稲作に見る日本的企業行動のルーツ

梅村 美明
上席研究員

崩れつつはあるものの、年功序列、横並びや追従志向、量的志向(利益よりも販売額、生産高重視)といった日本的企業行動のルーツはどこにあるのだろうか。護送船団行政などのかつての行政にもその原因の一部はあるのだろうが、時々、ふとこんな風に思うことがある。「日本的風土の中での長年の稲作が、製造業やサービス業を行う企業の志向・行動パターンにも大きな影響を与えてきたのではないのか…」と。

稲作が求める志向・行動パターン

梅雨や台風、それに寒暖の差が大きい日本の気候では、抜け駆けしようとして他人と違う時期に稲の苗を植えても失敗するだけで、「他人と違った行動をとらない」こと(追従・横並び志向)が重要だ。いつ、苗を植え、雑草を抜き、刈り取るか、といったことは「経験者に従う」こと(年功重視)が生産を上げる秘訣だった。また、水の確保のための水路の確保、収穫物の出荷、水害などの防災工事などは「協調して行動する」ことが大切で、かつては協調しなければ村八分にされた。村八分にされることは、生死にかかわる問題だった。他方で、収穫は旱魃や台風等、気候に大きく左右されるから、人事を尽くして天命を待つ、運を天に任せる、という"他力本願"的要素が現れる。

今でこそ米は新潟産コシヒカリがうまいだの、いや山形のササニシキの方がうまいだのといって銘柄・産地が重視されるが、それでも区別はそのぐらいの大雑把なものだ。より狭い地域の名前が出てくるのは魚沼ぐらいで、個々の生産者の顔が見えることはまずない。米は、量の多寡が極めて重要(量志向)で、戦力や経済力の大きさも、かつては米の生産量が基本であったことはご承知のとおり。

勿論、稲作は定住を基本とし、“移動”は開墾や水路の確保等、一からのやり直しを意味する。いったん確立した後は、その変化を嫌う(嫌・変化)。

狩猟が求める志向・行動パターンは?

狩猟は、経験も必要だが、重要なのは獲物を探す能力と捕獲技術だ。獲物が取れないのを動物の足の速さのせいにしたり、天候の良し悪しのせいにはしずらい(自己責任)。獲れるか獲れないのかの結果もすぐ出るために能力評価が容易だ(能力主義)。結果が出るまでに数カ月以上もかかる稲作とは決定的に違う。他人が獲物を取った場所を聞きつけて急いで行っても、もう獲物はいない。他人が探した場所と違う場所を探すことこそが重要だ(非追従・非横並び)。

獲物の量も勿論大切だか、おいしい肉、役に立つ毛皮かどうかは獲物によって大きく異なる。したがって“質”も重視される(質・量志向)。

定住よりも獲物を求めた“移動・変化”になじむ(好・変化)。

求められる志向・行動パターンの変化

日本で本格的な水田耕作が始まったのは縄文時代の末期ではないか、との説が有力のようだが、少なくとも二千数百年以上前のことのようだ。

米作りを主要産業とする極めて長い歴史の中で、上に書いたような稲作がもたらす人々の志向・行動パターンの必然性が、農業以外にもその影響をもたらしたと考えるのは自然だ。

こうした志向・行動パターンは、製造業やサービス業でもキャッチアップ過程ではうまく機能するように思うし、現に1990年代の始めまではうまく機能したといえる。ただ、トップランナーに並んだ後は、今までのやり方を踏襲しても、頭一つ抜け出ることはできないし、せっかく確保したポジションもすぐに滑り落ちる。トップランナーであり続けるためには人一倍努力し続けることは勿論だが、人がしない新たな工夫も絶えず必要となる。勿論、これまでの方法を180度変えようと思ってもうまくはいかないし、変わるものではないが、狩猟的志向・行動パターンを一刻も早く取り入れる必要があるのではないのか。

かつては、ヨーロッパや米国の高い失業率を他人事のように感じていた時代もあったが、今や日本も5.6%と、1990年代始めの人手不足騒動が信じられない数字となっている。

日本人の志向・行動パターンは変化しつつあるが、変化のスピードをもっと加速しないと、痛みはますます大きくなる。もっとも変化が必要なのは、企業だけでなく、行政や政治は勿論、我々一人一人の意識の方かもしれない。

最後に、田中伸男副所長の後任となりました梅村です。挨拶代わりに拙文を書きましたが、日本がこの激動の時代を経てしっかりとした足取りで歩むために、経済産業研究所の研究がお役に立てるよう、小生もがんばりたいと思います。ご協力・ご支援をお願いします。

2002年2月5日

2002年2月5日掲載

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