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第四章 情報家電とコンテンツ産業

※本プロジェクトは、終了しております。

<目次>

1. コンテンツ産業から見た情報家電の意味

・コンテンツ産業の特徴は、コンテンツを制作する事業が小規模かつ多数の事業者(個人を含む)によって担われることが多いのに対し、コンテンツを流通させる事業は大規模な事業者による寡占的傾向が強い。コンテンツを制作する事業は、個人のアイデアに依存するため、独創性が重要であり、規模の経済が働きにくく、また、「たとえタダであっても、制作に参加したい」という供給圧力が常に高いという事情があることから、個人を含む小規模かつ多数の事業者が存在する。一方で、流通事業については、そもそも放送における免許制のように、制度上、事業への参入が制限されていたり、例えば、映画のように、映画館を建てるための地価の高い土地を必要とする、広告宣伝に多額の費用を要するなど、流通に多くの資金を要することから、新規参入が起こりにくく、大規模事業者による寡占的傾向が強い。このことは、映像産業で特に顕著となっており、放送については、地上波放送局(民放5局及びNHK)が大きな市場シェアを占めており、映画については、東映、東宝、松竹、角川の大手映画配給4社が事実上邦画市場を独占している。これらの事業者は、もちろん自らコンテンツを制作する場合もあるが、外部の制作会社が制作したコンテンツを流通させることにその機能の特徴がある。

・このような産業構造となっていることから、放送番組にせよ映画にせよ、多数の消費者をターゲットとしたコンテンツ・ビジネスは、地上波放送局又は大手配給4社映像産業を介してしか行われず、自ら流通機能を持たない制作事業者の流通事業者に対する下請化を招くとともに、レントの大部分は、流通事業者が確保し、制作事業者がリスクに応じた適切なリターンを得られない状況となっている。具体的には、まず、消費者(広告放送の場合、広告主)が流通事業者に支払う資金は、必ずしもその大部分が制作事業者に行き渡るわけではない。例えば、繁華街の看板について考えてみると分かるように、広告主が支払う広告費は、大部分が人の目にとまるという貴重な「場所」を確保するための「場所代」であり、看板の中身(例えば絵)に要する費用はそのわずか一部でしかない(もちろん、人の目を引くものである必要はあるが)。
地上波テレビ放送においては、広告主から広告代理店に支払われた資金は、広告代理店、テレビ局(キー局、ローカル局)を経て、実際の制作を担う制作プロダクションには10数パーセントしか落ちない、と業界においては言われている。また、この際に制作プロダクションに支払われる制作費は、番組一本につきいくらという渡しきりの資金であることが多く、番組の著作権もテレビ局が保有する場合、仮にこの番組の質が高く、高視聴率を獲得したとしても、少なくとも短期的な報酬が変動することはない。このため、番組自体の質よりも、制作費をいかに低く抑えて、高い視聴率を得ることができるか、という観点に制作が偏りがちであると言われている(その典型が、アイドルを多用したバラエティ番組だと言える)。このようなローリスク・ローリターンの下請けプロダクションのビジネスモデルは、たとえ優秀な人材が制作事業に参入しても、成果に応じたリターンが得られず、制作事業から人材が流出してしまう結果を招いている。

・さらに、より大きな問題は、流通事業者は自らの事業分野を越えて、コンテンツの流通を行うインセンティブが小さいため、コンテンツそのものの持つ価値を最大化できていない可能性が大きいという点が挙げられる。例えば、日本では映画は「製作委員会」という形で制作されることが一般的である。これは、映画配給会社(東映、東宝、松竹など)、テレビ局、出版社、ビデオ販売会社などそれぞれの流通ルートを持つ事業者が任意組合の形態で出資を行い、この出資金で、多くの場合、映画を制作プロダクションに委託して制作させている。この場合、映画の著作権は、下請けである制作プロダクションではなく、製作委員会が保有(実際には、出資者が共有)し、製作委員会は、組合員である流通ルートを持つ出資者に対して、その映画の流通(映画であれば配給、テレビであれば放映)を委託する。この場合、出資者は、製作委員会から流通に要する費用(及び例えば、映画であれば、売り上げの一定割合)の支払いを受けることによって、出資金を回収することになる。したがって、各出資者は、それぞれ自らの流通ルートにのみ責任を感じ、それ以外の流通ルート(例えば、新しい流通ルートであるインターネットや海外市場など)をリスクを取って開拓するケースは少ない。映画の場合、ひどい場合には、劇場公開、ビデオ販売、テレビ放映という一連のライフサイクルを終えれば、製作委員会の実態がなくなり、数年後には、誰がどの権利を持っているかさえ分からなくなるケースもあるという。このような場合、海外からその映画を購入したい、というニーズが仮に出てきたとしても、対応できないケースが多い。また、地上波テレビ放送の場合、無料広告放送である以上、先に述べたように、いかに地上波テレビのプレミア性(広告主が高い「場所代」を払う希少性)を維持するか、が重要であり、地上波テレビ放送の競争者となるようなインターネットでの番組提供には消極的にならざるを得ない、という実態もある。

・情報家電は、例えば、端的には、一台のデジタルテレビで様々な放送(地上波、衛星)やインターネット上のコンテンツを楽しむことができるようになるなど、消費者にコンテンツを届けるルートを飛躍的に拡大・多様化するという点で、これまでの地上波放送や映画配給など既存流通ルートに依存したコンテンツ産業の構造を大きく変化させる可能性がある。すなわち、既存の寡占化した流通ルートを相対化させ、流通ルートの間の競争を招く結果、コンテンツ制作事業が自立し、制作事業者が主体的に最も適当な流通ルートを選択し、消費者にコンテンツを届けることを可能にする制作事業主導の産業構造への転換が期待できる。こうした産業構造においては、流通事業ではなく、制作事業にレントが集中するため、現在、流通と制作の両方の機能を担う地上波放送局及び映画配給会社も、制作するコンテンツの内容による競争で利益を稼ぐ制作事業主体の経営へと転換していくことが予想される。

・さらには、コンテンツの制作事業者が自らのリスクで資金を調達し、戦略的に多様な流通ルートでコンテンツを流通させる(マルチユース)こと前提にコンテンツを制作することによって、そもそものコンテンツの価値を作り出すクリエータへのリターンがリスクとリターンに応じたものとなり、優秀な人材がクリエーションに参加するという好循環をもたらす可能性が大きい。

2. サプライサイドのニーズとディマンドサイドのニーズ

・情報家電を消費者へのインターフェイスとしたコンテンツビジネスが成功し、上記に述べたようなコンテンツ産業構造の転換がなされるかどうかは、サプライサイドであるコンテンツ事業者(制作事業者及び流通事業者)及び機器メーカーのニーズと、コンテンツを需要する消費者のニーズがマッチすることが不可欠である。

・まず、コンテンツ事業者のニーズについては、上述のとおり、コンテンツ制作事業者と流通事業者は、コンテンツという知的財産から得られる利益をどう分配するかという点で対立はあるが、総体としてみれば、いかにコンテンツという知的財産を活用して最大限の利益を得るかという点で当然一致している。もともとコンテンツビジネスは、「ライブ」でしか存在しえず、そういう意味で、ひとつのコンテンツから得られる利益は、時間的・物理的に限界があった。それが技術の進歩により、コンテンツ(この場合、歌や歌っている姿)を「録音」「録画」することが可能となることで、時間的・物理的制約が大幅に軽減されることになった。例えば、レコードや放送のない時代、ある歌手が得ることのできる利益は、その歌手が直接その歌を聞いた観客から得る収入に依存していたが、レコードの登場により、極端に言えば、一度、歌をレコードに吹き込めば、後は、レコードが売れれば売れるだけ利益が拡大するという極めて効率のよいビジネスが可能となった(音楽業界では、ヒット作が出ると、「お金を刷っているようなものだ」と言うことがある)。また、放送の登場により、観客を収容する場所という物理的制約は、ほぼ完全に消滅した。
とりわけ地上波テレビ放送は、全国約4,400万世帯すべてに普及したことによって、日本全国津々浦々まで同じコンテンツを同時に届けることを可能とした。現在のコンテンツビジネスは、この放送という形態を除くと、基本的に「コピー」によりコンテンツを消費者に提供するパッケージビジネスが主流である。したがって、コンテンツ事業者からすれば、いかに多くの「コピー」を消費者が購入してもらえるか、ということが最大のニーズとなる。かつてレコード業界に「レンタル」というビジネス形態が出現した際、コンテンツ事業者(レコード会社、歌手、作詞家・作曲家等)はこれに大きな危機感を持った。つまり、レンタルによって、「コピー」であるレコードが売れなくなることを懸念したのである。情報財であるコンテンツは、「所有」ではなく「利用(使用)」に価値があり、本来、一回の利用ごとに課金する「ペイ・パー・トランズアクション(PPT)」が原則である。しかしながら、「コピー」販売のビジネスモデルが余りにコンテンツ事業者にとって効率的(利益率が高い)であったために、コンテンツ事業者はPPTのビジネスモデルに踏み出すことを嫌がる傾向にある。このことは、これから述べるように、技術の進歩によるハード機器の革新や消費者ニーズへの適合という点で、これまで新たなビジネスモデルが登場する足かせになってきた。

・次に、ハードメーカーのニーズは、当然ながら、消費者に売れるハード機器を開発し、その販売により利益を得ることにある。一方で、上述のように、コンテンツ事業者は、消費者の利便性よりも、むしろ、いかに「コピー」を買わせる(所有させる)か、という点に関心があり、ハードメーカーの開発しようとする新しい技術に対して、消極的な態度をとることが多い。具体的には、コンテンツ事業者が納得するレベルの「(消費者にとっての)利便性」が確保されなければ、その機器で利用可能なコンテンツを提供しない、という形でプレッシャーをかけることが可能である。このことは、アナログ時代と異なり、劣化しないコピーが容易に流通するデジタル化・ネットワーク化の時代において、特に顕著に表れてきた。例えば、アナログビデオに代わるDVDの開発に当たっては、ハリウッドの映画業界が、コピーの制限のみならず、世界市場を分割することを可能とするリージョナルコード機能を要求し、実現している。このリージョナルコードで市場間の商品の流通を不可能にすることにより、コンテンツホルダーであるハリウッドの映画会社は、物価の高い先進国では高い価格を、物価の安い途上国では安い価格を設定し、利益を最大化することに成功している。コピー制限機能をコンテンツホルダー側が主導して決めた例は、これ以外には、デジタル放送やインターネットでの音楽配信など数多く見られる。
しかしながら、この結果、ハードメーカーは時として、極めて消費者にとって使い勝手の悪い機器の開発を余儀なくされ、このためにその機器の普及が進まない、ということが多い。また、一方で、ハードメーカーのビヘイビアとして、特に開発段階においては、消費者のニーズがあると思い込み、不要なまでの高性能を追求し、そのためにコンテンツホルダーがはじめに不信感を抱いてしまい、そのことがコンテンツホルダー側の態度を一層保守的なものにしてしまう面があることも否定できない。例えば、2~3年前には、ハードメーカーや通信事業者などを中心に、「超流通」という概念が盛んに提唱された。これは、コンテンツホルダーが一度配信事業者にコンテンツの利用を許諾すると、この配信事業者が様々な利用形態で消費者にコンテンツを提供し、消費者は自由にコンテンツを利用したその利用分だけコンテンツホルダーに利益を還元する、というモデルであり、ある意味で、消費者にとって最も使い勝手の良いモデルであるが、コンテンツホルダーの猛反発に会い、技術的には可能でもビジネスとして成立している例はない。また、ハード機器の規格がメーカーごとにばらばらであったり、新製品の規格が古い製品の規格と互換性がない場合があるといった点について、コンテンツホルダー、消費者の持つ不満は大きい。例えば、次世代CDについては、ソニーのスーパーオーディオCDと松下のDVDオーディオが商品化されているが、それぞれ互換性はなく、コンテンツホルダー側としては、両方の規格に合わせてコンテンツを提供しなければならない。また、消費者としては、投資ロスを恐れて、どちらかが将来デファクトスタンダードになるまで製品の購入を見合わせることから、マーケットが広がらない。それが一層コンテンツホルダー側にとってもコンテンツを提供しづらく、コンテンツのレパートリーが少なければ、さらに消費者としてはその製品を買うインセンティブがないという悪循環に陥っている。

・最後に、消費者のニーズであるが、これは、質の高いコンテンツを簡便に安く入手したい、ということに尽きる。消費者は、これらの要素のどれかだけを求めてコンテンツを消費するのではなく、これらの要素を総体として、様々なコンテンツ提供手段の中から消費するものを決めている。例えば、映画を例にとれば、最も質の高いものを得たいと思えば、大画面で、かつ音響にも優れた劇場(映画館)に行って1800円の入場料を支払う必要がある(しかも、上映時間に拘束される)。一方、もっと簡便に安く同じ映画を観ようとすれば、レンタルビデオ店でビデオ・DVDを借りるか、BS・CS放送、ケーブルテレビに加入している者は、ペイ(有料)チャンネルで観ることができるが、劇場での上映後、一定期間待つ必要があるとともに、質という点では臨場感などを含め、劇場に劣ると言わざるを得ない。さらに、無料で同じ映画を観ようと思えば、地上波の放送を待たざるを得ないが、これには相当の忍耐力が必要である。こうした中で、インターネットに接続したデジタルテレビで映画をビデオ・オン・ディマンド(好きなときに観ることができるサービス)で提供したとしても、消費者は、その価格、利便性、質といった面で、既存のレンタルビデオやペイチャンネルサービスと比較し、そのサービスを選択(ハード機器の購入も含めて)することになり、これだけ既存のサービスが充実・多様化している競争環境の中で、情報家電をインターフェイスとしたコンテンツビジネスが大きなシェアを占めることは容易ではないと言える。

3. 事業者に求められること及び政府の役割

・このように考えると、これまでのハードメーカーとコンテンツ業界は、必ずしも一致団結して、消費者ニーズにマッチした製品・コンテンツを開発・提供してきたとは言いがたい。特に、ハードメーカー同士の規格における主導権争いは、コンテンツ業界に、規格が統一されない機器(プラットフォーム)にコンテンツを提供するのをためらわせ、そのことが消費者にとってもその製品を購入するインセンティブを削いできた。また、コンテンツ業界が主導権を握って新しいビジネスモデルを開発した場合、従来の「コピー」を販売するビジネスモデルにとらわれすぎ、コンテンツ保護(コピー・コントロール)の強いものになりがちで、そのことが消費者にとっては、魅力のあるものとならなかったと言える。

・現在、欠けているのは、消費者の求めるものをハードメーカー、コンテンツ業界双方に伝える役割を担う「何か」である。その一つは恐らく、消費者の視点に立った「コンシューマー・レポート」であろうし、ハードメーカー、コンテンツ業界双方の「マーケティング機能」であると言える。
こうした「現実(消費者のニーズ)」をきちんと把握する、という当たり前のことを再度行う中で、コンテンツ業界サイドの「意識改革」がとりわけ必要である。すなわち、従来の「コピー」を売る、というビジネスモデルだけでなく、「消費者が利用するごとに課金する」という情報財取引の本来の特徴であるペイ・パー・トランズアクション型のビジネスモデルも必要ではないか。米国を中心にアップル社の「iPod」が消費者の支持を急激に拡大していることは非常に示唆に富む。
「iPod」は、ピア・トゥー・ピアのファイル交換ソフトによって消費者が無料で楽曲を入手してしまい音楽産業が壊滅的な打撃を受けていた中で、それを正面からつぶしに行くのではなく、一度ダウンロードした楽曲を、専用端末機器だけでなく、家庭のパソコンやCD機でも楽しむことができるなど消費者にとって使いやすく、かつ、一曲99セントとCDの購入と比べてもリーズナブルな価格で楽曲を提供することに音楽業界も合意したために実現した。米国音楽業界には、「これまでファイル交換ソフトのため楽曲の値段が無料だったので、たとえ一曲99セントでも取れればうれしい」という声もあるようだが、日本における同様の音楽ネット配信サービス(例えば、大手レコード会社が運営する「レーベルゲート」)が厳しいコピー・コントロールと割高な価格のために、これまで普及が進んでこなかったことと対照的である。

・一方、政府としても、このような新しいビジネスモデルに対応した制度環境の整備が必要となる。例えば、著作権法は、米国でも著作権を「コピー・ライト」と呼ぶように、これまで「コピー」という「モノ」を前提に、不正に「コピー」されることをどのように防ぐか、という観点から考えられてきた。一方、デジタル化・ネットワーク化が進展する中で、情報の中身そのものが「モノ」と切り離されて流通するという状況が出現している。このため、著作権法自体の考え方も、情報財という無体財の流通も視野に入れたものへの転換していく必要がある。具体的には、著作権法上、私的録音録画補償金とう制度があり、デジタルコピーについては、個別の課金ではなく、ハード機器及び媒体(CD-Rなど)に「コピーの対価」として著作権使用料を上乗せしているが、個別の利用ごとに課金が可能となれば、制度自体の廃止も含め、抜本的に見直す必要がある。また、ゲームソフト業界を中心に、中古流通が大きな問題として提起されている。これは、劣化しないデジタルデータそのものであるゲームソフトが中古として流通することによって、そもそものゲームソフト(新品)の売り上げが大幅に減少している、という主張である。単に現在の新品の価格を維持したままで、中古流通を禁止することは、利用後のゲームソフトをリサイクルショップに販売することを前提に購入している消費者にとっては、価格の大幅な値上がりに過ぎず、マーケット自体がさらに縮小する可能性があることから適当でないが、仮に、「利用するごとに利用料を得る」というビジネスモデルへと転換するのであれば、そのようなビジネスモデルを保護するための制度上の手当について検討することが必要となる。

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