不良債権処理・先送りからの訣別

鶴 光太郎
上席研究員

「聖域なき構造改革」を標榜する小泉内閣にとって不良債権問題の解決は文字通り待ったなしの状況である。先の緊急経済対策で決められた不良債権のバランス・シートからの切り離し(2-3年以内の直接償却)が確実に実行されれば、特に、主要行にとって不良債権問題の抜本的な解決に向けての大きな前進になることは間違いない。しかし、こうした政策の成否は、まさに、過去10年近く続けられてきた不良債権問題先送りのメカニズムとその経済への影響の正しい理解によるといっても過言ではなく、それなくしては、不良債権問題がもう一度振り出しに戻ってしまう危険性も否定できない。

90年代の邦銀の貸出行動を説明する重要なキー・ワードは「ソフトな予算制約」である。これは元来、旧共産圏諸国において、非効率な国営企業にお金がルーズに注がれる現象を示した用語であるが、市場経済に移行してからも、銀行・企業間関係に広く見られる現象として注目されてきた。基本的なメカニズムは、プロジェクトが不良化した企業に対しては既に融資(及びモニタリング費用負担)が行われているので、銀行は融資をストップして損切りするよりも、追加的に融資して少しでも利益が出ると考えれば、これまでの融資全体では赤字となったとしても再融資して損を少しでも取り戻した方が有利になるというものである。つまり、「ソフトな予算制約」のメカニズムは「追貸し」の理論的な根拠を与えるのである。

日本の場合、バブル期に急増した不動産関連融資がバブル崩壊後大きく不良化したが、90年代を通じて不動産業向けの融資残高は増加しつづけた。不動産関連の不良債権の場合、地価が将来上昇すれば、担保価値も上がるので、銀行にとってはすぐ担保回収等の「直接償却」(最終処理)を行うのではなく、当面は貸倒引当金等を積んで-「間接償却」(会計上処理)、地価の様子を見ながらその処理を考えた方が合理的な選択であり、これが更に「追貸し」に拍車をかけたと考えられる。こうした楽観的な地価上昇期待を持つとともに、不良債権の開示が不十分な中で、将来、債務超過になったとしても資本注入を受けられると思えば、危ない銀行は「追貸し」を続け、いちかばちかの「復活への賭け」を行おうとするだろう。しかし、期待に反して地価は下がりつづけ、個々の銀行にとって事前的には合理的なはずだった先送りの選択(「間接償却」)が事後的には不良債権の更なる増殖を生み出してきたのである。

こうした見方に立てば、不良債権問題の影響を単純なクレジット・クランチ論や疑心暗鬼により経済取引がストップしてしまう「ディスオーガニゼーション」で説明することは現実的でないことがわかる。むしろ、因果関係としては、非効率的な不動産(及び建設・流通)関連の企業に「追貸し」が行われているために、本来ならば資金が流れるべき企業(製造業)に新規融資が行われないという意味で、「ソフトな予算制約」と「クレジット・クランチ」が並存していると考えるべきなのである。例えば、97年末に起きたクレジット・クランチは、不良債権の情報開示強化や早期是正措置の導入などを受けて「追貸し」が難しくなるという、本来ならば正常化への移行過程だったはずなのに、政策的には中小企業への債務保証制度が拡充され、またしても「ソフトな予算制約」が生き長らえるという愚が犯されたことは記憶に新しい。

さらに、先送りメカニズムとして最近、経済学で注目されているものとして「評判」の役割がある。銀行が不良債権を「直接償却」(債権放棄・売却等)してしまえば、貸出判断の誤り、ひいては経営者の失敗を最終的に認めることになるため、かれらの「評判」が損なわれることとなる。また、公的資金の個別行への注入もうまくいかなかった理由も経営者の「評判」への配慮を考えればわかりやすい。銀行監督当局も債務超過銀行の閉鎖という形で不良債権問題を抜本処理できなかったのもそれにより最終的な監督責任が明確化されてしまうからであろう。さらに、不良債権問題は個別行によってその処理・政策対応が異なるはずであるが、それを明らかにしたとたんマーケットが銀行のバランス・シートの傷み具合を予想するため(シグナリング効果)、過剰反応した場合にはシステミック・リスクにつながりかねないという懸念がこの期に及んでも漸進的な護送船団方式の不良債権処理を生んできたことも否めない。

したがって、不良債権問題解決の根本は「ソフトな予算制約」の連鎖を断ち切り、借り手、貸し手、監督当局の責任を最終的に確定することである。そのためには、不良債権処理をこれまでのように銀行の自主的判断や裁量に任せるのではなく、徹底した情報開示によって、各行によって異なる問題貸出先の不良債権分類、引当率を現実的なレベルへ統一させる中で、それらの債権を強制的に処理させていくことが重要である。不良債権処理にかかわらず、今求められている構造改革の視点として重要なのは、「過去のしがらみを断つこと」である。政・官・財の至る所で築きあげられてきた長期・継続的な関係とそれを支える関係特殊な投資(「しがらみ」)の網の目がシュンペーター的な「創造的破壊」を妨げている。今後、不良債権の最終処理が本格化すれば、「追貸し」が是正されるという意味でのクレジット・クランチ、更に、極端な場合は、「ディスオーガニゼーション」のような状況が出てくるかもしれない。しかし、労働移動の円滑化など、あくまでも資源再配分をスムースにすることにより構造改革の痛みを乗り越え、経済の「新結合」を促進していくべきであろう。

2001年6月5日

2001年6月5日掲載

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