仕切られた多元主義を越えて

青木 昌彦
所長・CRO

日本経済の当面している困難は、単に伝統的な景気循環対抗的マクロ政策によっては解決し得ない、構造的な要因に起因するとの認識が次第に浸透してきた。そうした認識から引き出される政策的処方は、いわゆる「構造改革」だとされる。しかし、必要な構造改革とは何か、それはいかなる道筋で達成されうるのか、という肝心なことになると、必ずしも明確なビジョンは提起されていない、あるいは基本的な共通理解はまだない、といってもよいであろう。誰でもこれ以上の財政赤字が放置し得ないこと、そのためには財政赤字を縮小させるための構造改革が必要であることは認めるが、具体策となると抵抗が大きい。いわゆる「総論賛成・各論反対」という壁である。この壁の起こり来たる本質は何か、それはどういうふうに乗り越えられるのか、こうした基本問題についても認識が深められる必要があるだろう。

各論反対に象徴されるような、日本における既得権益保護の政治経済的な制度的特質を、私は「仕切られた多元主義」あるいは「官僚的多元主義」(英語ではビューロー・プルーラリズム)と呼んできた(拙著「日本経済の制度分析」、「経済システムの進化と多元性」、「比較制度分析に向けて」(近刊)を参照)。簡単にいうと、このメカニズムの本質は次のようなことにある。まず、日本では組織の中での情報、価値、成果の共有ということが重要な役割を果たしてきたので、人々の組織間流動性は極めて低い。人々の人的資産の経済的価値は、労働市場における競争というより、それぞれの属する組織の存続可能性、成長性によって保証され、高められるという期待が暗黙のうちに一般的に共有されている。そして、組織のリーダーにとっては、それがどのようなレベルであれ、当該組織の成員の既得利益を守り、拡大するということが至上の任務として課せられる。そうした民間組織のヒエラルキー構造の頂点に立つのが、広い意味での「業界団体」である。そして、業界の仕切りの内部では、構成組織はたがいに競争しながら、外部に対しては共通の利益を促進すべき、業界団体を通じて管轄官庁の部局に働きかけ、あるいは政治家の力を動員しようとする。管轄官庁自体も同様の特質を持った組織であるから、業界団体と管轄両者の間には、共通の利害が存在する限り、あるいは相互の凭れ合いを通じてそれぞれの存続可能性が期待される限り、結託の構造が発生する。そして、様々な業界の間の利害調整は、いわゆる族議員などの政治家の介入を伴いながら、おもに行政機構内部での予算配分や権限配分の交渉を通じて行われる。

業界団体、管轄部局、族議員の三位一体的関係は、いうまでもなく高度成長期に先立つ時期におけるいわゆる「鉄の三角形」といわれた財界、官僚、政治家のエリート間の排他的な結託構造を歴史的な起源としているが、それは代議制という枠組みの中で次第に包括的、多元主義的なものに進化していった。したがって業界団体というとき、それは狭い意味での産業団体だけでなく、農民、特定郵便局長、医療関係者、教育関係者、従軍遺族など、あらゆる利益集団を含むものと考えてよい。こうした包括的な、多元的な結託構造の形成とそれらのあいだでの行政的なプロセスを通ずる利害調整が、まれにみる所得平等と一般的な安心感とを保証してきたといえる。

こうして「仕切られた多元主義」の過去には、大きなプラス面が存在するのであるが、こうしたメカニズムの維持に無理が生じてきたのが、1990年代の日本である。それには様々な原因が輻輳して関係しているが、主要な二つを上げてみよう。

第一に、仕切られた多元主義のもとでの所得平等は、1980年代までは、先進的な(輸出)産業が低生産性の産業や不利な利益集団の利益を、内外価格差、財政移転、参入規制などの仕組みを通じて保証することを通じて実現されてきたのだが、国際競争の激化の中で、こうした仕組みはもはや維持出来得なくなってきた。そこで彌縫策としてとられてきたのが、仕切られた多元主義の運用費用を将来世代に移転するということ、すなわち財政赤字の累積である。第二はいわゆるIT革命のインパクトである。IT革命によって、人々は、旧来の枠を越えて情報を交換しあえるようになった。こうした状況に、うまい具合に産業組織を適応させえたのが、いわゆるシリコンバレー現象などを生み出したアメリカ経済であり、またもっとも打撃を受けたのが、組織の内部に仕切られた襞の細かい情報共有によって競争力を高めてきた日本経済である。IT革命の日本経済に対する一番重要な含意は、閉じた組織を核としたこれまでの仕切りのあり方が問われている、といってもよいであろう。俗に言われている「閉塞感」といわれていることも、これまでの仕切りが、着古された衣服が身体の成長にあわなくなったように、桎梏に感じられるようになって来たからだ、とポジティブに考えることもできるだろう。

もしこうしたことが状況の本質だとすると、必要とされている基本的な構造改革とは、仕切られた多元主義の枠組みの再編成であるといえないだろうか。それがどのように実現されるのか、私にも明確な回答があるわけではない。しかし、三つのドメインで、同時並行的に、補完的な変化が起こることが必要であることは確かと思われる。第一に、民間経済のドメインで、これまでの業界、組織の仕切りにとらわれない情報連結に基づいた様々な組織実験が草の根レベルで行われ、競争することである。第二に、行政のドメインで、これまでの仕切にとらわれないセーフティ・ネットの再設計、仕切を取り払う規制改革などがシステマティックに行われ、民間経済のドメインにおける競争と活力の回復を補完することである。第三に、そうした行政のドメインにおける改革を可能にするのは、仕切られた利益を行政プロセスに仲介し、仕切りを「取り仕切る」のとは質的に異なった「政治指導」、構造改革への明確な政治意志であろう。しかしそうした政治的意志を支えるのは、究極的には、政治のドメインにおける投票者の選択である。そして、仕切られた多元主義による既得利益保護を越えたところに、真に必要な社会的弱者にたいするセーフティ・ネットとナショナル・ミニマムを保証するメカニズムを再構築することは、自己責任感に富み、活力に富んだ民間経済を支える個々の投票者の市民意識に根ざすものとなっていくだろう。かくして三つのドメインにおける改革は互いに補完的、相補的となるのである。

2001年5月15日

2001年5月15日掲載

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