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no.33: メジャー+ブロードバンド→?

境 真良
経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長補佐

メジャーはブロードバンドがお嫌い?

コンテンツ産業には日テレや東宝、WarnerBros.など、メジャーと呼ばれる事業者達がいる。

メジャーの本質とは、大規模流通インフラの独占管理を背景とした、流通主導型ビジネスである。それは一方ではクリエイタと利用者の双方に一方的な契約内容を押しつけながら、他方では絶え間なく、隙間なく、コンテンツの流通プッシュを行って、それによって産業に人材と資本を呼び込んできた。最も身近なコンテンツ事業者であり、同時に最も憎まれるコンテンツ事業者でもある。

デジタル化とインターネットのIT二重革命等による環境変化は、メジャーから流通と生産の独占支配を奪う。だから、メジャーはブロードバンドを恐れる、といわれることがある。ここ数年、とりわけテレビ番組について、なぜブロードバンドに流さないのかという外部からの不満が募っている。確かに流れていないのは事実だし、メジャーであるテレビ局がそれほど真剣になっていないというのも当たっているだろう。しかし、原因はメジャーの態度にだけあるのではなさそうだ。

ブロードバンドはメジャーがお嫌い?

インターネットとブロードバンドの世界には、コンテンツ政策という視点から見て、光と影の両面がある。光とは、“2ちゃんねる”に代表される協業型コンテンツ、つまり一つのテーマについて多くの人々が発言したり、コンテンツを競作、発表したりして全体として膨らんでいく形のコンテンツ制作が発展したことである。インターネット以前であれば“クトルゥー神話”や、やや管理されたものとしては一連の「デビルマン」関連創作なども含まれるかもしれないが、コミュニケーション的性質が強いこうしたコンテンツ生産方式を実現するにはインターネットがよく似合う。それだけではなく、いや、星の数ほどあるwebページの集まりそのものが協業的コンテンツなのだ、或いはインターネットそのものがそうなのだ、いやいやそもそも創作はすべて協業的なのだという人もいるだろう(この問題を議論し始めたらこのコラムでは済まない)。

しかし影もある。それはCDからリッピングした音楽や映像のファイル共有やアイコラなどの問題だ。メジャーは様々な権利の固まりとしてのコンテンツで商売をしているので、その管理責任上、著作権が守れない環境下には出られない。メジャーがブロードバンドを等閑視しがちなのには、ブロードバンド側の事情もあるということだ。

危惧されるのは、こうした状況をコミュニティモデルの優越や、ブロードバンドの技術特性を理由にこれを正当する議論が一部に見られることだ。

確かに協業型モデルに基づく特徴あるコンテンツがインターネット上には数多く見られるが、実際に利用されているものには“Yahoo!ニュース”や“地図サービス”のような、単に利用するだけのものも多い。またエンターテイメントコンテンツについては、例えばスターとファン、作家と読者のように、生産者と利用者が非対称な関係にあるものも多く、協業型モデルが基本モデルとして妥当するといえる明確な証拠は見いだせない。また、複製や改変はブロードバンドでは不可避な特性ではないかという主張についても、しばしばP2Pそのものと混同されるやっかいなファイル共有すら機能制限された専用端末を使えばかなりの程度止めることはできる(i-Modeによる着メロビジネスはその好例であった)。

つまるところ、ブロードバンドだから共有してよい、改変してよい、というのはやはり論拠は薄い。むしろ、メジャーに対する反感やフリーライドしたいという欲求がそれを主張する人の心にあるのではないか、と個人的には疑ってしまう。

メジャーvsブロードバンド…

こうして、互いに反発しあうメジャーとブロードバンドは現在めでたく離婚状態なのだが、この状態は冷静に考えれば双方にとってあまりめでたくはない。

メジャーの側から見てみよう。コンテンツ種別ごとにメジャーは存在しうるが、メジャーは同業者内部の競争と同時に、熾烈なメディア間競争にもさらされている。メジャーはこれを乗り越えて繁栄し続けるため、新たなメディアに挑戦しなくてはならない。例えば1950、60年代の映画産業とテレビ産業の対決について、映画がテレビに真正面から対決を挑んだ日本の結末と、映画がテレビに積極的に進出した米国の結末との差がそれを証明している。これをブロードバンドの側から見れば、新しいメディア空間に新たなコンテンツ産業を興すための資源がメジャーとの対立ゆえに決定的に不足してしまったともいえる。米国のテレビ産業がハリウッドを受け入れたことでごく初期から大きな発展を遂げたことも、ハード、コンテンツ制作資金、タレントその他の資源の投下が如何に重要であるかを説明している。

そしてもう一つ。ブロードバンド環境でもメジャーは死なない。メジャーが形成される原因はメディア独占性(メディア空間の有限性)だけではなく、ブランド効果(選択の経済性)と共時的消費(共同行為の欲求)という需要側の要請にも基づいている。結果として仮にメディア独占が消滅しても、残る二つの原因によりメジャーは生き残る。それどころか、ブロードバンド環境でもブロードバンドなりのメジャーはYahoo!のように生まれてくるのだ。

メジャーとブロードバンドの対立は、全く無益である。

メジャー+ブロードバンド→…

以上のことから、ブロードバンド空間の成長を願う政府としては是非ともメジャーにブロードバンド空間に出てきていただきたいと思うのである。だからこそ、機能制限された専用端末=情報家電+VPNによるセキュアな流通網を作り出す実験やコンテンツへのID付与といった、コンテンツ産業としてのメカニズムをブロードバンド環境に移植するため、それこそ涙ながらの努力をしている。それほどに、産業政策上、ネット空間へのメジャーの展開を促すことは重要なのだ。映像産業、特にテレビ産業に関しては。

ネット空間は比較的低コストで使える無限の広さの流通空間で、またばらまきではなく相手が指定できる流通でもあるので、ペイチャンネルモデル、ペイパービューモデルが大量に実現できる。すでにCATVでもおなじみのこれら事業は、これまでと違い、今後はブロードバンドインフラの上に実現できる。事実、おそらく今後伸びるだろうブロードバンドTVはこうしたCATVと同じ流通モデルをブロードバンドインフラを利用して、現実に行っている。

メジャーにとって、ブロードバンドは流通範囲の拡大とビジネスモデルや収入源の多様化という事業上絶好の機会をもたらす。さらに、ペイコンテンツモデルは必ずしも視聴率に全面的に依存しなくてよい状況を生むため、昨今話題になった日本テレビの視聴率操作事件に代表されるような、広告モデル一辺倒と視聴率主義の弊害の是正にも一役買うことも期待できる。同時に、広いだけでなく、なによりも、特定の属性を持つ人だけのバーチャルコミュニティなど、流通とビジネスモデルのあり方を全く柔軟に変えられるブロードバンド環境は、インディーズ産業にとって最良の事業空間ともなる。インディーズとメジャーとの様々な競争は、より活発なコンテンツのイノベーションのために歓迎すべきものである。(この問題を議論するにもこのコラムでは済まない)

サブカルのために、インディーズのために、メジャー頑張れ!

総じていえば、様々なコンテンツ産業のメジャーが進出してこそ、ブロードバンドはメディアとして発展する。メジャーの進出によってもその他の活動の活動領域が圧迫されることはなく、むしろインディーズその他の活動は間接的にその利益を受ける。ひょっとしたらコンテンツ産業のメジャーの地位を巡る競争はこれにより活性化するかもしれないが、既存メジャーはブロードバンドに進出しなければそこから新たに生まれる別のメジャーによって衰退させられる公算が強く、よってメジャーは自己防衛としてもブロードバンドに進出すべきである。これが筆者の考えである。

だから、メジャーには頑張ってもらって、ブロードバンドを開拓してもらい、コンテンツ産業を盛り上げてもらいたい。政府もの支援に努力を惜しむべきではない。

ただし、一つ配慮がいる。それはポップカルチャー、サブカルチャーに対するものである。今後、政府としてはメジャーを念頭において知的財産保護を強化していくことになろうが、その際、パロディや引用、改変に対して、創作の自由度を確保するための適切な配慮を忘れてはならない。また、政府のポップ、サブカル支援とは、それに尽きるのではないだろうか。所詮は権威と権力にまみれた我々政府としては、混沌に穴を穿つようなポップ、サブカル政策からは距離を置くべきである(役人が個人としてコミケやワンフェスにいったり山本正之のコンサートに行くのは推奨しますが)。パロディのネタになるような、オタク的な分析の対象となるような楽しいコンテンツが次々に生まれるように、メジャーを強く支援することこそ、政府が今できる最大のポップ、サブカル支援ではないか。

だから政府の一員としては、こういいたい。メジャー、がんばれ!

2003年11月12日

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2003年11月12日掲載

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