日本が自力で起き上がるには何が必要か~勇気ある世代交代の決断を!

藤原 美喜子
客員研究員

人は90年代を「失われた10年」という。しかし実際は「変えるチャンスが何度もあったのに変えないで日本の問題を大きくしてしまった10年だった」と筆者は思う。90年代の政策失敗から私達が学んだことの1つは、金利をゼロにしても、またお金をジャブジャブ入れても、一度デフレ不況に陥ると経済を再生することは非常に困難であるということである。90年代を通じ、総額120兆円の補正予算を消化しても、持続的需要は創出されなかった。その結果、財政は益々悪化し、不況からくる企業の倒産件数は増え続けている。そして、日本人全体が自信をなくしている。この現象は消費者マインドを冷やしGDP伸び悩みの原因ともなっている。政策の提言をする前に最近紙面をにぎわせた「変えるのがいかに難しいか」を認識させた問題について簡単に検証してみたいと思う。

道路民営化委員会の最終決着が意味すること

1)議長の辞任理由
委員会で意見がまとまらない時、欧米では多数決で決める。議長は公平であることを求められる。議長自身の意見が少数意見の場合、議長裁量で多数意見を排除しようとはしないし、満場一致を最後まで求めようとはしない。満場一致と多数決が「全然別である」ことをよく知っているからだ。だから今回のように「高速道路建設推進派と慎重派の意見が対立」した場合、議長は折衷案で満場一致へむけての調整は非現実的と見通し、むしろ議長判断で多数決決着へ持っていこうとする。委員長が自ら多数決決着を拒んで辞任するということなどありえない。こういう理由で委員長が辞めることは「子供っぽいし恥ずかしいこと」と思われるからである。今井議長は、委員長案が最終報告書の案でなければならなかった為、両論併記を主張し、「多数決決議は議事運営への不信任だ」といって辞任した。新聞は今井氏を「お年寄りの身勝手」と強く非難はしなかった。与党のお偉方は「最終案を素人が議論するのはよいが従わなければならないわけではない」、「政府と与党が力を合わせて高速道路を造り続ける」といい、地方自治体の首長たちも最終案に反対を表明した。報告を真摯に受け止め、忠実に実行したいという関係者はいなかった。新聞は国民の声を伝えないない時が多々ある。

2)若者の反応
今回の今井議長の辞任について30代の若者の意見を聞いてみた。日本の若い人達は「世代交代の必要性」を強く感じたという。特に今井議長と同じ世代である自民党の派閥のトップたちの今井議長への同情論を聞き、「こういう人達が引退してくれなければ日本はよくならない」と確信したという。構造改革はなにも産業や規制や経営の改革だけをいわない。人が変わらないと何も変わらないということも含まれている(もちろんお年寄りの中には立派な方達もおられる)。小泉総理が丸投げしたのは非難されるべきであるが、「いらない高速道路を造った借金のツケが回ってくる若い世代は今井議長の意見は支持できなかったし、今井議長が辞任してもそれ程ショックを受けていない」という。「高速道路を造らなくなると鉄鋼の売上が落ちるから絶対に慎重派の肩など持てなかったのだろう」といった人達もいる。「経団連の会長ってああいう考え方をするのだ」と知りビックリしたという人もいた。一人の若者がいらいらしながらいった。「70代の偉い人達が思うこれから先の日本の30年と、700兆円という返せないくらいの借金を置いていかれる我々30代が思う今後30年の日本のプランは違う。高速道路など要らないし、これ以上の借金は作らないで欲しい。我々は年金だってもらえないかもしれない。今井議長は日本の財界人として借金を作ってきた人なのだから、今後はお金を使うより返すプランを考えてもらいたい」。また、「70代の人達は生涯現役だといって死ぬまで要職にしがみつくつもりらしい。日本では若いということは何らプラスにならない」とはき捨てるようにいった若者もいる。日本の現在の大きな問題の1つは「お年寄りは元気だが、若者が暗くて希望を失っている」ことだ。2児の母としてこれ以上次世代へのツケを大きくしてくれるなという気持ちは若者と同じである。

日本の悩み

日本は世界第二の経済大国というわりには色々な悩みを抱えている。毎年土地総額が70-80兆円下がる深刻な資産デフレ、金融機関の不良債権処理の遅れ、ゼロ金利政策からくる機関投資家の運用難、失業の増加、就職難からくるフリーターの増加、出生率の低下、自殺者の増加(1980年から2000年までの20年間に自殺者が50%増加、特に45歳-55歳代の男性と30代の独身男性)、社会医療費の増加、等々。

1)若者の悩み
30代前半の若者は好景気を知らない。新卒で働きはじめてから日本はズ-ッと不況である。バブルの頃の話をされても戸惑ってしまう。「あの頃はよかった」といわれてもピンとこない。A君は残業が毎日続き、辞めたくなる時があるという。そんな時、終身雇用を前提としてきた先輩は「我々は大変でも辞めないで待った。待ったから今があるんだよ。だから君も早まったことをしないほうがいい。辞めないで最後まで仕事を続ければ帳尻が合うんだよ」といってくれる。でも彼は先輩に反論したくなる。「待てばバラ色の人生が日本にはあった。お父さんの世代は待てば部長になり、社宅が大きくなり出張の時はファーストクラスに乗れた。僕達は部長にはなれるかもしれないが、なっても社宅はなく、出張はエコノミーで行かなければならないかもしれない」と…。

2)若手政治家の悩み
自民党は1党与野党現象を起こしている。「改革」といっているわりには何も新しいものがでてこない。自民党の派閥の長の1人は弱い者の味方を装う。彼はダメな企業と弱い企業をごっちゃにしている。銀行を悪者にし、借りた融資を返済できない企業を「弱いもの」と位置付ける。米系コーポレート・ガバナンスを支持する先生は、日本の経営者は米国のように株主利益の最大化を追求すべきであるという。しかし民間銀行の経営者が、欧米の銀行のように株主リターンの最大化を追求しリスクとリターンのあわない企業から資金を回収すると、マスコミや政治家から「銀行の社会的責任」を指摘される。この辺の矛盾を問いただすと、大先輩政治家は「戦後の食糧難から日本人全員が白いご飯を食べられるようになったのは我々が寝る間を惜しんで働いてきたからだ。日本製品が米国で買ってもらえなかった時も『七転び八起き』の精神で頑張ったという。70過ぎても辞められないのは日本の団塊の世代が頼りないからだよ。我々が現役を退いたら日本が大変な事になるかと思うとそう簡単には辞められないよ」という。自民党税調は平均年齢80歳の大ベテランが中心となり税改革に取り組んでいる。彼らは自民党の若手が提案する税改革に対し否定的であるため、彼らが本当に税改革を実現できるかどうか国民は疑問に思っている。若手議員の中には自民党税調を何とかしたいと思っている人達も多いが改革を出来ないでいるのが現状だ。50代は自民党の政治家では若手といわれるが、50代を若いというのは日本だけだ。

『失敗の本質』(中公文庫)を書いた戸部良一ら6人の著者達は、日本軍が第2次世界大戦に負けたのは「環境の変化にもかかわらず組織を変えられなかったからだ」だとし、組織を変えられなかったのは「日露戦争という過去の成功体験が変化の受け入れを困難にしたからだ」と書いている。

世代交代

不良債権処理の加速化も大事であるが、今日本で起こっている問題は、「成功体験を保持しているお年寄りの世代交代拒否現象」である。戦後の日本を開発途上国から先進国へと導いた日本の企業戦士・政治家・天下ったお役人は、老人になっても「心は20代」といって引退を先送りし、若い人達に「成功のチャンス」を与えようとしない。銀行は経営が行き詰まると「早期退職制度」を持ち出し、責任のない若者を辞めさせようとする。今の日本の不況はお金を使っても抜け出せない、というのを我々は90年代の政策の失敗より学んだ。それでは何が残されているのか。それは世代交代である。業務経験10年から20年の30代、40代に雑巾がけをやめてもらい、経営陣の仲間入りをしてもらう。そして彼らの「失敗してもやり直しがきく若さ」を日本再生のために使うのである。七転び八起きの精神をこの際、日本国の建て直しのため使うのである。日本再生のためには若者の勇気と度胸がいる。夢を実現させるために突っ走る若者のエネルギーと知恵が必要である。そして発想の転換も必要である。今までと同じ発想であるならば、我々はいつまでたっても今の転んでいる状態から起きあがれない。もちろんご老人を全て排除するつもはない。若い方達とチームを組み一緒に日本再建へ動いてくれる人達は大歓迎だ。でも1つだけ条件をつけるならば「先輩風を吹かせない事」だ。

銀行経営陣の若返り

銀行の経営陣の責任追求をそろそろやめてもいいのではないか。大蔵省バッシングの時もそうだったが、日本のマスコミは「銀行=悪い」キャンペーンをし続けている。大蔵省は数年前に起こったスキャンダルからくるネガティブキャンペーンのため、信用と権威をなくした。一部の大蔵官僚の誤った行動により省全体が信用をなくし、未だに「失っ た信用」は回復していない。銀行の信用も、ネガティブキャンペーンの結果、随分低下してきている。金融大臣は銀行経営者の責任追及をするといっている。銀行の現経営陣は必ずしも土地の値下げを指導し不良債権を作ってきた張本人達ではない。しかし若返りのための経営者の交代は必要だ。この場合、退職金を支払い、責任追及をしないで、「長い間ご苦労様でした」といって少し退職金を上乗せして、「一身上の理由から自主的に辞めていった」という環境作りをしてもいいのではないか。つまり「誇りを失わずに」辞める環境を作ってあげてもいいのではないか。

しかし金融庁や財務省の友人達は、絶対にそういうことにはならないという。欧州の大手企業で経営者を交代させる時、日本ほど感情的にはならない。紛糾した場合、会社の信用にひびが入ることを知っているからである。辞めた人にもその後の人生があるということも知っている。それ故、人格までも否定するような行動には出ない。経営者を入れ替えることが目的なので、退職金に割増代を支払うことで「全て丸く収まる場合」はそのようにする。彼らはこの割増分を必要経費として割り切っている。日本の場合、辞めるにあたり、条件を1つつけた方がよいかもしれない。旧経営陣が辞めた後、会社に顧問として残るのを遠慮してもらう。経営陣が去ることがわかったら、取締役以上の銀行幹部を若返らせる。彼らにはパフォーマンスリンクのストックオプションを与え、次に事業戦略を作らせる。

最後に、銀行経営陣を若返らせる際に、優秀だったが旧来型銀行経営陣に対し批判的であったため辞めていった人達や、合併の際に経営能力はあったもののリストラの対象になってしまった50代の人達、に再雇用のチャンスを与えることを考えてみてもよいのではないか。「持ち回り人事」から除外されてしまった優秀な人材の再活用を日本の銀行再生のために活かすことは、経営陣の若返りとは決して矛盾していないと筆者は思う。

改革のために残された時間はあまりない。実施が難しいから提案しないのは改革の先送りである。我々は最後のチャンスを世代交代というカードを使ってものにすべきである。

日本が自力で起き上がるには勇気ある世代交代が必要であり、今がそのチャンスなのである。

2002年12月17日

2002年12月17日掲載

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