財政を通じた国家のガバナンスの再構築

角野 然生
コンサルティングフェロー

財政を巡る議論のズレ

財政赤字が拡大する中で、「積極財政による景気拡大先行」論と「財政再建先行」論の応酬が続いているが、こうした対立軸は焦点をぼかしかねない。問題の本質は、納税者の負託を受けて効率的・効果的な予算配分を行う制度設計が政府に十分なされていないという、国家のガバナンスの欠陥にある。予算の効果が不明瞭なまま補正予算の規模を決するのは、穴のあいたバケツで水を汲むようなものだし、経済全体の設計を抜きにして財政再建だけを主張することは「尾が胴を振る」ことになりかねない。重要なことは、来る少子高齢化社会において、持続可能な日本経済社会をどう構築していくかという大目的に立ち、限られた資源を効果的に使うメカニズムを行政組織に確立していく視点である。

たとえば、近年の補正予算編成を見ると、合理的な意思決定プロセスが形成されているのか首肯しがたいところがある。政治的な駆け引きの下、短期的なGDPの落ち込みを穴埋めするために財政投入額が決められるが、その効果や機会費用(持続可能性や将来世代との分配論なども含め)を十分比較考量した上で決定されているわけでは必ずしもない。できるだけ数字が積み上がって見栄えの良い内容が重視されやすくなるが、予算執行の結果についてはその後十分な検証がなく責任を問われにくい。公共事業関係予算は特に数字が積み上がりやすいこともあり1990年代に拡充されたが、建設業部門や社会資本ストックの生産性は低下し続け、後半には雇用も減少、内閣府の経済モデルでも昔に比べて乗数が低迷している。昭和63年からの5年間に平均8兆円だった公債発行額は、直近の5年間には毎年35兆円程度に拡大しているが、財政依存が深まることでモラルハザードや逆選択が拡大し、経済の自律的回復機能が弱まっているとすれば本末転倒であろう。ケインズ自身が示したハーベイロードの前提(賢明な為政者、すなわち合理的な政策決定システムの存在)が果たしてこの国に成立しているのか甚だ疑問である。

このように、財政政策を考えるに当たっては、まず予算配分を巡る政府の意思決定構造について検証することが何よりも先決である。そして、それはまさに国家のガバナンスのあり方を問うことに他ならない。

問題が多い日本の予算プロセス

2030年には我が国の労働力人口は今より約1千万人減少し、2人の現役世代が1人の老人を養うことになる(中位推計ベース)。今後、財政における最大の圧迫要因は、何といっても年金・医療・介護といった社会保障費であり、この収支構造の安定化なしに経済社会の未来は描けない。一方、経済自体が構造改革(経済資源の流動化)などによって生産性を回復させなければ、慢性的な税収不足のため財政赤字は発散していく。このように、経済と財政の両方を改革していかなければ、日本経済の持続可能性が確保できないことは、長期のマクロモデルでシミュレートしてみれば明らかである。歪んだインセンティブ設計を内包する地方財政や、社会保障給付水準といった制度の改革とあわせ、裁量経費や更には特別会計についても、国民の税金を無駄に使わない仕組み(予算プロセス管理)をどう作っていくかが求められてくるだろう(今後、消費税増税の議論がでてくれば尚更である)。この観点で、現在次のような問題が指摘されている。

第一に、厳しい事前査定の一方で、事後評価が曖昧で結果責任が不明確である。予算案は、査定当局と要求官庁の間で相当の時間と労力をかけてまとめられる。しかし、一旦予算が成立した後は、執行の成果がどうなったのか責任が問われにくい。決算は会計検査院を経て2年度後の国会で審議されるが、昔の予算について関心を持つ人は多くないだろうし、その頃は査定当局も要求官庁側も責任者は人事異動している可能性が高い。膨大なエージェンシーコストをかけながら、それが報われる仕組みになっていないのだ。

第二に、下からの積み上げで予算編成がなされるため、戦略的な予算配分が行われにくい。ここ数年で見ても、主要経費別、省庁別、使途別の予算構成はほとんど変わっていない(わずかに厚生労働省の社会保障費が増加して、国土交通省の公共事業費が減少している)。ただ、査定当局の実務的見地からすれば、政治レベルの責任を負いかねない大胆な配分変更は難しく、一律主義や増分主義といったイナーシャも仕方ないということになる。

第三に、時間軸の問題。次年度の経済見通しは、前年12月の政府予算原案に平行して決まり、その後翌年1月に5年間の中期展望が示されている。本来であれば、まず中期的な計画が決まり、それから単年度の計画が作成されるのが筋であろう。

第四に、硬直的な手続規制による非効率な予算執行の問題がある。たとえば、繰越については、主計局にその合理性を説明しなければならないが、合理性の基準が不透明で、認められるかどうか予測可能性が低い(また、近年は秋に補正が編成されるので、成立してすぐ繰越手続をせざるを得ない)。このため、不用が発生しても年度内に使い切ろうというインセンティブが働く。ある研究開発プロジェクト予算について繰越明許手続の状況を調べてみると、プロジェクト受託者(企業)、政府系実施委託機関、監督官庁、査定当局の間で、計算書の作成、承認依頼作業などの往復で実に5カ月近くかかっており、関係者に相当な負担になっている。査定側だけの問題ではないし、最近は部分的な改善努力も見られるが、制度がある以上、各チェックポイントにとっては手続負担を避けがちとなる。すべて自由裁量にすべきとはいわないが、事の軽重をつけずに実質的な手続コストを課している点は問題である。

第五に、予算を多く取ることが人事上評価されるという予算獲得主義がまだ根強く残っている。公務員一人一人にとって、無駄な予算を自ら削減しようという動機付けが付与されていないので、拡張指向になりがちである。

以上の問題は、あえて簡単化すれば、組織のミッション(任務と目標)、権限(規制や裁量)、責任(成果に対する報酬)の3つの要素が不整合を来していることに起因しているように思われる。たとえば、1)官邸・諮問会議、財務省、要求官庁間で、それぞれのミッション(経済や財政の基本戦略策定、財政の管理、所管任務の効率的執行)に応じた権限集中と分散がなされていない、2)査定当局、要求官庁側ともその組織内の権限関係において、トップダウンで決定権限に見合った責任がコミットされていない、3)責任の重さに応じて成果に対する処遇が上下するようなリンクがなく、また、責任が所属組織に対してではなく国民に対して問われる構図になりにくい、といった点が挙げられよう。これが、長期雇用・短期ローテーションの官僚人事制度と相互補完的に絡んで“インセンティブ設計の複雑骨折”を引き起こしていると考えられる。

新しい予算システムの仕組み

欧米諸国は、やはり80年代からの慢性的な財政赤字に悩んでいたが、90年代に財政改革に取り組み、日本とは逆に、経済成長と相まって歳出水準の切り下げに成功した。特にアングロサクソン諸国では、NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)と呼ばれる手法で見直しを進めていった。もともとNPMは、顧客である国民や住民に対して効率的で質の高い公的サービスを提供するための行政管理の一形態である。しかし、この発想は、民間企業経営にある成果主義や競争といった概念をうまく取り込んでおり、政府のガバナンス論にも応用できるのではないだろうか。従来のNPM論を超えて、以下の視点を踏まえた組織設計を検討すべき時期に来ていると考える(注)

第一に、権限と責任の一致の問題として、「政治責任つまり中央・トップダウンによる意思決定システムの導入」である。たとえば、客観的で透明度の高いモデルに基づく経済・税収見通しを反映し、主要経費毎の資源配分に関する中期的な財政計画を、経済財政諮問会議を通じて官邸主導で策定する。中期計画に基づき、財務大臣と各省大臣は、項毎の大括りベースでいくつかの政策目標と必要な予算額につき「契約」する。そうした大枠だけまず大臣レベルで合意しておき、順に、細部に行くに従って下位レベルでの調整としていく。査定当局は、細かい積算査定に埋没するのではなく、その政策目標をどう達成するのかという中身重視で各省庁と政策協議していく。予算のレベルとポストに見合ったコミットメントを配分していく発想である。

第二に、権限とミッションの一致の問題として、「総額は削減のプレッシャー」と「個別予算は現場の自由裁量」という予算の“柔構造化“である。査定当局は、総額抑制と主要経費の管理に重点を置き権限を集中させる。一方、個々の予算の細目についてどの部分を増やし削るべきかは、情報を最も多く有する執行官庁の責任において判断させた方が、予算の有効活用につながる。橋本内閣の財政構造改革法のように、単に個別経費毎に細かく規定して削減圧力だけかける剛構造は、各省庁との摩擦が大きく倒れやすい。この点で、たとえば複数年度予算や包括予算の問題にしても、憲法第86条にある国会の単年度審議権を侵害しない範囲内で、予算の効率執行という国民ニーズを実現するために工夫できる余地は沢山ある。「項」の再整理、流用や繰越明許の柔軟化、継続費や国庫債務負担行為の弾力適用なども一例である。規制に伴う手続コストを下げ、予測可能性を高めていくことが重要である。なお、省庁別の縦割り予算配分を改め、戦略的分野に予算を弾力的に再配分できるような仕組み作りについては、たとえば毎年削減分の一部を構造改革基金として振り分け、諮問会議の方針に基づいて優先配分するといったルールも、官邸の主導でできるはずである。

第三に、ミッションと責任の一致の問題として、「事前査定から事後評価へ」と「プロセス情報の開示」がある。予算規制を緩和する一方で、事後モニタリングは不可欠である。このためには、予算執行の成果と政策目標の達成度について評価システムを確立する必要がある。現在、独立行政法人運営費で同様の試みが開始されているが、実際のところ、数値目標の設定や達成度合いの評価のしかたなど難しい論点も多い。

今回の骨太方針で決まったモデル事業(これもまだインセンティブ設計上十分とは言えないが)にあるように、できるところからシステムの試行実験を繰り返してベストプラクティスを蓄積していく姿勢が大切であろう。重要なことは、行使した権限と責任を一致させる場を作ること、つまり、意思決定プロセス情報について透明度の高い仕組みを作ることである。責任をとるのは誰かを明確にするとともに、権限外の権力者からの介入をプロセスから排除することがポイントである。前者については、たとえば、目標の達成状況を要求官庁幹部に挙証させ、翌年度以降の査定に反映させるプロセスを開示するといった形で説明責任を明確化させていく。また後者については、行政機関の文書管理規定を明確化し、政治家等の口利きについては大臣に報告し、適正に情報開示していくといったルールも一案である。もとより、前提として、会計制度を整備していくことが不可欠である。なお、プロセス情報の透明化は、業績マネージメントの“電子政府化”によって促進される可能性がある。

ガバナンスを構築する本当の意味

以上の考えは、1)主要優先分野への資源配分といった国家の基本事項については官邸の権限を強化し、2)財政の大枠管理については財務大臣の権限を確かなものとしつつ、3)個別予算の運用においては情報を有する各省庁にある程度委ねるという、集中と分散を組み合わせた設計思想である。これにより、大きなレベルでは「集中」によって情報の非対称性がもたらすモラルハザードを排しつつ、集中によってむしろ査定手続費用が相対的に大きくなるような細かいレベルでは「分散」によって各モジュール(執行官庁)にインセンティブが付与され、総体として、効率的に国家目的を実現することが可能となる。繰り返しになるが、このアーキテクチャーは、権限が移ったところ(集中先、分散先ともに)に責任を一致させる仕組みをどこまで担保できるかが鍵である。この点で、官僚人事の制度設計はひとつの切り口となろう。たとえば、人材(エージェント)の内外流動化(国家公務員の外部機会を高めたり、民間人材が官庁幹部に登用される等)は、不完備な契約からくる3要素の時差構造を修正する上で重要な切り口となろう。最近、複雑系において、多様性と均一性のバランスについて研究が進められているが、こうした領域も、組織設計に応用できると思われる。

ガバナンス論は、単に財政の効率化という視点に止まらないだろう。日本が、不幸な戦争を二度と起こさず平和と繁栄を享受し続けるためには、日米安全保障を基軸としながらも、決して大国にへつらうことのない国力を蓄えておく必要がある。日本の場合、それは経済力に他ならない。経済力があってこそ、中国との成熟した関係を築き、独裁国家の危険を回避し、アジアの自由主義社会の発展を促すことが出来る。経済力とは、人、モノ、金、技術、情報といった経済資源の適正配分がもたらす総合力である。人口減少社会においてこれを維持していくためには、効率性、公平性、多様性(リスク対応力)をバランス良く組み合わせた“強靱でしなやかな”経済モデルを確立しておくことが不可欠である。そのためには、まず、国家戦略を担う政府自身が、環境変化への適応能力、ショックへの耐性を備えた、柔軟で機動的な意思決定構造を持つべきである。21世紀は、政府のガバナンス設計自体が国際競争にさらされる時代である。

2003年7月15日
脚注
  • 本稿では、主として行政府の意思決定構造に焦点を当てているが、本来は、政治との関係を整理することがまず大事であることはいうまでもない。日本の場合、選挙公約と達成期間についてのコミットメントと責任の不明確性、政権交代が稀な中で与党と官庁が共進化していることなどが重要な論点となろう。

2003年7月15日掲載

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