日韓ワールドカップの事後評価

広瀬 一郎
上席研究員

光陰矢の如し。あれから1年である。 サッカーのワールドカップ(以下「W杯」)には、「競技(サッカー)」「ビジネス(仕事)」「祝祭」という3つの側面がある。

ビジネスであれば、当然のことながら常に成果が問われ、その評価を受ける。

W杯におけるビジネスは、その主体およびステークホルダーの性格からパブリック・セクターとプライベート・セクターに分けて論ずべきである。

プライベート・セクターの主たるビジネス主体は、TV局であり、広告代理店((株)電通)であり、公式スポンサー等である。各事業者は、当然それぞれの内部で成果を評価し、また外部からも評価がなされる。その成果は決算にも反映しようし、株主にも報告され最終的には市場という外部の評価を受けることになる。

しかしながらパブリック・セクターは、民間のように市場の評価を受けることはない。では、誰が評価すべきなのか。昨年のW杯で中核的な役割を担った地方自治体の「ビジネス」としての成果、つまり「行政評価」はちゃんと行われているだろうか? 自治体側が、まず自らの成果を調査し評価することが必要であり、その上でその情報を開示し住民の評価を受けることが、民主主義における地方自治のオーソドックスな有り様であるはずだ。ところが筆者が調査を行った10の開催地のうち大分を唯一の例外として、「事後評価」は行われていなかったし、行おうとした形跡すらなかった。前回のコラムで予告したように、「W杯における開催地方自治体の事後評価」という調査を行い、このほど結果がまとまったので以下に述べる。

詳細はHPを見てもらうとして、まずはアンケートの調査票の第1問で、「事後評価の必要性についての認識」を問うた。ここでは、「事後評価」そのものが問われているのだが、独自で評価していると答えたのは前述の大分県をはじめ横浜市、静岡県と全体の半分に満たない。

調査の目的は評価ではない

誤解の無いように付言すれば、この調査の目的はW杯によって獲得された成果の全てを実証し、評価することではない。また、ここで提示された評価指標によってその出来不出来を評価するものでもない。更には、事前に当該地域の地方行政が標榜したことが実際どのように行われたのか、事実を調査し、その真偽を確かめるものでもない。これらは全て当該地域住民の問題であり、筆者はその当事者ではない。

屋上屋を架すことを承知で述べれば、まず当該地が自らの「地域」ビジョンを持つことが必要なのである。今回の調査項目全てを平等に扱う必要性は全くなく、プライオリティーをつけることが自らの「地域」観を明確化させることに他ならない。意図したのは、成果そのものの実証ではなく、事前に何が標榜され、どのように施策として意識され、政策当事者はその成果をどのように考えているか、という「事後評価メカニズムの有無と実態」を明らかにすることである。本調査は、今後の議論の基礎として便宜的な指標を提示し、「目的」明示、「目標(値)」設定、「成果」検証と評価のフレームというメカニズムの確立を提案するものである。

スポーツにおける政策のアカウンタビリティーとは

アカウンタビリティーとは「説明責任」と訳されているが、その成立のためには、第一に該当事項に関し、事前に「目的」と「目標」が説明されていることが必要である。目標の明示に併せて、その目標達成をどのように評価するかという「指標(measurement)」も同時に明らかにしておく必要がある。事後にその指標に基づいた調査検証と評価を行わなければ、目標達成(度)を立証することは論理的に不可能である。そして目標達成度を自己評価し、説明しないかぎりアカウンタビリティーは果たせないのである。つまり、アカウンタビリティーとは、「事前の説明」と「事後の検証・評価」のセットで初めて達成され得るものなのである。

スポーツについてこの点を鑑みれば、「国際スポーツイベント開催による地域振興」の内実とは何かが従来十分に議論されず、曖昧なまま、あたかも至極当然なようにキャッチフレーズとして流通してきてしまったのが実態である。しかし、開催地域がスポーツイベント開催を通して「地域振興の観点から期待し得る成果」がどのようなものであるかを一般的に明示することは可能である。

当該地域がそこで一般論として明示された個別の施策の中でどれにどのようなウェイト付けをするのかは一律に決めるべきことではなく、それぞれの当該地住民が選択すべき戦略の問題である(戦略とは「何をしないか」を議論して決定することである)。だが、少なくとも何を目指し、期待して開催地となるのか、事前の明示をし、議論のうえで「目的」に関するコンセンサスを得ること。同時に目標を設定し、指標を示すこと。そして事後に選択された期待すべき成果項目の達成度を調査し評価すること。それ無しには政策のアカウンタビリティーは果たせないのである。

スポーツと地域振興はアプリオリではない

ビジネスの評価には「制度」「稼働」「成果」の3段階が存在する。成果とはあくまで目標・目的との関連で評価すべきものだが、成果を出すためにはまず制度を作り、それを稼働させることが必要である。W杯の開催で地域振興を目指すなら、W杯が盛り上がることが稼働の条件ではある。従来はその「盛り上がった」ことを「成果」としてあげるような傾向がよく見受けられた。これは「稼働」と「成果」の明らかなる混同に他ならない。当該イベントの成功自体が自治体の開催目的であれば、「盛り上がり」を「成果」とするのも間違いではなかろう。しかし競技団体であればともかく、自治体にとって大会の成功が開催目的となり得るはずがない。ともすると作業は自己目的化するが、冷静に考えればその愚を避けねばならないのは自明だ。この陥穽に捕らわれると、一時的な興奮(例えば長野冬季五輪の「原田の涙」)や華やかさの中で本来の目的を見失い、事後に十分な客観的評価を怠ってしまうはめになる。そうなると長期的なコストパフォーマンスの検証などは望むべくもない。あくまで当該地域の持続的な発展につながったかどうかが、自治体の成果を計るメルクマールのベースとならなければなるまい。

従って、例えば「ボランティア」の応募が多かったという結果も、まだ「稼働レベル」の指標でしかないのである。

こうして考えると、成果の根拠となる「地域振興」とはそもそも何なのかに対するヴィジョンが、最も重要な課題であるとの結論が見えてこよう。そこでは即ち、当該地域が自らの「地域像」を明確に持ち得ているかどうかが問われざるを得ないのである。そして「国際スポーツイベントの開催」とは、たかだかその目的を達成するための手段、あるいは方法でしかないのである。

2003年5月27日

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2003年5月27日掲載