経済的支援措置など、ポーター仮説では無視されている環境規制以外のさまざまな周辺要素が関係してくることがある。また、そもそも規制によって顕在化する技術革新の可能性がないところでは規制を強化しても生産性や競争力の向上の可能性がないことはいうまでもない。他方、実証という観点からは、さまざまな要素が複雑に絡み合う中で、環境規制が及ぼす直接の影響をデータ的に抽出することが非常に難しいという事情も指摘できる。

筆者を含む研究グループでは、経済産業省からの準委託研究として、環境規制と技術革新の関係に関するより仔細な検討のために複数のケース・スタディを進めるとともに、如何なる政策対応(規制又はそれ以外の措置)が技術革新、およびこれによる環境保全と生産性向上を実現するのかについて考察を進めている。これまでの検討で明らかになったところでは、環境規制と技術革新・生産性向上の関係はそれほど単純ではなく、規制強化が技術革新と競争力向上をもたらしたとされる事例も現実はそうでもないことが明らかになっている。たとえば、1980年代の米国乗用車市場における日本車の躍進は、主にオイルショックに起因する消費者の小型車指向という需要構造の変化に日本メーカーが的確に対応できたためで、排ガス技術の優劣は無関係であり、むしろ、その副産物として安全面等で特に対欧州車の競争力に遅れを取ったのが現実である。また、近年脚光を浴びているハイブリッド車についても、メーカーの開発動機は、必ずしも個別具体的な規制対応ではなく、長期的一般的には規制強化傾向というコンセンサスを前提とした市場での競争優位の確立にあり、また、現に環境対応性能のみで車が売れる事実はないようである。

新しい時代の環境規制制度設計とは

それでは、環境対応技術を革新し、環境保全と生産性向上を実現していくためにはどのような規制が望ましいのだろうか。京都議定書実施をはじめ、環境対応の限界コストが高いわが国の場合、環境制約をブレーク・スルーする技術革新を如何に誘発するかは極めて重要な課題でもある。我々の研究グループでは、今後この観点からの検討を続ける予定であるが、その検討に当たっては、企業経営における環境対応の位置付けの変化にも十分留意すべきと考えている。

近年、「環境規制がなくても対応する」、或いは「可能であれば環境規制の水準を越えて対応する」という意味での自主的な環境対応を積極的に進める企業が増加しているといわれるが、我々のケース・スタディにおいても、その傾向は明確に観察された。その背景として、公害対策以来の歴史的経験に基づいてむしろ危機管理対策的に先手を打とうという動機、消費者や資本市場での環境意識の高まりを反映した企業経営理念の変化などが指摘できる。ちなみに、ポーター仮説では、技術革新を促進し、企業の競争力を増すような「適切な環境規制」とは、たとえば企業の技術選択に裁量の余地のある規制であるべきとされているが、望ましい規制制度のあり方を考える上では、上述のような企業サイドの自主インセンティブを最大限活かすために、なるべく柔軟性を有するメカニズムを確立するという視点が重要といえるだろう。

2003年10月28日

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2003年10月28日掲載