対中国政策をこそ議論しよう

北野 充
上席客員研究員

昨今、中国を巡るニュースが多い。今年の初めから振り返ってみても、台湾の李登輝前総統へのビザ発給に始まって、セーフガードを巡る貿易摩擦、歴史教科書の問題、小泉総理の靖国神社参拝など、中国との間には外交問題が山積している。

対中経済協力のあり方についても盛んに論じられている。最近も、塩川財務大臣が「国民感情からいうと、原子爆弾を持ち、軍事力を増強しているところに、日本が無条件でODAをどんどんやっていることに対し、もっと上手に使ってもらえないかという感じはある」と発言し、話題となった。

「靖国」や「教科書」や「セーフガード」を巡る日々の進展は、当面の両国関係に大きな影響を与えるニュースではある。中国に対する経済協力のあり方についても、大いに議論がなされてよい。しかし、こうした中国を巡る報道や論議を見ていて違和感を禁じ得ないのは、日本の対中国政策そのものについての議論があまりに少ないことである。あたかも、中心の核となるべきところに奇妙な空白があるような感じが、そこにはある。

「改革・開放」の支援を目的に行われた20年余りの対中経済協力

中国への経済協力に対する批判には、大切な論点がいくつも含まれている。「軍事大国化」、「目覚ましい経済発展」といった論点は、いずれも重要である。しかし、これらの論点のみを指摘し、中国に対する経済協力はケシカランというだけでは、日々、存在感を強めつつあるこの隣の大国とどう向き合って行くのがよいかという、何よりも大事な問題について日本が進むべき道筋は見えてこない。

中国に対する経済協力は、1979年以来、中国の「改革・開放」を支援するとの政策目的で行われてきた。1979年といえば、文化大革命で「革命」を声高に叫んでいた中国のイメージはまだまだ強いものがあった。その中国が、西側諸国の資金と技術を導入して4つの現代化を進めようという方針に転換した。中国の「改革・開放」を支援することは、日本の対中政策の根幹となった。

それから20年余りの時が経った。今、中国とどうつきあっていったらよいのか、との視点から、これまでの対中経済協力と対中国政策を振り返ってみると、1979年以来、前提としていたいくつかの条件が根本的に変わってきていることに気づかされる。

第一は、中国の国内政治の変化である。筆者は1990年代初頭に北京で勤務する機会があったが、当時、中国の内政を分析する際の主な視点は「改革派」と「保守派」との対立という構図であった。中国の指導部の中では、どれだけのスピードで、どの範囲まで市場経済の仕組みを取り入れるかについて路線対立があった。ところが、1992年、トウ小平が市場経済メカニズムを大胆に取り入れるよう大号令をかけて、勝負がついてしまった。ここからは、皆が「改革派」となった。「改革・開放」を支援するとの政策は、「改革派」と「保守派」との対立・緊張関係がある中において、「改革派」が勢力を持つ中国の方が、つきあいやすい中国である、との判断に基づくものであった。ところが、「改革・開放」は、当然の前提となってしまった。その流れは、その後も強くなるばかりである。

第二は、中国の国際社会への参加の進展である。1989年の天安門事件が起こった時、中国に対してどのような姿勢をとるべきかが議論された。その中で対中強硬論への反論として「中国を孤立させてはいけない」という議論があった。ところが、中国の国際社会との結びつきは、その後、劇的に進展した。中国のWTO加盟に向けての進展と2008年の北京オリンピック開催決定はその象徴ともいうべきものであり、今や、中国が国際社会との間で密に張り巡らせたネットワークから自らの身を引き離すことは余程の事態がない限り考えにくい状況になっている。

第三は、逆説的ではあるが、「改革・開放」が実際に目覚ましい成果を上げたことである。「改革・開放」が最初に唱道された1978、79年当時、今日の中国経済の隆盛も、中国企業が世界市場において日本企業の手強い競争相手になるといった状況も、およそ想像しがたかった。「改革・開放」政策が成功すれば、経済水準は向上するだろう。しかし、この野心的な政策が実際に継続して実施に移されるのかも、その政策効果がどの程度のスピードと規模とで実現するのかも予測の範囲を超えていた。従って、中国の経済発展がいかなる帰結をもたらすかについて考えることは、当時の喫緊の課題とはなり得なかった。「改革・開放」政策は、中国の経済発展をもたらしうる一方で、軍事強化にもつながりうる。これは中国が国際政治における自己主張を強めることにもなり、経済的にも日本の「競争相手」として台頭する意味を持つ。そういった論点は、将来的な問題であり、当面の課題とは認知されていなかった。ところが、「改革・開放」が目覚ましい成果を上げたことによって、これらの問題に実際に直面せざるを得なくなってきた。

今こそ、中国側の変化を捉えた政策のあり方を議論すべき時期

こうした変化が徐々に進む中、中国の「改革・開放」を支援するとの日本の政策は、さまざまなチャレンジに逢着してきた。80年代、多くの問題が日中関係を揺さぶった。82年の教科書問題、85年の中曽根総理の靖国神社公式参拝問題、87年の光華寮問題、89年の天安門事件。両国関係は、これらの問題で一時的に揺れても、やがてもとの道筋に戻っていった。日中関係の根本のあり方についてのしっかりした方針があれば、一時的な問題があっても、復元力が働くのである。しっかりとした政策とは復元力を持っているものであり、「改革・開放支援」も堅固な復元力を発揮してきた。その中にあって、対中経済協力は、「改革・開放支援」の具体的なツールとして、また、日本がこの政策を変えることなく中国とつきあっていくのだというメッセージを伝える方途として、復元力を利かす役割を果たしてきた。

しかし、90年代に入ってからは、前述したような中国側の変化が決定的に進んだことによって、その政策としての鋭利さと復元力は徐々に薄れるばかりか、今や、日本人が中国に対して抱く「恐れ」や「いらだち」は増大していく一方である。そうした今こそ、状況の変化を捉えた対中国政策のあり方について議論が必要な時期であろう。

日中の二国間の関係を、いつも「過去の問題」に足を引っ張られるのではない、未来志向の関係としていくためにはどうしたらよいのか。軍事・安全保障の面で、安定と相互信頼を構築するためには何をすべきなのか。経済面で摩擦の種を早期につみ取り、「プラス・サム」の要素を強めていくためには、どのような相互関係のビジョンと問題解決の枠組みが必要なのだろうか。二国間関係だけではなく、地域問題やグローバルな課題に一緒に取り組んでいく厚みのある日中関係を構築するためにはどうすればよいのか。アジアにおける地域統合の将来のビジョンの中で、日中両国の果たす役割はどういったものなのか。安全保障・軍事の面ではアメリカとの同盟関係を機軸とした対応を堅持しつつ、経済の面では中国と更に幅広い協力関係を構築していくためにはどのような道筋が考えられるのか。こういった課題に対応する上で、アメリカやアセアン諸国とどのように一緒に取り組んでいったらよいのか。

こういった議論がもっとなされるべきである。日本からの経済協力に感謝していないとか、「過去の問題」への言辞をケシカランというだけで終わるには、中国という国は、21世紀の日本にとって、あまりにも重要な存在であると思うのだ。

(付記)この度、東洋経済新報社より出版された「日中関係の転機 東アジア経済統合への挑戦」(宗像直子編著;経済政策レビュー第2号 経済産業研究所)は、本年4月に開催されたラウンドテーブル「21世紀東アジアにおける日中関係について:経済統合への機会と挑戦」をベースにまとめられた本ですが、今後の日中関係を考える際に視野に入れるべき幅広い論点について、示唆に富む分析と提言が多く盛り込まれている好著です。ご一読をお勧めします。

2001年9月4日

2001年9月4日掲載