実験経済学ないしは制度設計工学のすすめ

西條 辰義
ファカルティフェロー

自由化、規制緩和などをうけて、電力、ガス、電波などさまざまなマーケットが創設されようとしている。財の特質や他のマーケットとの連携などを熟慮してマーケットをデザインしないと、カリフォルニアの電力危機のように失敗に終わる可能性がある。

ただ、従来の経済学は、細部を含めマーケットをどのようにデザインすべきなのかに関し、明確な解答を持ち合わせていない。というのは、その振る舞いに関し、新しいが故に過去のデータがないため、検証する手段を持ち合わせていないからである。

このような状況を打破するために、新たなマーケットを実験室の中で再現し、被験者を用いて、何が起こるのかを調べる手法が開発されつつある。複雑な現実の中から、確認したい要因ないしは変数を抽出し、コントロールされた環境の中で変数の間の関係を確認するのである。このような実験を用いた手法は、自然科学の分野では当然のことになっているものの、社会科学においては、社会現象は復元性がないなどの理由で、実験は不可能であるとの見解が支配的であった。

新たに登場しつつあるマーケットの例として、気候変動枠組み条約の京都議定書における温室効果ガスの排出権取引を考えてみよう。まず、温室効果ガスの発生や除去に関する自然科学的な知識が必要となる。次に、排出権が持つ普通の財とは異なる社会科学的な性質(売り手は、売った分だけ温室効果ガスを削減し、買い手は買った分以上には温室効果ガスを排出できないことなど)を吟味しつつマーケットを構築せねばならない。さらには、マーケットの参加者にどのような情報を開示(ないしは非開示)し、取引方法については、分権的な相対取引がよいのか、取引を集権的に制御するオークションがよいのかなどのさまざまな要因をコントロールせねばならない。このような数々の要因を組み合わせることにより複数の制度を考えることができる。そしてこれらの制度の性能を実験室の中で確認するためには、そのためのソフトウェアの開発が必要となる。もちろん、このソフトウェアは、ひとつの制度を表現するものではなく、さまざまな制度を実現できるように設計されねばならない。これらの準備を経て、被験者を用いて実験をすることになる。被験者には、ラボにおけるパフォーマンスに比例する方式で謝金を支払う。貨幣的なインセンティブをきちんとつけることによって、実験結果を確かなものにするのである。次に実験結果のデータ解析が必要となる。このような手順を経て、複数の制度の中でどの制度が良いのかが分かってくる。

ただ自然科学の場合と異なり、上述の実験では、全く同じコントロールのもとで、ほぼ同じ結果が起こるとは限らない。とはいえ、なにがしかの傾向を見出すことは可能である。たとえば、電力の自由化によって、電力の将来価格が下がると予想する人々が多いとするならば、発電のための投資は少なくなるであろう。この予想が当たれば良いのだが、もし人々が不確実性に対し過剰に反応するならば、予想される水準よりもさらに投資が減ることにより、ほんの少しの需要の増大にも対処できないことになる可能性がある。結果として、電力価格は下がらずに高騰することになるかもしれない。このように、最適化モデルで想定する合理的な人々ばかりでなく、被験者の心理的な要因も分析対象となる。

以上のように、従来の社会科学とは異なり、自然科学的な知見、社会科学的な知見、コンピュータ・ネットワークの構築、データアナリシス、心理学的な分析などなど、さまざまな分野の研究者が協働を行うことによって初めて、新たな制度のデザインが可能になる。実験で得られたデータからコンピュータ・シミュレーションも実施できる。マーケット・エンジニアリングないしは制度設計工学と呼ぶべき新たな手法の出現である。

制度設計工学の手法は、研究ばかりでなく、従来の社会科学の教育手法の革新を引き起こすであろう。たとえば、従来の経済学教育における説明は、言葉やグラフ、さらには数式によるものが中心であった。新たな手法のもとでは、学生が実験に参加することによって何が起こるのかを体感できるのである。自分自身で体感した事実は、必ず経験として残る。従来の教育では、どの理論でも有効であるという平面的な知識しか提供されていないが、新しい手法による教育だと、上手くいくものといかないものの違いを立体的に際だたせることができる。

社会科学における実験研究の主な拠点はキャルテック、ハーバードなどだが、我が国でも実験研究がようやく離陸しようとしている。

以上のように制度設計の新たな手法は、社会科学的な課題を、従来の社会科学的な手法のみで分析するのではなく、実験という手法を通じて、現実の問題の解決、研究及び教育の革新をもたらすであろう。

2001年10月2日

2001年10月2日掲載

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