経済学と情報科学の融合(エコノインフォマティックス)による新たなイノベーション研究の可能性

玉田 俊平太
研究員

19世紀の数学者シャンクは円周率の計算にその生涯を捧げ、15年間かけて707桁まで計算したといわれる。21世紀を迎えた現在、東大の金田教授は、東大のスーパーコンピュータの能力の半分だけを使い、600時間で1兆2400億桁の円周率を計算してのけた。これは、17億人の数学者が一生かかって手計算する分量である。もし、1人でやろうとすると地球の歴史の4倍以上の時間に相当する250億年ほどかかることになる。すなわち、最新の情報処理理論とコンピュータを活用すれば、これまで人手のみでは回答不可能であった「問い」に対して、場合によっては「答え」を出すことが可能なのである。そのため、今やコンピュータは、数学や物理学、生物化学などの自然科学の研究には必要不可欠な道具になっている。それでは、経済学の「問い」に対してコンピュータの圧倒的なパワーを適用すると、どのような可能性が開けてくるのだろう?

科学と技術とイノベーションの関係

経済学の大きな問いのひとつに、長期的経済成長の要因は何か、というものがある。これまでの研究から、長期的経済成長は、労働や資本の投入もさることながら、技術変化によってその多くがもたらされたことが明らかとなっている。そして、技術変化をもたらすとされる要素のひとつとして、科学が挙げられている。科学に対する公的支援も、こうした理由によって正当化されてきた。しかし、「技術変化に、科学がどのように、どの程度影響を与えているか」という問いには、未だ完全に解明されたとは言い難い。

この問いに答えるための有力な手法になると考えられるのが、論文が引用している参照文献の研究に端を発した計量書誌学(ビブリオメトリクス)である。ビブリオメトリクスは、サイエンス・サイテーション・インデックスやインパクトファクターなど、科学の分野の評価指標のひとつとして使われている。

このビブリオメトリクスの手法を特許に応用し、特許が引用している論文等の数を計測した「サイエンスリンケージ」は、産業の生産性向上の要因である「技術」と、知的活動の体系的集積である「科学」との間をつなぐ指標として、いくつかの留意点はあるものの、有効な指標であると考えられている。

我々の研究チームでは、ビブリオメトリクスの手法を使い、最新のコンピュータおよび情報科学の進歩を活用して、長期的経済成長の源泉である技術変化に、科学がどのように、どの程度寄与しているか、という問いに対する研究を行っている。具体的には、これまでに発行された特許公報データをすべて記憶し、自由に処理することが可能な専用のコンピュータを製作し(写真1)、その1.1テラバイト(新書本450万冊分の容量)を超えるストレージの中に、分析の基礎となる日本特許データベースを構築して研究を行っている。

写真1 製作した特許データ分析用ワークステーション
写真1 製作した特許データ分析用ワークステーション

これまでの研究の結果から、科学技術基本計画で重要分野とされた4つの技術分野のサイエンスリンケージを比較すると、バイオ分野の特許は特許1件当たり、平均で11.5本もの論文等を引用しており、無作為抽出の特許1件あたりの論文引用数(0.6本)の20倍近くも多いサイエンスリンケージを示した。ついでナノテク分野が2.0本で無作為抽出のケースの3.3倍、ハードウェアIT分野と環境技術分野は無作為抽出のケースよりサイエンスリンケージが低い結果となった。また、引用されている論文は大学や国立研究機関によるものが多いこと、多くの研究が公的サポートを受けたものであることから、公的資金や公的研究機関による研究が特許に寄与していることが明らかとなった。

後多くの可能性を持つ定量的なイノベーション研究

今後は、人間が目視によって抽出した1500件の特許が引用している論文等の情報を「教師」データとし、コンピュータを「生徒」として、サイエンスリンケージを自動的に抽出させるプログラム構築の可能性について研究を行う予定である。もしこれが可能となれば、細かく且つ排他的な特許技術分類レベルで、特許に引用されている他の特許および論文等を網羅的に調査することが可能となる。たとえば、データベース中にある特許公報全文テキストデータ450万件の全数につき、引用論文等を抽出し、最大3万7千の技術分類でサイエンスリンケージを調査することにより、サイエンスリンケージが多い技術分野を特定することも可能となろう。

また、サイエンスリンケージの時系列分析を行えば、科学技術基本計画の実施が我が国イノベーションシステムに与えたインパクトについても定量的に評価することが可能となろう。
さらに、大学別にサイエンスリンケージを調査することによって、各大学・学部の産学連携の定量評価を試みることもできるであろう。

出願された特許数や技術分野を地域別に解析し、それらの特許が引用している論文の著者を分析することによって、地域クラスターの研究に寄与することも充分に考えられる。
企業が出願した特許の技術分野の変遷から、持続的にイノベーションを興している企業がどのような技術軌道を経てきたかについても研究が可能である。
このように、経済学と情報科学の融合(いわば「エコノインフォマティクス」)による定量的なイノベーション研究は、今後多くの可能性を持っていると考えられる。

2003年10月14日

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2003年10月14日掲載