ブッシュ大統領のセーフガード措置発動の決断から何を学ぶか

相樂 希美 研究員

新たな貿易紛争案件として懸念される米国鉄鋼セーフガード措置

3月5日、ブッシュ米大統領は、国内の鉄鋼メーカーに構造調整のための時間的猶予を与えるため、輸入鉄鋼に最大30%の関税引上げや数量割当を3年間課すことなどを内容とするセーフガード措置を発動することを発表した。EUは即座にWTO提訴の意向を示し、日本、韓国も協議を要請した。そしてWTOに加盟したばかりの中国も初の提訴の可能性に言及した。また、EUは米国市場を閉め出された余剰供給がEU市場に向かうのを阻止するため、自らも早期にセーフガード措置を講ずることも検討しており、一連の動きは新たな貿易紛争案件として今後の成り行きが懸念される状況となった。

セーフガード措置といえば、昨年中、農産物3品目を巡り日中関係をぎくしゃくさせた措置として記憶に新しい。日中間のセーフガード摩擦は、昨年末の両国担当大臣会合を経て漸く「本格発動見送り」とする決着を見たところであるが、ブッシュ米大統領は外国からのさまざまなけん制を受けつつも結果的に「発動」の決断を下した。ブッシュ米大統領の決断の背景にはどのような事情があるのだろうか。また、日本としてこの事案から学びうる点は何なのであろうか。

米国の鉄鋼産業は、構造調整の遅れから国際競争に太刀打ちできず、過去30年にわたり輸入制限措置の主なユーザーとなっていることが知られている。かつて隆盛を誇った米国鉄鋼産業は約30万人ともいわれる定年退職者を抱えており、これらの高齢者の年金や医療保険が企業により支払われていることから、企業の存続を関心事とする強い政治圧力が形成されている。このため、企業の整理統合の遅れ→国際競争力の低下→輸入制限措置の発動→整理統合の更なる遅れという負の連鎖が断ち切れずにいる。80年代以降域内の鉄鋼産業の構造調整に取り組んできたEUでは、英国ブレア首相、独シュレーダー首相、プローディ欧州委員会委員長、ラミー欧州委員会貿易担当委員らがこぞって「米国の鉄鋼問題は、外国の問題ではなく、国内産業調整の問題だ」と苛立ちを募らせ、ブッシュ大統領を強く批判している。

背後にあるブッシュ米大統領の政治かけひきとは?

一方、ブッシュ大統領の通商分野での当面の最大関心事は、議会から貿易促進権限(TPA:Trade Promotion Authority)の承認を勝ち取ることであり、鉄鋼ロビーが無視できない。昨年末に215票対214票のたった1票差で下院を通過した法案は、上院での承認を待っており、今回のブッシュ大統領の鉄鋼セーフガードについての議会スピーチの中でもTPAの可決を明確に要請している。WTOにおける新ラウンドの開始、2005年妥結を目指したFTAA(Free Trade Area of the Americas:米州自由貿易圏)交渉など、ブッシュ政権が今後通商分野で華々しい成果をあげ、2004年の大統領選で再選を果たすためには、TPAが是非とも必要な状況にある。そして今年後半には、下院議会中間選挙で民主党が過半数奪還を狙っており、このような政治かけひきがブッシュ大統領の今回の決断の背景にある。

しかし、WTO紛争処理で米国のセーフガード措置に勝算があるかどうかは疑わしい。鉄鋼製品については、米国はこれまでもアンチダンピング措置などの輸入制限措置を取ってきており、過去3年間に米国への鉄鋼輸入は大きく減少している。WTO紛争処理に持ち込まれたとしても、セーフガード協定で求められている輸入増加と産業への損害の因果関係の要件を満たしていないとして、米国が敗訴する可能性が濃厚である。EUは早くも米国の措置がセーフガード協定に違反するとして、満足な補償が得られなければ報復措置に訴えることもありうるとの主張を行っている。米国政府は、小麦グルテンや小羊肉のセーフガード措置を巡る紛争処理で負けたばかりであり、当然このリスクを認識している筈である。ブッシュ大統領は、日本が得意としてきた「外圧」手法を利用することにしたのだろうか。自らは鉄鋼産業の擁護者との政治姿勢を保ちつつ、WTOに裁定を委ねることにより、政治リスクの回避と問題の先送りを図ったとも考えられる。

さらに、ブッシュ大統領の決断の余波は大きい。OECDにおける鉄鋼産業の余剰供給能力削減の協議は頓挫するだろう。EUは既に来月のOECD会合を抗議のために欠席することにも言及している。鉄鋼生産の中心が先進国から途上国へシフトするなかで、OECDにおける議論の限界を米国は意識したのかも知れないが、余剰設備の廃棄、貿易歪曲的な補助金の削減の方向で国際合意を形成していかなければならない重要な時期に、一転して自国産業保護の姿勢を打ち出したことへの反発は大きい。ブッシュ大統領はTPAを勝ち得た後に、貿易相手国の信頼回復というタスクに真剣に取り組まねばならない。

転換期にある日本-包括的通商戦略策定の必要性

以上のことから日本は何が学べるか。今回、米国はセーフガード措置を発動することで、自国の市場開放に関して非常に保護主義的であるという印象を改めて強くした。振り返って日本のセーフガード発動は回避されたが、日本の市場開放性に対する評価を大きく損なうことがなかったという点で、やはり評価されてしかるべきだろう。また、輸入制限措置の発動は、国内産業の構造調整を進める確固たる意志が伴わない限り、問題先送りという逆インセンティブに働く懸念がある。米国鉄鋼関係者は、「これで一息つくことができる」とメディアのインタビューに答えている。アジアの国々の間でも輸入制限措置の発動件数は増えてきており、日本も安易な輸入制限措置に頼ることがないよう自らを戒める機会となろう。他方、米国の保護主義的な動きについては、看過することなく、WTO上の権利を行使し、強く抗議して行く必要があるだろう。

一方で、米国政権が通商政策に強い意欲を持ち、TPAの獲得によりWTO新ラウンドやFTAA交渉の積極的推進に力点を置いていることに注目できる。昨年11月のWTO閣僚会合では、新ラウンドを立ち上げるため、米国は鉄鋼業界にアンチダンピング措置での譲歩を強いた。守勢だけではプラスサムは望めない。どの国にもグローバル市場の恩恵を受ける分野と自国市場を守りたい分野が存在する。日本でも自由貿易の恩恵をより多く享受するために、分野を超えた包括的通商戦略の策定を真剣に考える必要があるのではないか。

2002年3月12日

2002年3月12日掲載

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