双贏と接軌-WTO加盟が中国にもたらすもの

荒木 一郎
上席研究員

去る9月17日、ジュネーヴの世界貿易機関(WTO)本部で開かれていた中国加盟作業部会において、中国の加盟条件についての合意が得られた。これにより、1986年以来15年の長きにわたった加盟交渉はようやく終了し、来月ドーハで予定されているWTO閣僚会議における正式承認、中国国内の批准手続を経て、来年早々には中国は晴れてWTOの加盟国となる見通しである。

ここに至るまでの道筋は決して平坦ではなかった。WTOにおける加盟交渉は、相互主義(いわゆるギブアンドテーク)に基づく通常の貿易自由化交渉と異なり、既加盟国側が新規加盟国に対し一方的な譲歩を迫る交渉(いわばテークアンドテーク)となりがちだからである。すなわち、既加盟国側が代価として提供するのは「加盟の承認」という抽象的行為のみであり、新規加盟国に対し新たな関税譲許やサービス自由化約束をすることは通常行われない。中国の場合も、大幅な市場アクセスの改善を求める既加盟国側の要求の大部分を受け入れることで、何とか加盟実現へと漕ぎ着けたわけである。中国はなぜそこまで譲歩してでもWTOに加盟しようとしたのだろうか。もちろん、正統的な経済学説によれば、貿易の自由化は、それがたとえ一方的に行われる場合であっても、当該国の経済厚生を必然的に増大させるのだから、貿易の自由化約束を「譲歩」ととらえるのは誤りであり、中国が加盟実現のために多大な犠牲を払ったかのように考えるべきではないということになろう。しかし、交渉に携わってきた者としての実感を述べれば、やはり中国は相当苦しい決断の末に自由化約束をしたように思える。

さて、中国国内でWTO加盟がもたらす利益としてしばしば語られるのは、「双贏」(そうえい)と「接軌」という2つのキーワードだという。双贏は、英語のwin-winのことであり、中国のWTO加盟によって中国も他のWTO加盟国も共に利益を得るという意味である。接軌というのは、鉄道の軌間(ゲージ)を合わせることという意味であるらしい。簡単にいうと、経済諸制度を「グローバル・スタンダードに合わせる」ということになろうか。

双贏が経済学の命題として正しいことは、上述のとおりである。しかしながら、少なくとも短期的には、WTO加盟に伴って非効率なセクター(穀物農業など)や経済発展の遅れた地域(内陸部など)に調整の痛みが生じることは避けられないであろう。このことは、中国国内でもよく理解されているようである。例えば、加盟交渉の過程で次のようなことがあった。1999年4月に朱鎔基首相が訪米した際、米中間の市場アクセス交渉が妥結寸前で決裂したにもかかわらず、米国政府が中国側の譲歩の内容を一方的にインターネットで公開した。このことは中国国内で大問題となり、同年秋に対米交渉が再開されるまでの間、中国の対外貿易経済合作部(貿易・経済協力省)の担当者は関係業界や地方政府への事情説明に追われていたという。双贏というスローガンにもかかわらず、中国国内には、WTO加盟に伴う調整のプロセスに対して不安を抱く向きが多いことは容易に想像できる。

むしろ中国の政策担当者にとって当面重要なのは、双贏よりも接軌の方であろう。昨年秋、米国議会において対中最恵国待遇供与法(いわゆるPNTR法)が可決された直後に、当時のクリントン大統領がニューヨークタイムズに投稿して次のように述べている。

「中国国内の強硬派がWTO加盟に反対しているのは、閉鎖的な中国の経済体制が彼らの政治的統制を強化するからである。改革志向の指導者たちは、グローバル化した経済においては、中国の経済はより開放的で競争的にならなければならないことを理解している。すなわち、政治的なリスクにもかかわらず、WTOに加盟することが山積する課題を克服し、国内の争乱と分裂を回避する唯一の道であることを理解しているのである。言い換えれば、他の諸国と同様、中国においても、グローバリゼーションにどのように対処すべきかを巡り論争が起きているということである。WTOへの加盟により、中国は経済活動や人民の生活における政府の役割を減少させ、ルールと責任に基づく国際システムに統合されていくコースに向かって行くであろう」(The New York Times, September 24, 2000, "China's Opportunities, and Ours")

この記事を最初に読んだときは、「米国民向けのメッセージとはいえ、米国政府も随分内政干渉的なことをいうものだ」という印象を持ったが、この投稿に対して中国政府から抗議があったという話も聞かないし、この記事は中国の指導部が内心で考えていることを米国人らしい率直さではっきりと指摘したものとも評価できるのではないだろうか。

クリントン大統領の指摘を待つまでもなく、「グローバル・スタンダードに合わせる」という大義名分の下で、経済活動に対する政府の恣意的干渉を減らし、法の支配と競争原理を導入していくことは、今後の中国の政治・経済運営にとって極めて重要なことである。しかも、WTO加盟後は、これが国際約束になるのだから、容易には後戻りできなくなる。中国指導部内の改革・開放派はまさにこのことを狙っているのであろう。

メキシコは、1980年代半ば以降、それまでの閉鎖経済体制、輸入代替工業化路線を捨て、貿易・投資の自由化を進めてきたが、それらの成果を1986年のガット加入、1992年の北米自由貿易協定(NAFTA)を通じて国際約束とした。このことは、メキシコ国内で自由化路線を固定化(lock in)する効果を有したと評価されているが、現在の中国もこれと同様、改革開放路線を国際約束化することで、将来の抵抗勢力に対する「外圧」として作用することを期待しているのであろう。

中国のWTO加盟が現実になった以上、日本を含む既加盟国側は、接軌をめざす中国政府の努力を最大限助長すべきである。中国側のWTOルールの遵守状況を厳しく見守るとともに、制度運営のための人材育成支援や技術援助を惜しむべきではない。

この点で、気がかりなことがひとつある。対中特別セーフガード(中国を原産地とする貨物一般に適用されるルールと繊維に対する特別ルールとがある)及び中国製品に対しアンチ・ダンピング調査を行う際の国内価格算定方法の特則である。貿易ルールに関する限り、ほとんどの場合、WTOルールがこれすなわちグローバル・スタンダードと考えてよいのであるが、これら2分野に限っては、他のWTO加盟国が中国に対して差別的輸入制限措置をとることが容認されている。いわば鉄道のゲージが合っていない状況が生まれているのである。これは、中国のWTO加盟に最後まで反対していた米国の繊維業界や鉄鋼業界、労働組合等をなだめるために、米中交渉の最終段階で挿入されたルールなのであるが、加盟後12年ないし15年という長期間にわたり、中国製品だけに(より保護主義的な)特別ルールが適用されることになる。

我が国には、農業関係者を中心に対中特別セーフガードに強い期待を持つ向きがあるようであるが、もし中国加盟直後から、我が国をはじめとする各国が次々に対中特別セーフガードを発動したら、WTO加盟に対する中国国民の期待は早々に裏切られてしまうことになろう。「双贏のはずではなかったのか。なぜ我々の製品だけが差別されるのか」という国民の疑問に対し、中国政府は接軌を理由とする説明はできない。グローバル・スタンダードに合っていないからである。このような不幸な事態を招かないためには、各国ともに特別セーフガードの発動やアンチ・ダンピング調査の特則の適用には、特に慎重に対応する必要があると思う。

2001年10月11日

2001年10月11日掲載

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