中国における経済体制改革と労働力市場の形成

孟健軍
ファカルティフェロー

改革・開放以来、中国社会は伝統経済および計画経済から市場経済に向かって着実に変わっている。最も重要な特徴は計画経済体制下で身動きできなかったヒト、モノおよびカネといった生産要素が市場化によって急激に移動を開始したことである。筆者はこの「生産要素の流動化」をキーワードに中国経済の市場化過程における労働力市場の形成を考察し、それが現在まで以下の3つの段階を経過したと考えている。

農村改革と労働力の流動化

農村改革は1978年から84年までの間、農村における農業生産請負制の導入を中心とした改革の第1段階であった。人民公社が全国範囲で解体され、農業経済の成長および農村社会の安定により、政府は大きな成果を掌中にした。一方、長年抱えてきた大量の農村余剰労働力問題は一気に噴出し、1980年代後半からの大規模な「出稼ぎ労働ブーム」、すなわち内陸農村部から沿海都市部への都市・農村間移動および地域間移動は大きな社会問題をもたらしている。

人口純移動の分布を示すものが図1である。1990年、1995年の2時点において、ともに純流入となっているのは広東を初め、上海、北京等の7地域であり、逆に2時点とも純流出となっているのは四川を始め、安徽、湖南等の12地域である。広東、上海、北京の3地区では圧倒的に人口流入が多く、かつ相互の移動が小さい。北京と上海は中国最大級の直轄都市であり、広東は近年の経済改革によって一番恩恵を得た地域である。そのためこの3つの地区は中国における人口移動の中心的位置を占めているとみることができ、人口移動は北京(天津)エリア、上海(江蘇)エリアおよび広東エリアの3つの圏内に集中している。純移出の分析結果から、流出地域には地理的に近い中心エリアを移動先として流出しているという特徴がある。すなわち、最大の流入地域である広東エリアには湖南、広西および江西が隣接し、上海エリアには安徽と浙江が隣接し、そして北京エリアには河南と河北が隣接する。なお純移出が最も多い四川からはあらゆる中心エリアおよびその周辺地域に向かって人口流出が大規模に起こっている。

図1 人口純移動数

なぜ労働力が地域を跨り大規模に移動しているのか? 最新の「2001年中国統計年鑑」によると、2000年の農民と都市住民との所得格差は、都市住民の1人当り可処分所得が6280元であるのに対して、農民のそれは2253.4元であり、約36%に過ぎない。地域間の経済格差は沿海部の上海で1人当りGDPが3万4547元になった一方、内陸部の貴州のそれは2662元で上海と13倍の格差がある。このような大差が中国における農村・都市間および地域間の労働移動の動機ないし要因に大きく寄与しているに違いない。実際の計測結果を見ても、1995年のデータを元に省別にみた場合、移入人口率と一人当りGDPとの間には高い相関関係が示され、人口移動は地域間の経済格差により生じたものと確認できる。これは市場メカニズムの導入による計画経済から市場経済への変化に伴い、生産要素の流動化によって生じた必然的な帰結である。

都市改革と労働雇用

政府は1985年から第2段階として国有企業改革を中心とした都市改革の展開を試みた。都市改革は農村改革と同様に何より市場メカニズムの導入を至上の課題とした。1978年から2000年までの間に中国経済はさまざまな試練を受けたものの、平均9.5%の高成長を成し遂げてきた。同期間には第1次産業の労働就業比重は70.7から50.0と20.7ポイント大幅低下し、第2次産業のそれは17.6から22.5までと4.9ポイントで僅かながら上昇し、そして第3次産業のそれは11.7から27.5までと15.8ポイント大きく増加している。

図2は統計資料の揃った1990年以降の主要所有形態別の就業者数を比較したものである。それによると、90年代に入ってから国有企業および集団企業への就業雇用の伸びはほぼ限界に来ており、むしろ近年における国有企業改革の深化、つまり大規模なレイオフによってかなり減らされている。また1978年の改革・開放以来、中国経済発展の牽引力となった郷鎮企業への就業は1990年の9265万人より2000年には1億2704万人に達し、約3049万人増加したものの、この2,3年に中国経済の構造調整によって頭打ちの状態が続いている。にもかかわらず同期間において最も市場経済に近い私営企業、外資企業および個人企業では併せての就業者数は1990年の2341万人から1999年の9119万人と3.9倍にまで増加している。これは中国社会において改革・開放の政策がさらに深化し、市場経済のメカニズムが定着し、国内経済が安定的に発展していることを示している。

図2 主要所有形態別の就業者数

しかし、都市改革の核心的な問題は国有企業改革であるにもかかわらず、その最終局面ともいえる余剰人員の市場化はようやくこの3、4年に始動し、それによって都市部において「下崗」(レイオフ)という大きな雇用失業問題が発生している。

労働力市場の形成

都市農村間および地域間の労働移動は、「地域間にまたがる農村労働移動指針」といった1995年の政府施策により、また送出地域の経済状況が改善されたことによって秩序化されている。さらに中国経済は1992年から95年まで2桁以上高い成長率を達成した。長期に渡って悩んでいた物価問題もマクロコントロール強化の奏功によってソフトランディングしたことが追い風となり、1996年以降、政府の人口・労働力政策は全国範囲での労働力市場の形成および社会保障制度の整備を施策の中心とした改革の第3段階に移った。1998年の朱鎔基総理の登場はこの流れに一層の拍車を駆けている。

政府は1997年から労働力市場改革の重要な一環として再就職服務センターを設立した。これはレイオフ労働者のみを対象にし、設置期間は2002年までの5年間の予定であり、それ以降、職業紹介・人材交流を中心とした労働就業市場へ一体化しようと考えている。これと同時に職業紹介・人材交流を中心とした労働力市場の形成が全国規模で急速に拡大している。

中国ではもともと戸籍制度によって労働雇用が都市部と農村部に分断されており、また同制度によって地域間の労働移動が禁止されてきた。改革・開放以降に、農村から都市への出稼ぎ労働者が大量に増えることによって、分断された都市と農村の労働市場および禁止された地域間の労働移動は大きく変容している。特に都市における国有企業改革の進展によって労働力市場は生産要素市場へ徐々に変わっている。全国範囲では職業紹介を中心とする「労働市場」と人材交流を中心とする「人材市場」が形成され、都市部では労働需要がすべて労働力市場で調達されている。「労働市場」と「人材市場」を2つに分ける理由は求職者の学歴を考慮したものである。高卒および中等専門学校以下の者は「労働市場」に、大卒以上および特殊技能を持つ者は「人材市場」に求職する。また、北京と上海のような経済発展地域では「労働市場」と「人材市場」のほかに、CEO市場ともいえる「経営者市場」が形成され、企業とくに国有企業等の経営者は「経営者市場」を通じて契約あるいは請負制で招聘されている。

しかし、中国では国有企業の改革を推進していくかぎり、都市部におけるレイオフは続いていくだろう。まして5億人弱の農村労働力の中で、少なくとも1億5000万人が余剰であり、このうちの6割が農村から離れ、都市部および他の地域で仕事を探さなければならない。政府の予測では1997年から2007年までの間、中国における労働就業は最も厳しい状況下にあるといわれる。それは都市部の大規模レイオフと農村部の大量余剰労働力が同時発生することに起因し、社会全体的な雇用は同期間に既に許容限界を超えていると予想される。如何なる方法でこれらの労働力を吸収するかは、膨大な人口・労働力を抱えながら、市場経済化を進める中国が抱える大きな課題である。

2002年4月2日

2002年4月2日掲載

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