構造改革に代わる具体的改革シンボルが必要だ:付属ページ

飯尾 潤
ファカルティフェロー

信頼創造型の政策体系を求めて

本稿では、通商産業研究所で不定期に開いている「ポスト・イデオロギー研究会」で追究している問題群と、現段階における見通しについて紹介したい。。

研究の出発点は、研究会の題名にもなっている「ポスト・イデオロギー」の時代に、競争的な政策体系がありうるのかという問題意識であった。しばしば主張されるのは、社会主義イデオロギーが力を失った後は、思想の競争という意味での歴史は終わり、それとともに体系化された政策的対立軸も消滅するという意見である。確かに冷戦といった国際対立に裏打ちされたイデオロギーの鋭い対立は消滅したが、政策の選択肢がなくなったわけではない。つまりイデオロギー的な対立がなくても、より具体的なレベルでの政策の違いは存在しており、しかも政策的選択肢は偶発的に存在するわけではなく、政策的整合性の観点から、方向性に応じて整理することができるのである。。

このような問題意識の延長に、政策対立あるいは競争がもつ意義を強調して、潜在的な政策体系を掘り起こそうというという課題が出てくる。政策研究で「決定主義」と呼ばれる立場をとれば、政策には合理的に決定できる解があるはずであり、そうした選択肢を決定することこそ重要だと考えることになるが、そうした決定主義には問題が多い。すなわち、政策に関わる価値観が多様で、政策の効力に関する見通しが完全に得られず、しかも政策相互の干渉や過去の政策の遺産といった要因を組み込まなければならないとなれば、自体の完全把握を前提とする決定主義の仮定は現実離れしているといわざるを得ないからである。。

そこで政策に関する異なる見方が互いに競争しあえば、状況に関するより現実的な把握が可能となり、政策の水準が向上するという考え方が出てくる。一般に「政策本位の政党政治」とか「選挙を通じた政策の選択」といったことが論じられる背景には、こうした政策的競争が生産的であり、全体として政府の能力を向上させるという考え方がある。政策の競争という場合、基本的には政府レベルの決定を重要な契機とするので、政府の構造によって一定の基礎条件が規定される。その場合最も重要なポイントは、立法過程では最終的に多数決をめぐる政治過程が展開するのが通例であり、重要な争点については、二者択一的な状況にまで意見集約がなされた場合に、政治的競争と政策の競争が一致しやすいということである。。

そこで大きく二つの選択肢を示すという場合、最初の手がかりになるのは、既存政策の延長か全くの新規政策を構想するのかという違いである。「改革か守旧か」というのは、大がかりな改革を主張する側の常套的なレッテル張りであるが、逆の立場からは「破壊か着実な建設か」というスローガンが流されるであろう。そうした相互作用のなかから、結局は現状に対する二つの考え方が出てくる。一方は現行システムの不具合を順に直しながら事態に対処するという考え方であり、羅列的な改革案を提案する。他方は、現行システムの不具合を構造的なものであると認識し、構造自体の変革が必要であるとして、構成的な改革を提案することになる。。

日本の現状を見ても、大規模な改革を主張する考え方と、それに懐疑的な考え方は、ここ数年の基本的な論調の違いをもたらしている。そしてその背景には日本社会の構成原理の将来像についての二つの考え方が横たわっている。研究会では、山岸俊男北大教授をお呼びして行った討論の結果、「安心と信頼」の二項対立が政策体系の違いを裏付ける重要なポイントとなることを確認した。この安心とは、顔見知りの間で仲良くするといった人間関係を重視するときの価値観であり、コネを使ってお互いに利益を得るといった関係が広がって社会が構成されることが想定されている。その場合政府が提供するのは、結局任せておけば大丈夫だという安心である。これに対して信頼とは、見知らぬ人を含めて人間関係を広げていくことを重視する価値観であり、全体として社会制度への信頼をもとに、自発的な人間関係が広がって社会が構成される。そして不都合(だます人が出る)を取り除く、一般的なルール・仕組みを提供するのが政府の役割となる。。

こうした安心と信頼の枠組みを前提とすると、これまでに日本政府は基本的には、安心の価値を重視した政策体系をもとにしてきており、羅列的な個別改革は失われた安心を取り戻す「安心再生型の改革」とならざるを得ない。それに対して、グローバリゼーションにも積極的に対応し、開かれた日本社会を構想して大規模な改革を行うということになれば、これまでにない信頼の枠組みを作り出すという意味で「信頼創造型の改革」を追求することになる。そして、現実の政治のなかで、こうした政策の体系が政治的競争と重なり合ったとき、そうした政策体系の持つ意味がより明らかになり、一般有権者へ判断基準を提供することになると考えられる。。

安心再生は個別改革であるので、比較的イメージしやすい。そして全体として既存の枠組みを維持するわけであるから、危機に際しては一律削減的な手法によって、冒険による消耗を避け、体制凍結をはかることになる。それに対して、信頼創造はまさに創造的過程であるため、その姿を容易にイメージすることができない。そこで信頼創造のための政策を、現代日本が抱える具体的な課題への政策的対応という形で思考実験的に探求し、整合性の検討してみる必要がある。逆に安心再生型改革は、そうした信頼創造型改革との対比において、よりその正確が明らかになるものと思われる。そこで、いくつかの政策的課題への総合的で一般的な解決策を、信頼の価値に照らして検討し、信頼創造型改革の具体像を探るのが課題となる。。

まず高齢社会への政策的対応である。日本社会が欧米にも例のない速さで急速に高齢化し、それへの政策的対応が重要であることは周知の事実であり、対応が講じられている。しかし対策の中身は、既存の年金・医療・福祉などの分野別に行われており、最近介護という分野が加わったものの、いずれの分野でも抜本的な解決策のないままシステム維持のための努力が払われているというのが現状であろう。そこで考え方を変えて、むしろ社会構成の変化に伴うライフサイクルの変化の問題ととらえた方が広がりが出てくる。そうすれば、たとえば雇用問題と社会保障問題のつながりが明確になり、既存の制度の原理そのものを問い直すことになる。たとえば、年金制度は究極的には長寿のリスクをカバーする制度であるとされるが、多くの人が長寿になっているから高齢社会なのであって、長寿自体はリスクとはいえなくなっている。むしろ高齢になれば、心身が弱ってくるために、それまでのような活動ができないことが問題であって、そうした障害に対してハンディキャップをつければ、能力の範囲内で働きたいという人は多いはずである。しかも高齢者ほど、同じ年齢でも、状況の違う世代はない。心身の弱体化の程度も違えば、財産の額も大きく違うのである。そうした世代を年代によって、負担者と受給者に分けると矛盾を拡大することにもつながる。壮年期に働いて、老年期には全く引退して年金で暮らすというライフスタイルではなく、能力に応じて働区ことを可能にするセーフティーネットの構築によって、公的年金の性格は大きく変えることができよう。また雇用問題にしても、若年の心身障害者は、まさに高齢の障害者と同じ扱いを受けるべきであるし、常用労働とパート労働の壁が社会保障における立場を変えているのは、公正であるとはいえないのではないか。そうした問題を、基本的には機会の均等の保障と、一般的で公正なセーフティーネットの構築という観点から総合的に見れば、大胆ながら、整合性のある改革案が出てくるのではないかとも見込んでいる。。

次に都市問題は戦後日本の政策体系のなかでは弱点として認識されてきた。これまでの対策は基本的には分散化を促進するという名目で、非都市地域の開発を軸として行われたが、現在から振り返れば、都市問題をめぐる矛盾を深めたように思われる。いくら開発を行っても、大都市への集中はやまず、開発対象地域の人口が大きく増えることもまれだったからである。そのうち政策の存在意義は非都市地域への財政支出によって、そうした地域の経済を支えることに転化してしまっている。都市地域の問題は多岐にわたるが、さしあたり都市計画と住宅問題に代表させることができよう。都市計画が弱いのは、端的に住民や地権者間の協議によってしっかりした計画を立てることのできない点にある。参加によって共通の了解を作り出し、それをもとに個別の逸脱を規制する権力を作り出すという作業ができないのは、まさに信頼が欠如しているからである。そうした参加形式の開発と土地所有権に位置づけの見直しが相まって、都市における計画の意味が変わり、気候風土にあった新たな都市のあり方が生まれてくるのではないか。また住宅問題は、戸数的には解決したともいわれるが、問題はその質である。多額の出費をしながらストックに関する満足がないのは、恒久的な建造物を造って、それを財産とし、転売するフォームができていないからである。地価上昇による買い換えの循環は、こうしたフォームづくりをないがしろにする誘因を与え、「いつか住み替えるから不満足でもよい」「ローンがあるから、今更住み替えもできない」という状況を生みだし、さらには住宅問題がたとえば雇用の流動性を妨げるという側面まで作り出している。こうした問題の解決には、「他人の住んだ家にも満足して住める」住宅パターンの形成によって、建物が資産となるような状況を作り出す必要があり、そこでも信頼の醸成に必要な基盤を政府が提供する必要がある。。

また教育問題も焦点であるが、これを学校の問題だと認識したとたんに既存の政策の枠組みにとらえられてしまう。教育を公的な政策の視点から見れば、社会的統合の重要な手段なのであって、最近問題となっている現象の多くは社会システムに、どのように新しい世代を迎えるかという問題である。また年齢と関係なく、社会の水準を保つために、教育が果たす役割は大きいが、信頼創造という観点からすれば、多様な個性や属性を持つ個人がともに暮らすための基礎技術を身につけるというところが、教育の最も基礎的かつ公的に支えなければならない部分であることが分かる。そのように考えると、IT革命という形で注目されているネットワーク技術も、社会全体としてどのようなインフラを整備し、どのような使い方をするのかという問題と重なってくる。結局のところ、社会的統合の基盤となる考え方(最低限教えなくてはならないこと、コミュニケーションのルール)は何かということをめぐる暫定的な合意を形成することが、改革の基礎となるのである。。

そのほか環境問題にしても、リサイクル型社会形成の鍵を握るのは、選択の自由を保障しながら、リサイクル可能性を保障するモードを、参加によって作り出すことである。また経済政策は、望ましい市場を支えるための基礎条件となるルール型の規制をいかにうまく作って、公正な競争を保障するかを目的とすることとなる。さらに中央-地方関係においては、それぞれの政府が持つ代表性を生かした役割分担に再構築し、政策の責任が明確になるシステムを目指すこととなる。最後に、国際関係については開国路線をとって、グローバリゼーションの状況に対応した政策を機敏に打ち出し、国際(地球)公共財を提供してゆくことが信頼創造型の課題となる。この点、安心再生型の政策体系においては、国内事情から緩やかな鎖国状況を作り出すことになるのはとは対照的な帰結となる。

紙幅の関係で、研究の一端を述べることができたにすぎないが、こうした信頼創造型の政策体系を暫定的に描き出し、それと安心再生型の政策体系を対比させながら、その実現の道筋をシミュレートするのが今後の課題である。

『通産ジャーナル』(財)通商産業調査会, 10月号, 2000所収