「自己責任原則」が日本にやって来た-少数説的経済用語解説その2-

斎藤 浩
客員研究員

最近の規制緩和と金融ビッグバンの中で猛威をふるっているのが、「自己責任原則」。今回は、これを少数説的*に解説したい。なお、例によって経済学的な基盤はないので、本稿を入試、卒業論文などに引用して恥をかいても筆者は一切関与しないのでそのつもりで。

「自己責任原則」は日本では受け入れられない?

実は、少数説的には、「自己責任原則」という言葉は、日本では絶対受け入れられないと思っている。そのことを解説するために、最初に自己責任原則が絡む代表的な日常例を挙げてみよう。

  1. 今年の4月から銀行預金のペイオフが始まった。銀行がつぶれたら、預金が1000万円までしか保護されない。それが「自己責任」に基づくグローバルスタンダード
  2. 生命保険がつぶれても、「自己責任」で全額は保護されないので、危ない保険会社をすぐ解約しなさい。
  3. エンロンの破綻でMMFが元本割れ、でも「自己責任」ですから救済はありません。

「自己責任」って事故の責任を押し付けられるということ?

日本での特徴は、「自己責任」が、自分にとって悪いことが起こった時に誰かのせいに出来ませんよ、という「事故責任」になってしまっていることにお気づきでしょうか。この形での「自己責任原則論」は、何か起こっても救済されないのだから「そういうひどい目に合わないように自分で気をつけなさい」というリスク回避型のアドバイスにつながりやすい。しかも「自己責任」は、弱い人たちに我慢を強いる理屈になりやすい。戦後頑張って働いて国を豊かにし、やっと年金や預金で楽が出来ると思ったらまだまだ我慢は続きますというのでは本当に浮かばれない。そうなると、「自分で気をつけなさいと言ったって、お年寄りや子供には無理ですよ。だから、ペイオフなんて無理。そういう人たちを犠牲にするような何でも米国式のグローバルスタンダードには絶対反対」という意見が出てくる。だから、そういう不満を押さえ込むために使われてしまう「自己責任」は、日本では本当の意味では国民感情として受け入れられないと思うのです。

自己責任は、「事後責任」ではない

では、少数説的に「自己責任」を扱うとどうなるのか。先ず、何らかの損害が出た時の責任分担の論理としては使わない。損害が発生した時には、仮に自分で納得して買った金融商品でも、説明がおかしいとか、運用が変だと思うなら、賠償を要求すればよい。グローバルスタンダードが金融商品の自己責任原則を前提にしているからといって泣き寝入りする必要は無いんです。現に米国でも新種の金融商品で損害を受けた人が訴訟を起こして勝っている例は山ほどあります。でも、損害が出た、あるいは出るかもしれない、といって「そういう商品を政府が売らせないように規制しろ」とはいわないで下さい。そう、少数説的には「自己責任」というのは、取引相手との関係ではなく、政府との関係で使われるべきものなのです。

規制を緩和し、自由に商品を売れるようにすることが日本の金融市場の活性化につながるのですから、「自己責任」は金融ビッグバンの重要な前提です。そう理解してもらっても、多分、金融アナリストの人は、「そうです、政府が守ってくれないから、金融のプロ相手に身包み剥がされないよう、自分でリスクを避けるようにして下さい」と説明するでしょう。相変わらず「自己責任」は、知識が不十分な人を犠牲に金融業者の発展を画策する悪巧み一味の用心棒の地位に甘んじざるを得ません。多くの正統派は、ここで説明を止めてしまいます。政策的には、「それを前提に必要なら例外的に弱者保護の配慮は残します」ということでしょう。多分それが正しいのでしょうが、だからこそ、「自己責任原則」は日本に受け入れられないと思うのです。

三つ子の魂 百まで

現在、日本は個人で1400兆円にも届こうかという金融資産を持っていますが、その内、5,6割が預貯金です。金融自由化の狙いは、この預貯金を米国並みに株式、投信など多様な金融資産に分散させ、リスクのある投資に資金を向かわせようということです。でも、日本は子供が貰ったお年玉を母親が取り上げて「無駄遣いしないで貯金しなさい」という国ですから、100歳になってもテレビ出演料を「老後の貯え」に貯金しておくのも至極当然の行動でしょう。子供の責任で使わせるのが心配な金額をお年玉であげるのも変な気がしますが、それをお母さんが「無駄遣いをして後で後悔しないように」取り上げてしまうのは、もっと変です。子供の責任で扱える金額をあげて、それで「つまらないもの」を買って後悔するか、もっと高いものを買うために貯金するか、株式投資をして儲けを狙うか…。結果としてお年玉はパアになるかもしれませんが、子供の責任で自由にお年玉を使わせてみるといいのではないでしょうか。母親より資産運用が上手い子供やおばあちゃんなんて、頼もしいと思いませんか?

天は自らを助けるものを助ける

子供に「株を買わせて儲けを狙わせる」なんて非教育的なことは絶対駄目と猛反発されそうですが、それでは、何歳からOKにしましょうか? お酒並みに20歳からにしますか。でもそれまでは、自分のお金を自分の責任で使わせないんですか?

少数説的に一番強調したいのは、リスクを回避するばかりではなく、「自己責任」でリスクに直接晒され、時には失敗してそのリスクとどう戦うかを身に付けようということです。小さい子供にもそれに見合った「自己責任」が立派に取れるのですから。

金融ビッグバンは、英米をモデルにしていますが、日本のデフレやゼロ金利などは米国は勿論、どの国も経験したことがない。グローバルスタンダードだからそれに従えということではなく、初めてのことでリスクだらけなのですから、自分で問題解決方法を考えて対処していくしかないのです。こういう状況を打破していくためには、「自己責任原則」という人を萎縮させる言葉では駄目。少々の失敗にめげず、貪欲に学習して、リスクに立ち向かっていく元気を与える言葉が、明治維新の時のように必要なんだと思います。ある米国の投資コンサルタントが「いかに儲かるかではなく、いかなるリスクがあるかを分かりやすく説明するのが、コンサルタントの一番やりがいのある仕事」といっていましたが、まさにそこです。米国では、frontier spiritがぴったりでしょうが、さて日本語ではなんというべきか。大人しい農耕民族からどう猛な狩猟民族への変身を促す「自力救済原則」なんてどうでしょう。

*少数説的=本稿では、最近流行った経済用語で、ちょっと違うふうに説明してあげれば理解しやすいのにと思われるものを少数説的経済用語として取り上げている。

2002年5月7日

2002年5月7日掲載