情報を囲い込む「知的財産戦略」は、インターネット時代には似合わない

池田 信夫
上席研究員

日本の政策には「戦略がない」といわれるせいか、最近できる政府の組織には「××戦略本部」と銘打つものが多い。今年、内閣官房にできた「知的財産戦略本部」もその1つだが、6月20日に発表された「知的財産の創造,保護及び活用に関する推進計画(案)」[PDF:196KB]にみられるのは、日本政府の戦略ではなく、米国政府のプロ・パテント(特許強化)戦略の後追いである。

特許の強化は「軍拡競争」をもたらす

1980年代に米国政府は、日本の追撃を受けるハイテク産業を保護するため、プロ・パテント政策を打ち出したが、法廷ではアンチ・パテントの傾向が強く、特許侵害訴訟のうち原告の請求が認められるものは60%程度だった。そこで連邦政府の方針を司法にも徹底させるため、1982年に連邦巡回控訴裁判所(CAFC)が設置された。これによって下級審で却下された特許が控訴審で認められるケースが増え、90年代には特許侵害についての請求の90%以上が認められるようになった。CAFCは、ソフトウェア、遺伝子、さらに「ビジネス方法」にも特許の範囲を積極的に広げ、90年代に米国の国内特許出願件数は倍増した。

今回の推進計画案の目玉である「知財高裁」は、このCAFCのまねだが、控訴される特許訴訟が年間で約200件しかない日本で、専門の裁判所を作る意味があるのだろうか。特許審査を迅速化し、技術的な専門知識をもつ裁判官を養成することは必要だが、それは訴訟手続きや裁判官の人事を変えることで対応できよう。逆にいえば作っても大した変化はないだろうが、問題は知財高裁が日本政府のプロ・パテント路線のシンボルになっていることだ。

推進計画案には「米国における80年代の諸般の改革や知的財産を重視するという姿勢への変化が...中略...米国産業の国際競争力を回復強化させ、長期にわたる経済成長の実現に貢献したことは確かであると思われる」(p.3)と書かれているが、この推測には根拠がない。米国企業への聞き取り調査では、技術的優位を守る手段としてもっとも有効なのは企業秘密にすることで、特許(および他の法的手段)は最下位である。企業が特許を取る最大の理由は、他社がその技術をまねるのを防ぎ、同じ特許を取るのを妨害するためである。総じて、特許が技術革新を促進する効果は疑わしいが、他社の技術開発を阻害する効果は明らかだ、というのが大規模な実証研究の結論である。

これは「軍拡競争」に似ている。個々の企業が軍備(特許)で自衛したいと思うのは当然だが、すべての企業が軍備を拡大すると、かえって危険になるのである。米国では90年代に特許侵害訴訟も倍増し、技術革新を萎縮させるばかりでなく、法務費用の負担も深刻になっている。米国企業の研究開発費の3割以上を特許関連費用が占め、ベンチャー企業の55%が「特許が研究開発の最大の障害だ」と答えている。アジアでも、米国主導のプロ・パテント政策への批判は強い。日本政府の役割は、むしろアジアの立場を代表して国際的な「軍縮」を進めることではないか。

インターネット時代にふさわしい情報共有のための政策を

著作権についても、今国会で映画の著作権の期限が公開後50年から70年に延長されたが、推進計画案では、同様の措置をすべての著作物に拡大する方向が打ち出され、ゲームソフトや書籍・雑誌についても「貸与権」を強化することが検討されている。このように情報の流通を阻害する政策は、推進計画案が掲げている「コンテンツの流通促進」と矛盾するのではないか。海外から安いCDが輸入されるのを禁止する「レコード輸入権」に至っては、著作者の権利保護と何の関係もない国内業者の保護策である。

こうした政策の前提となっている「知的財産創造のインセンティブを確保するとともに、その効果的な活用を図るには、知的財産の適切な保護が不可欠」(推進計画案 p.24)だという通念にも根拠がない。コピーの自由なインターネットで史上かつてない技術革新が起こり、ソフトウェアの内部構造を公開した「オープンソース」のLinuxがマイクロソフトの独占を脅かしていることでもわかるように、情報を開放することによって技術革新を促進することは可能である(ディスカッション・ペーパー「デジタル情報のガバナンス」参照)。世界のブロードバンドをリードしているのは、情報共有の自由な韓国などのアジアの国々であり、世界一厳重に著作権を保護している米国は、ブロードバンド後進国に転落した。

ところが今回の推進計画案には、インターネットという言葉はほんの数回、しかも「著作権を侵害する道具」として出てくるだけだ。政府は、他方ではオープンソースによる調達や開発を進めているが、「知財戦略」との整合性はどうなっているのだろうか。ここ10年の情報技術の世界の教訓は、インターネットに逆行するような政策やビジネスはすべて失敗するということである。日本が国際的なリーダーシップを発揮するには、情報を囲い込む米国の政策に20年も遅れて追随するよりも、オープンソースなどによって情報を開放して技術革新を促進する政策を考えたほうが賢明だろう。創造性を高める政策にも、インターネット時代にふさわしい創造性が必要である。

2003年6月24日

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2003年6月24日掲載